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自立してより感じる性別違和

スウェーデンに住んで丸9年、パートナーと別れてここで一からやり直して6年。当初は貯金を切り崩しながら、部屋を間借りし、できる仕事はなんでもやって、専門学校に入学できてからはコロナ禍、スウェーデン語での授業に必死で食らいつき、卒業して就職、昨年やっと自分で自分のアパートを契約するに至り、今やっと胸を張って「自立した」と言えるようになりました。それでも生まれ持った性質と育ちのせいで、ここまで努力を重ねても自分に自信はありません。きっとまだまだ改善の余地があるのだろうと、自分に足りない部分を見つけては歯がゆく思う日々です。

元々とても内向的で独りで過ごすことが好きなので、独身生活はさほど苦ではありません。ゲームに読書に、最近はトレーニングクラス&サウナに行くようになり、独りでも時間が足りないほどやりたいことが山ほど。ただ、たまに訪れる、この場所で生きることにさらに意味を持たせたい、40代になる前にまたパートナーや家族を持とうと努力すべきではないか、という衝動に駆られ、昨年末にはこれまで何度もやろうとしてすぐ放棄していたマッチングアプリにまた挑戦してみたりもしました。

結局、自分の性別が女性であることで、リクエストは男性から来ることが九割以上。私自身もレズビアンという訳ではなく、人として一緒に居られるのであれば男女の性別は関係ないという感じなので、リクエストの来た男性数名とお会いしてみました。そうすると、お会いするからには好印象を得たいという欲が出て、相手が男性であることから無意識に自分の女性的な部分を強調しようとする自分がいることに気づき、もちろんそんなことは長続きせず、疲れや自己嫌悪でまたアプリを放棄するに至りました。

自分の育った文化、そして家庭の影響も大きいと思うのですが、私にはそのままの自分では誰にも愛してもらえないという概念が根強く沁みついています。誰かと付き合おうとすると、私は必ず本来の自分ではない、相手が受け入れやすい自分を作り上げてしまう傾向にあると今は分かります。その上、女性は男性に養ってもらわなければならない、という親世代の教育もあり、世の男性の大多数が気に入る女性像にあてはまろうとする。それで最初はうまく行っても後に必ず心を病んで、自分の両親が築いていた不和を再現するような関係ができあがる。

不安障害とASDのカップル。自分の両親がまさにそれで、自分も似たようなパートナーシップばかり築いていたように思います。遺伝とは時に残酷なもので、社会制度によっても連鎖が断ち切られることなく続いて行く。

ただ、もうそのような時代でもなくなり、生き方も多様化してきました。自分は女性であり、体に違和感はありませんが、欲を言えば男性に生まれたかった。自分の生き方や成したいことは男性であったほうがずっと楽にできたように思えるし、子どもの頃から好きなものも、着たい服も男の子のものばかり。私が「女性」として生きてきたアイデンティティは、外側の、社会によって形成されたものです。

経済的に自立し、また私は独りで生きることが性にも能力的にも合っている。そうなると、「女性」であることの意味が崩壊します。人に気に入られるために自分を曲げてしまう癖は相手の性別に関係ありませんが、男性に気に入られる行動を取ろうとする意味はもうありません。

そしてそうなって、自分が性的に惹かれる性別というものもないことにも気づきました。アセクシャルではないと思うのですが、ノンセクシャルか、何か一筋縄では行かない性的志向を抱えていることは確かでしょうし、それは薄々、思春期の頃から感じていたことでした。

今、ある意味諦めがついたので、独りの時間が長すぎて孤独を感じることは少々あっても、変な焦りは消え、ではこれからどう生きようかという考えに具体的にシフトして行けているように思います。いや、以前にも何度もこの段階に達しているのですが、いつまで経っても迷いのなくなる日はありませんね。そうやって自分というものを再確認しながら進むことが、私には必要なプロセスなのだと受け入れるようにします。

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