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2021年ベストコンテンツで打順を組んでみた(ボブ編)

「BOSEのスピーカーで除夜の鐘を聴くと低温がすごい」という発見から始まった2021年。
嘘みたいなことも夢みたいなこともいっぱいありましたが、とくに12月29日の水曜日に放送された「コンテンツ地獄」に著述家・書評家の永田希さんとご一緒に出演させていただいたのはとても貴重な経験でした。

放送内では、永田さんとのお仕事に関連した映画1本と本2冊、そして1つのYou Tubeチャンネルを紹介しました。

まだまだ紹介したいものはいっぱいあったのですが、話しながら気がついたことは、会社員生活にかまけて面白かったもの/食らったものをアウトプットをするのを怠けていたな、ということです。

なので、どうしても2021年のうちに書き記しておきたいことを残しておこう……ということで、今年面白かったコンテンツに「打順」をつけて紹介していこうと思います。

音楽、映画、本、お笑い、You Tube、ジャンルは分けていません。とくにコンセプトがあるわけでもありません。
自分の生活のなかに入り込んでいたものたちを、
自分の考え方や感覚の方向づけを変えてしまったものを、1番〜9番打者とピッチャー、計10項目、選びました。

1番 セカンド 
Ashnikko


2021年、ポップミュージックの世界では、ハイパーポップやY2Kというジャンル名が、その定義の広さや実態のつかめなさを背景に、急速に広まりました。ビジネスの世界でもメタバース、という言葉が急にバズワード化し、その内実をわからないまま使っている人が多くいます。

2年前にTikTokから火がついてブレイクを果たしたAshnikkoは、ハイパーポップに分類され、Y2Kの香りを漂わせ、メタバースっぽい感覚をもっているアーティストです。青髪のツインテールがトレードマークのサイバーゴス風のメイクとファッション、さらに彼女をデフォルメしたアバターがジャケットやMVに登場するというバーチャル感があるビジュアルイメージを持ちながらも、声やリリックは生々しく粘り気が強い。この「バーチャル感がありながら生々しい」というのがAshnikkoのアーティストとしてのシグネチャーであり、バーチャルとリアルが同じように同居する2020年代的な感覚なのではないか、と感じました。

2番 ショート 
4s4ki


Ashnikkoと同じく日本のアーティストの4s4kiからも「バーチャル感がありながら生々し」さを感じます。オートチューンがかかった声でのフェイクやシャウトや、あえて不自然な加工がされたアーティスト写真によって非実在感を醸し出しながらも、ライブではエモーショナルに歌いながらステージを徘徊する。そしてハイパーポップに分類されるようなトラックのうえで歌われるのは、断片的な生活感情。4s4kiはバーチャルな感覚をまといながらと生活の生々しさを表現しています。また、彼女のビジュアルやリリックも相まってその姿は「ぴえん女子」と呼ばれるカルチャーとも親和性が高いように思えます。彼女たちもまた、バーチャルと現実が一直線上に繋がっている世界を生きています。そこの功罪については佐々木チワワ氏がぴえん女子たちを追ったルポルタージュ『「ぴえん」という病』において詳しく描いていますが、もはやバーチャルと現実が結託したことによって混沌とした状況が生まれている、と言っていいでしょう。4s4kiはそのような状況を映し出している一方で、バーチャルと現実が一体化した時代を乗りこなしながら、同時代に生きる人々をエンパワメントしているのではないか、と思うのです。


3番 DH 
『青野くんに触りたいから死にたい』
椎名うみ


2016年12月から講談社「アフタヌーン」にて連載されている漫画で、すでに8巻が出ています(まだ完結はしていません)。高校生の優里に初めてできた恋人、青野くんは付き合い始めてからすぐ、交通事故で亡くなります。しかし、青野くんは幽霊として現世に残り、優里にだけ見える存在として日常を過ごし始めます。
いわゆる、恋愛を中心とした少女漫画、学園モノのようでいて、ホラーやオカルト的な要素が中心に据えられ、10代の家庭問題、自傷行為といった題材も作中では描かれます。それぞれのテーマは「どこかでみたような話」でありながらも、各要素が複雑に絡まり合い、そしてテンプレ的な「ありがちな結末」を絶妙に回避していきます。
この物語の構築力にある種の恐ろしさを感じます。ちなみに作者の椎名うみ氏は『惡の華』『血の轍』で知られる押見修造氏と対談をしているのですが、椎名氏の異常な分析力と情念に押見氏が引いていたのが印象的でした。


4番 ファースト 
The Weeknd SuperBowl 2021

コロナ禍において興行がどうなるか不透明だった2021年初頭。コロナ禍以降のパフォーマンスとして最も大規模なものとして挙げられるのはThe WeekndによるSuper Bowlでのハーフタイムショウです。7億円もかけて建てられたセットの中で、自らの大ヒット曲を歌い踊っていくThe Weeknd。ハーフタイムショウにありがちなゲスト出演やカバーもなく、全曲自分の歌を歌い切る姿に現代のポップスターたる所以を感じずにはいられませんでした。とくに、大ヒット曲「Bliding Lights」を大人数のダンサーともに披露したときの歓声と打ち上がる花火は、エンターテイメント産業が戻ってくる予兆を感じて心を躍らせたことをよく覚えています(実際に北米ではここからアワードや大型フェス、大規模なライブが再開されていきました)。2021年最初に希望を感じたコンテンツを4番に据えました。

5番 サード  
『DUNE デューン/砂の惑星』

「未体験のスペクタクル」という売り文句をかつてよくハリウッドのメガバジェット作品の宣伝でよく聞きました。いまはそもそもハリウッド作品自体の宣伝を見ることが少なくなったのかもしれませんが、『デューン』は本当の意味でいままで見たことがない映像を目の当たりにしました。
IMAX GT レーザーに映し出される広大な砂漠とキャストたちの表情。「巨大なスクリーンセーバー」だとか「ZARAのCM」とも呼ばれることもありますが、2年以上映画館から人々が遠ざかった時代に、巨大なスクリーンに未知の広大な世界を作り上げた『デューン』に興奮しないはずがありません。

原作が描かれたのが1965年でありながら、植民地と資源という20世紀的な問題が今なお有効なこと、そして文明が朽ちて広大な砂漠が未来の世界に広がっていることにリアリティを持ててしまうことに、この映画が2020年代前半に3部作として描かれる意味があるのだと思います。


6番 キャッチャー
『ワンダヴィジョン』

MCU映画が1本も公開されなかった2020年。2021年は結果的にドラマ作品が4本、映画が3本(『スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム』)を入れたら4本)、アニメが1本と、供給過多といってもいいほどMCUコンテンツが公開されました。とくにDisney+オリジナル作品として公開されたドラマシリーズ(『ワンダヴィジョン』『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』『ロキ』『ホークアイ』とアニメシリーズ(『What if……?』)は、各話ことにSNS上での「考察」が溢れ、もはやMCUコンテンツさえ触れておけばコンテンツ欲が満たされるのではないか、と錯覚してしまいます。
おそらくマーベル側も「失われた1年間」を取り戻すべく、常に新しいシリーズを出し続け、そのなかにファンが楽しめる「イースター・エッグ」を用意することでファンダムを強化することを意図していたのでしょう。
しかしその結果、起こったことは、作品における「些細なサプライズ」と新たなキャラクターの「参戦」の氾濫でした。そして、それはわたしたちが好きだった「ヒーローたちの人生が絡みあうサーガ」としてのMCUの終焉の始まりなのかもしれない。そんなことを思わずにはいられない1年でしたが、結局すべてのMCU作品は鑑賞していましたさは、『ワンダヴィジョン』の衝撃はとてつもないものでした。
各話行われるシットコムとテレビCMのオマージュは、ワンダによって生み出された「共同幻想」と「スーパーパワーによって失われた『普通の生活』」という主題ともマッチしていますし、なにより、ドラマとしての語られるスーパーヒーロー作品における、一つの正解を出しているのではないか、とすら思えます。
そんな野心的な作品と変化しながらもコンテンツの中心に居続けるMCUは、生活における「扇の要」だった、と言っていいでしょう。



7番 レフト  
怪奇!YesどんぐりRPG

脳みそをハックされるフレーズを持っている芸人は数多いれど、これだけ脳みそを占拠できるのは向井秀徳か怪奇!YesどんぐりRPGぐらいです。Yesアキト、サツマカワRPG、どんぐりたけしの3人によるギャガーユニットである彼らは、漫才のスタイルでひたすら「ギャグ」を放ち続けるという発明をしました。彼らのギャグは、僕の生活を支配しています。


仕事でパソコンに向かってる途中に思い浮かぶダブルパチンコ。コーヒーを入れてる途中に鳴り響く「C3PO!R2D2!」。道を歩いてる途中の「バーーーーミヤン!」。話に困ったときの「普段は各々ピン芸人で活動しております」……このように書くととてもバカバカしく見えますが、実際にとてもバカバカしい。中学生の頃にクラスの中心ではないタイプのお調子者がやっていそうなクオリティのギャグとテンションです。それなのに、脳内に残ってしまう。単純な言葉と大声によって繰り出される不条理は、わたしの脳みそを支配し続けることでしょう。パ、イ、ナ、ツ、プ、ル、畑あらし!畑あらし!


8番 ライト  
酒村ゆっけ、

Tシャツ1枚、ものが溢れる部屋のなかで酒を飲みながらつまみを作る。それを見ているだけで何故楽しいのかはわからない。酒村ゆっけ、には大食いユーチューバーにも、料理ユーチューバーにも、はたまた酒飲みユーチューバーにもない何かがあるのです。生活の様子を写したVlogに独特な言い回しのナレーション。どこかゆるい声と、あざといフレーズは中毒性があります。
彼女が酒を飲み、塩分の多い飯を食らうさまを何度見たことか……
エッセイ集と小説も出しており、それも買って読んでしまうほどハマりました。

ただ酒村ゆっけ、氏の文章を読んで気がつくのは、彼女の文章は映像とナレーションありきのものである、ということです。インタビューを読むと、大学時代にエッセイや映画製作をしていたことが、You Tubeを始めたきっかけであり、感覚としてはエッセイを書いているようである、ということがわかります。このVlog+note的な日常エッセイ、の融合が酒村ゆっけ、のYouTubeの新しさなのではないでしょうか。


9番 センター 
『水中の哲学者たち』永井玲衣

2021年に読んだ文章のなかで、いちばん美しかったと言っても過言でもありません。
哲学研究者であり、哲学対話のファシリテーターであり、D2020やChoose Life Project といった社会へのアクションにも参加している著者が、日常や哲学対話の現場の出来事を入り口にしたエッセイは、世界のおかしさを愛しむまなざしで溢れています。そして世界のおかしさを解明するいとなみである哲学を用いながら、世の中に「問い」を投げかけていく。研究者のようにオーソライズされた場所にいる人であればあるほど、物事の根本を問うことは難しいはずなのに、永井氏はそれをしなやかな文体で成し遂げていきます。
「入り口からの問い」ともいうべき、ものごとの根本に目を向ける重要さを教えてくれるエッセイ集です。

ピッチャー 
Kanye West 『DONDA』


アルバムリリースのたびにリスナーを困惑と熱狂に陥れる作品を生み出すカニエ・ウエスト。アトランタのメルセデス・ベンツ・スタジタムでの3度リスニングパーティー(という名のショウ)という規格外の試みを経て生み出されたのが『DONDA』です。27曲1時間48分(デラックス版では32曲2時間11分)、30人近いフィーチャリングアーティストを従えている、という大ボリュームもさることながら、明らかに6万人以上収容のスタジアムで鳴らされることを想定されたマキシマムなサウンドは、コロナ禍以降の価値観ーーベッドルームで作られ、SNSで火がつき、ストリーミングサービスでヒットするーーとは対極にあります。そうしたシーンのシステムや潮流を無視しながら、カニエ自身が追求し続けたゴスペルとヒップホップとスタジアムロック的なサウンドが緻密に重なり合った楽曲たちからわかるのは、2010年代にヒップホップの可能性を更新してきた彼が2020年代もそうであり続けるのではないか、ということです。
カニエ自身の問題や参加アーティストの問題が取りだたされ、正当な評価をされていない印象があるこの作品ですが、明らかに2021年を代表するものであることは間違いないでしょう。

総括

これを書いているのは23時21分。
あと40分たらずで2021年が終わろうとしています。NHK紅白歌合戦では福山雅治が「道標」を歌っています。

2021年のポップカルチャーを10個のもので捉えるのは無謀な試みです。さっきテレビ初歌唱を終えた中村佳穂も、このなかに入ってもおかしくないでしょう。

音楽も映画もお笑いも、紹介したいものがいっぱいあります(映画と音楽の年間ベストは今後出す予定です)。

1つ言えるのは、2021年は2010年代的なものが過去のものになりつつあり、2020年代的なものが始まっているのではないかということです。

そうした新しい変化にビビりながら、楽しめるような2022年が、訪れる気がします。

(ボブ)

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