「ループ」と「まわる」 〜『パーム・スプリングス』とPii「カキツバタ」〜
ここ2ヶ月、東京の映画館に行っていなかったことに気がついたときは驚いた。
大手シネコンが休業「要請」に応じてしまったせいで、ふとしたときに映画を見ることがしにくくなってしまったからだ。一度、仕事終わりに千葉県の市川まで映画を観に行くハメになったのだが、6月に入ってからはそんな元気すらなくなった。
たしか最後に行ったのは4月9日の池袋グランドシネマサンシャイン。そこで観たのは『パーム・スプリングス』というラブコメ映画だった。
「恋人の友達の結婚式」というどうでもいいイベントに駆り出された男、ナイルズはカリフォルニア州パーム・スプリングスで2019年11月9日を何十万回もループし続けている。それゆえ映画が始まった時点で、彼はすでにループから抜けられないことを悟って受け入れている。プールもあって、車もあって、酒も飯もある。ナイルズは不自由していない。そのループに花嫁の姉、サラが入り込んでくることで物語が動き出すのだが、彼女も最初こそ抵抗するものの自然に変わらない生活を受け入れていく。
言ってしまえば、よくある「ループもの」のラブコメだ。しかし『パーム・スプリングス』はとても魅力的な作品のように見えた。
なぜなら、この作品は「ループもの」なのにも関わらず主人公に抜け出そうという意思が感じられないからだ。
普通、ループに入り込んだ人間はどうにか抜け出そうとするか、ループを利用して未来を良くしようとする。しかしながら、ナイルズとサラはどちらも選ばずループを謳歌する。つまり「変わらない」ということを選ぶのである。そのことが、とてつもなく魅力的に見える。
それは、あらゆる状況がよくなる実感がなく、むしろ悪くなっているようにしか思えない出来事ばかりが耳に入ってくる、コロナ禍の日本に自分が住んでいるからかもしれない。あらゆるものがいまより悪くなっていくとしたら、変わらないままがいい。それは当然だ。
この『パーム・スプリングス』は2020年の7月にアメリカのhuluで公開されて、歴代最高記録の視聴数を記録したという。おそらく当時のアメリカの人々も、日に日に悪くなる状況を尻目に、良くも悪くもならない生活を謳歌するナイルズとサラを羨ましく思っていたのだろう。
それから20日後の4月29日にリリースされた「カキツバタ」も『パーム・スプリングス』と同様、ありふれたように見えて不思議な魅力を携えた作品である。
平易なメロディラインとリリックを、Piiという覆面の女性シンガーが伸びやかな声で歌う。
変わったことといえば、リズムボックスとエレキギターを基調とした編成や、コーラスの重ね方、そして時折クラブミュージックのようなエフェクトがかかる、ことくらいだろうか。
流し聴きをしている、ウェルメイドなポップソングのように思えてくる。
「カキツバタ」の一番では、「レコード」というモチーフと「まわる」という言葉が用いられる。
ふつうポップソングにおいて、「レコード」と「まわる」という言葉が合わさって歌われるときは、「変わり映えしない日常」という意味がもたらされる。
七尾旅人とやけのはらによる「Rollin' Rollin'」や、サイプレス上野とロベルト吉野の「メリゴ feat.SKY-HI」などのリリックががいい例だろう。
しかし、この「カキツバタ」では冒頭にレコードのモチーフが出てくるのにも関わらず、サビでは「回り続ける/ため息が出る/どんなに悲しい歌にも/終わりがくる」と歌われる。
つまり、レコードによって回り続けるのは「悲しみ」なのである。
レコードが「回る」ことをあからさまにネガティブな表現として用いたポップソングはあまりない(『変わり映えのしない日常』というモチーフはネガティブであれど、ゆるやかな不安、といったニュアンスだろう)。
それゆえ、最初はこのリリックに違和感すら覚えるのだけれども、続く2番のサビが「街は息づく/街は生き抜く」とくることによって確信する。これは、コロナ禍の東京の歌だと。
長く続くコロナ禍において「回り続ける」レコードから流れるのは「悲しい歌」なのである。
その2ヶ月後、小沢健二が人通りの少ない表参道でコロナ禍に言及した新曲「泣いちゃいそう」と、かつての原宿に言及した「アルペジオ」とともにカバーしていたのは「カキツバタ」だった。
『パーム・スプリングス』も「カキツバタ」も、それぞれ「ループ」と「まわる」ことのイメージを逆手に取って新鮮さを生み出した。
言ってしまえばこの2つは言葉の意味を変容させたゆえにウェルメイドな作品から魅力的なものへと変貌したのである。
そこにポップカルチャーの力強さと軽やかさを感じるわけだが、その一方で2ヶ月経っても作品の意味が変わらない、いまの状況の恐ろしさを想わずにはいられない。
(ボブ)
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