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ペイミーとわたし。ペイミーを退職します。

明日を最終出社に、ペイミーを退職します。

2019年の1月から業務委託として関わり、9月に正社員として入社しました。業務委託期間を合せても1年半弱という短い期間でしたが、たった1年半とは信じられないくらい、密度の濃い時間を過ごすことができました。(突然のご報告になってしまったみなさま、申し訳ございません...)

実は入社エントリーもまだ書いていなかったので、ペイミーとの出会いから今日に至るまでのことを振り返ってみようと思います。というか、ほぼ入社エントリーになってしまいました。

2018.12.後藤さんと食事し、ペイミーでの副業を決意。

iNTERFACESHIFT2018というイベントで、パンフレットに後藤さんの名前を見つけました。DeNA時代に面識があり、その後起業されたことも知っていたので、ぜひセッションを観たかったのですが、あいにく夕方会社に戻らねばならず。代わりにFacebookメッセでご連絡を入れたことから、久々に食事にでも、という流れになりました。

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少し時を戻すと。2016年、後藤さんがDeNAの戦略投資室で働いていた頃、わたしはDeNAで新卒担当でした。Mirrativ赤川さん(当時はDeNA所属)に、「毎月100人の起業家と会っているすげーおもしろいやつがいる」と紹介を受け、起業を志す優秀な学生のインサイトについてヒヤリングするなど、数度の接点がありました。

それだけだったら、図々しくメッセなんてしなかっただろうと思うのですが。。ちょうど後藤さんが起業する直前の2017年7月、わたしが雑に代々木公園で開いたセルフ誕生日パーティに、Facebookの投稿を見て駆けつけてくれたことが、強烈に印象に残っていて、なんだか親近感が湧いていたんだと思います。

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滞在時間30分くらいでしたが、「Fin Tech領域で起業しようと思っている。なんとか出資も決まりそう。」と話してくれたのを覚えています。

再度、時を進めて2018年12月。当時ペイミーのオフィスがあったマンションの地下のお店で、二人で日本酒を飲みました。後藤さんはB5の大学ノートを取り出し、ペイミーのビジネスや組織図についてフリーハンドでわたしに説明した後、ペイミーに人事がいないことの課題感を話してくれました。

「今後人が増えていくことは確実である。人が増えたらいろんな問題が起こるだろうとわかっているけれど、自分はそこに頭も時間も使う余裕がない。災害が来るかもしれないとわかっているのに、災害対策ができていなくて、日夜不安に襲われている状態だ。どうか人事として、力を貸してほしい」

果たして自分にできることがあるかはわかりませんでしたが、その切迫感は十二分に伝わりました。微力でも力になれれば、と、業務委託として関わっていくことを決めました。

もちろん、給与の日払いを可能にする、Paymeというサービスへの共感もありました。(学生時代に遊び散らかしていたら合宿に行くお金がなくて、お母さんに土下座してお金貸してと頼んだ挙句、首を縦に振らない母と泣きじゃくる私を見兼ねて、お姉ちゃんがこっそり1万円を貸してくれた体験が、Paymeの話を聞いて強烈に思い出されました。)

でも、どちらかというと、様々な不安に駆られながらも、踏ん張って前に進んでいこうとしている、目の前にいる自分よりも若い起業家の姿に、胸を打たれたことのほうが大きかったです。

2019.01.ビビりながら初出社。

正直自分が何をやるのかも、やれるのかもわかっていませんでした。副業も初めてです。「なんの成果も出せなかったらどうしよう」「ペイミーのみなさんに嫌われたらどうしよう」。不安で押し潰されそうでした。

正月休み明けの1月4日。初めてペイミーのオフィスに行きました。そこで、まずは社員のみなさんと、30分ずつ1on1をしました。どういう想いを持ってペイミーで働いているのか、現状不安なことはないかなど、お一人お一人伺いました。

ペイミー共同創業者でCTOの森さんが、「後藤はもちろん、ペイミーのみんなが好き。みんな一生懸命だし、バイブスが合う」と言っていて、バイブスが合うという言い回しに、20代ってこういう表現するのかな、と思ったのが懐かしいです。のちにバイブスは、20代どうこうっていうより、ペイミー語だったことがわかりました。

それはこっちの記事で書いています。

ペイミーのみなさんはとても温かくて、仲間思いな人たちなんだと知り、ちょっとだけホッとして帰路につきました。

2019.03.震えながら転職を決める。

「3月末に、ペイミー初の全社研修をしようと思っている」と後藤さんから相談を受け、私も張り切ってタイムライン作成やワークショップの企画など行なっていました。

研修後は株主などのゲストも来てくれて、締め会に。二次会はオフィスに戻り、みんなしこたま酔っ払いました。後藤さんが先に戦線離脱し帰宅した後、一人の株主から、こう切り出されました。

「阿久澤さんさ、いつペイミーに来るの?」

最初は自分の経験を増やすための副業でした。でも、関われば関わるほど、ペイミーのメンバーがまっすぐにビジョンに向かい、愚直に試行錯誤を繰り返している姿に触れ、いつか自分も、ちゃんと社員としてチームに関わり、より貢献したいという気持ちが芽生えていました。その「いつか」は、DeNAで自分が成し遂げたいことに区切りをつけるまで、大体1年半~2年ぐらい先かなぁと漠然と考えていました。

正直にその気持ちを伝えると、

「そんな悠長なことは言っていられない。阿久澤さんが来たらペイミーはもっと前に進める。そしてそれは今じゃないとダメなんだ」

私だってDeNAで本気でコトに向かっているし、それは心からやりたいことだし、自分じゃないとできないことだと信じている。えらい勝手な理屈だなと、やや憤りました。でも、スタートアップの時間軸や切迫感は、自分が思っているよりもよっぽどシビアなこともまた事実だと感じました。

ここでどう答えようか。どうせ相手も酔っ払っているので、のらりくらりとかわそうか。笑いでこの場を終わりにしようか。

でも...

「いつかはペイミーに」の、いつかっていつ??
今だとダメな理由ってあるの??

私がDeNAでやりたいことって、私がめちゃくちゃ頑張ったら1年半もかからずに、できることかもしれない。私ができなかったとしても、ちゃんと思いを伝えたら、誰かが引き継いでくれることかもしれない。

ペイミーのみんなが事業に対して本気であることは、たった数ヶ月の副業でも、しっかり私に届いていました。私も本気で応えないといけないのではないか。

正直手が震えました。本当にできるの?本当に大丈夫?大好きなDeNAを辞められる?

たった数十秒かもしれませんが、随分長く感じるほど、高速でいろんなことを思考しました。そして私は、「7月には、DeNAを辞めてペイミーに行きます」と、その場で宣言していました。(結局9月になりましたが)

帰宅後、夫にこの話をしたときに、完全に酔いは醒めていましたが、大きな決断をしたことに、まだ手は震えていました。

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その時の写真。渋谷のマンション時代のペイミーオフィス。

2019.07.DeNA軟離陸期間。渋谷でオフィスを行き来する日々。

すぐさまDeNAの当時の上司に相談しましたが、ありがたいことに引き留めていただいたりもあり、なかなか具体的な退職相談には進みませんでした。ようやく後任も決まった7月、有給を使いながら徐々にペイミーでの業務を増やしていきました。どちらもオフィスが渋谷だったので、朝はペイミーのmtgに出て、その後DeNAに出社、みたいなこともしていました。

ペイミーに出社する日が週に1日から2日になり、8月に入ると週3日はペイミー、残り2日がDeNAというかたちで、DeNAでの自分の役割を徐々に後任のメンバーに引き継いでいきました。9月も近くなると、DeNAの廊下を歩いていると「阿久澤さん辞めたんじゃないの!?」「えへへ実はまだもうちょっといるんです」というやりとりすらありましたw

引き継ぎが順調に進み、自分がやるべきことがだんだんと無くなっていくと、なんとも寂しい気持ちになりましたが、寂しさの分割払いという感じで、ゆっくりと心の準備ができたことはありがたかったです。

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最終出社日に、会社のカフェを個人で貸切りセルフ送別会をしました。みんながプラカップに千円札をカンパで入れてくれました。

2019.09.新婚旅行後に軟着陸入社。

最後の有給をLAへの新婚旅行で使い切り、2019年9月26日にペイミーに入社しました。本当にきれいさっぱり有給を使い切ったので中途半端な日に入社しました。

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ベニスでの最後の晩餐はUberEatsが届かなくて、CVSで買った冷凍食品を食べたのもいい思い出。

こちらも軟着陸入社で、「あれ、今日から阿久澤さん毎日いるの?」ぐらいの感じでした。なので入社当日からかなりフルスロットルで働けました。この転職形式はストレスフリーでおすすめです。

そしてペイミーを辞めます

これだとただの入社エントリーなんですが、長くなってきたのでそろそろ締めたいと思います。

ペイミーでは、採用、オンボーディング、評価や目標管理の制度設計や運用、メンバーのメンタリング、マネジメント育成、そして初めての広報業務など、できたかできないかは置いておいて幅広くいろいろなことを任せていただきました。

大きな会社だとその道のプロがたくさんいるので自分の出る幕がないような業務も、スタートアップでは「やれそうならやってみる」の精神で、たくさんのことを経験させてもらいました。

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ベネッセでDM制作をしていた経験を生かし、「マンガでわかるPayme」を作ったのもいい思い出。社員の名前をキャラ名にしました。

その中で、自分の力のなさに落ち込むことも、身体中の血が沸騰するくらい悔しかったこともありました。それも含めて財産です。

先日ペイミーのみんなには挨拶させていただいたんですが、人事って、コールアンドレスポンスだと思うんです。

制度や仕組みを考えるときも、常にメンバー一人ひとりを想像して、ペイミーらしさとは何かを考えていました。毎週の全体定例や、全社研修の企画・進行も、みんなの顔を思い浮かべて、どんな場にしようかなと考えながら臨みました。

私の企みや試み、メッセージに、ペイミーのみんなはとてもまっすぐと応えてくれました。1on1でもそうです。1on1で伝えたかったことを、業務でもどんどん実践してくれて、翌月の1on1では想像以上の進捗を教えてくれる姿は、頼もしさ以外の何者でもなかったです。

私のとっては、最高に気持ちのいいコールアンドレスポンスでした。

まだまだやりきれなかったことばかり。志半ばでいなくなることはとても無念なのですが、ペイミーのみんなに恥ずかしくないよう、わたしも止まらずに次のキャリアを歩んでいこうと思います。

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インターン生がSDカードのデータ整理をしていた時に「この阿久澤さん可愛いですね」と言ってくれて密かに私も可愛いと思って保存した写真。旧マンションオフィス。

今後については、また機会を改めて、ご報告させてください!


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