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踏切と想像力

人身事故のアナウンスが聞こえる。
家で寝たままでも聞こえる。
起きあがって駅の方に歩き出せばそれは人身事故の現場に近づくことになるんだろう。

踏切を見れば飛び込みたくなり、そんな勇気がないからとやめる生活を何度繰り返しただろう。
そのおかげで人身事故の数は減り、今日も確実に何人かのサラリーマンがブラック企業に送り込まれている。

行ってきます、といって出て行った我が子が帰って来なかったらどんな気持ちがするだろう。
「今日も安全運転で」と気張った運転手が人を轢き殺してしまったら、いったい、どんな気持ちがするだろう。
今日何とか自殺を思いとどまった人が、人身事故のアナウンスを聞いたら、どんな気持ちがするだろう。

すべては潤沢な想像力で、生への道が繋がっている。

私が死んだら、止まった電車の中で新しい出逢いが生まれ、密室をいいことにある者は痴漢をし、ある人は人生の大切な場面に間に合わなくなる。またある人は「人の死なんてどうでもいい、なぜこんな事態に巻き込まれたんだ」と苛立ちを露わにもする。

その全てが、その全ての反応が、私が生きたことへの、死んだことへの、影響であり、責任なのだ。
その全てを、無の感情で受け入れる覚悟があるか?
…そう言われるとNOなのだ。

だから私は今日も、人身事故を眺めてしまう。生きているから、送り出す側になってしまう。

言わずもがな、
もう、あまり送り出したくはない。

…当事者になるのは、まだ早い。

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