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学而1-7 で あそぶ

子夏いわく、
賢を賢として 色に易(か)え、
父母につかえてよくその力をつくし、
君につかえてよくその身を致し、
朋友と交わるに、言いて信 有らば、
いまだ学ばずというといえども、
吾れは必ずこれを 学びたり と 謂わん

「賢者を賢者と認められる見識があって、ちゃんとリスペクトできる。
 父母の様子に日頃から気を配って、自分ができることに力を尽くす。
 所属するコミュニティーの中で、自分の役割をよく自覚してロールモデル 
 となるような振舞いを心掛ける。
 友人とは誠実につきあい、言葉と行動が一致していて信頼に値する。
 そんな人であれば、別に学歴なんかなくったって十分に学びの深い人
 であると言えるよね。」

要は、知識理屈より振舞いってことですよね。
2000年前の人がこう言うということは、どこで学んだ、誰に学んだ、どんな資格がある。そんなスペックに振り回される人がその時代にも多かったってこと。
人は自分の評価や肯定感を他者の反応に求めがちだし、他者は他者でやっぱり自分の判断に自信なんか持てないから、わかりやすいラベルに判断を依存しがち。つまり自他相応して、ラベルやスペック依存に陥りがちなんだからよっぽど一人一人意識的に過ごさないとヤバイよ!ってことですよね。

何に意識的であるべきか?

自分の言行に意識的でありましょう。そこにすべてが表れるから。
だから学而1-4で曽子も言ってました。日に3回は我が言行を振り返ろうぜ!って。
人のこととやかく言う、人が言ってることに反応する、そんなことの前にまず自分に聞きましょう。「自分はどうよ?」

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