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三谷幸喜と映画『12人の優しい日本人』

戦後の日本映画を振り返ってみると、1950年代が全盛期。1958年の年間観客動員数が11.3億人ですから、2019年の1.9億人に比べるとちょっと驚くべき数字です。

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それでも現在は盛り返している方で、一番低迷していたのは1980年~1990年代。1997年に1.4億人にまで落ち込み、公開映画に占める邦画の割合も、かつては8割だったものが3割に。

「邦画はダサい、面白くない」というような風潮もあり、デートにはもっぱら洋画が選ばれていたように思います。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)などのミニシアターブームもありましたし。

そんな中、「邦画にも面白い作品がある」と、ひとり映画館に通っていた頃出会ったのが『12人の優しい日本人』(1991年)。米国映画『十二人の怒れる男』のオマージュで、元々は三谷幸喜さんが主宰する劇団「東京サンシャインボーイズ」のために書き下ろしたもの。

日本に実際に裁判員制度が導入されるはるか以前、「もし日本にも陪審制があったなら?」という架空の設定で、12人の陪審員が殺人容疑者の判決をめぐって議論を繰り広げる密室劇風コメディ。

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議論下手といわれる日本人、同調圧力や事なかれ主義に流されがちな日本人の特性を逆手にとって、二転三転する議論が面白過ぎ。皮肉が効いているという意味では社会派ドラマと言ってもいいかも知れません。

相島一之さん、梶原善さんら東京サンシャインボーイズのメンバーをはじめ、村松克己さんや塩見三省さんら実力派揃い。さらに、まだ無名だった豊川悦司さんがクセの強い人物を好演し、その後のブレイクのきっかけともなりました。

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三谷さんが『やっぱり猫が好き』を始めたのが1988年。『振り返れば奴がいる』が1993年、田村正和さん主演の『古畑任三郎』シリーズが1994年開始ということで、『12人の優しい日本人』は三谷さんの映像界進出のスタートといっていいでしょう。見て損なしの傑作。

なお、舞台版は2005年にキャストを一新して、PARCO劇場で上演、DVDも出ているようです。また、今年はYoutubeで『12人の優しい日本人を読む会』が配信されました。これはこれで面白かったです。

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