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ユーミン「セシルの週末」と昭和生まれ男子の妄想

先月のリリー・フランキーさんの「スナック ラジオ」で、松任谷由実さんの「セシルの週末」が流れていました。アルバム「時のないホテル」(1980年)に収録された一曲。「卒業写真」のような超メジャーではありませんが、古くからのユーミンファンなら、誰もが知る名曲。

詳しい歌詞については著作権の関係がありますので、検索して見ていただくとして、概要だけWikipediaから引用しますと、「早熟な不良娘であるヒロインが、運命の人に出会って変わっていくという楽曲」ということになります。

恐らくはユーミン自身的な要素もあるのでしょう。歌詞全体から推察するに、裕福な家庭に育つも両親の折り合いが悪くて、グレてしまった少女。そんな彼女が運命の人と真剣交際。そして、さらに、もう一歩先に進もうと、男性から言われて…。

照れなのか、強がりなのか、彼女は「ゆきずり」でも良かったのにと呟きます。この言葉のチョイスがいいなと。「一晩限り」でもとか、「遊び」でもではなく、「ゆきずり」でも。

古風でありつつ、彼女のそれまでの男性関係を想像させる奥行きのある言葉。恐らくは両親の影響もあり、自分を大事にしていない少女が、刹那的に男性たちと遊んできたのでしょう(実態としては、年上の男性たちに搾取されてきたのでしょうが)。

ユーミンの「ゆきずり」は「帰愁」(1979年)という名曲にも使われています。こちらは失恋歌で、元カレと再会したシチュエーション。別れを引きずり、孤独感から逃れるように「ゆきずり」の男たちと…。現代なら珍しくもない話ですが、1970年代にこんな歌詞を書いてしまったユーミンの先進性。

「セシルの週末」の彼女が、過去の自分の“ワル”を語る部分があります。中学時代からタバコを吸い、万引き(窃盗)もへっちゃら。そして下着の色は「黒」だと。未成年の煙草や万引きは、現在でも非行ですが、下着が「黒」がなぜ?と今なら思いますよね。

昔よくあった嫁姑問題を描いたドラマに、こういうものがありました。お嫁さんが「赤」の下着を干していると、姑が「赤の下着なんて、いやらしい(恥ずかしい)」と。昭和的な価値観と言いますか、そんな時代もあったねと。

ここからは余談。高校時代、少々お調子者なOくんが、自分のところにやってきて、「Fさんのブラジャーが紫ばい。あれは相当遊んどる」と。いわゆる、制服の透けブラ案件ですが、紫の下着=不純異性交遊、奔放という、昭和生まれの高校生男子の妄想だったのでしょう(笑)。

自分には岡田有希子さん似の清楚な女の子に見えましたが。まっ、「清楚」を良しとするのも、昭和的な価値観なのでしょうが。令和的な物言いならば「透明感」がある、とかかな。


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