【タロットde内観】客観視点でも自分軸に立つ
この記事の続きです。
いまさら聞けない、自分軸と他人軸
■自分軸
自分がどう感じているのか、自分がどうしたいのか、どうありたいのかを基準にしていること
■他人軸
自分の考えや感じたことを吟味する前に、他人がどう考えるかを優先し、基準にすること
内観は自分軸を意識する
内観はだれにもじゃまされない大切な自分の内側との対話時間です。
自分にとって、もっとも大切なのは自分自身の魂と肉体と心。この3つが心地よく快適である状態というのは、他人軸では整わないのです。
内側は高次元の存在
自分の内側は、潜在意識の奥で開いて、他者とつながり、宇宙や大いなるもの(源とかソースとか言われているもの)とつながっています。自分自身を侮るなかれ。わたしたちはみんな、ものすごく大きなものの一部。内側のことは「内神様」「ハイヤーセルフ」と呼ぶ人もいます。
わたしがずっと「内側」と呼んでいるのは、自分専用の高次元の存在のこと。
他人軸になるのはクセ
他人軸で行動するのは、長いことそうやってきたから出てくるクセのようなもの。生まれて間もない赤ちゃんは、完全な自分軸です。でも、周囲の大人の反応により、幼いうちに他人軸になっている子はいます。
自分の身の安全を守るため、命をつなぐために、自分が依存している相手の考えを基準とし始めます。そうやって生きている時間が長いと、他人軸のクセがついていきます。
他人軸から抜け出すときの言動を、反抗期と言うのかもしれません。
反抗期の人は、自分がどう考えているのか、どう感じているのかを、身近な他者に反抗する(写し鏡で反射させる)ことで自覚し、再構築をしているように感じます。
自分の痛みの程度は自分にしかわからない
仮にあなたとわたしが、同時に、同じ指に大きさの傷を作ったとしましょう。例えば、右手の人差し指の先に。
同じ場所に同じ大きさの傷を同じタイミングで作ったとしても、あなたが感じる痛みと、わたしが感じる痛みははたして同じでしょうか。
仮に、あなたが傷に強いなら、少しぐらいの切り傷はサッと処置して終わりかもしれません。そして、わたしが傷や痛みに弱く、小さな傷でも大騒ぎする人なら、もうその傷が気になって、一日が傷に集中する日となることでしょう。こうした感覚を交換することはできない。自分軸です。
なのに、傷に強いあなたが、傷に弱いわたしに倣ってわざわざ「痛い痛い」と痛がるのはどうでしょう。また、傷に弱いわたしが、傷に強いあなたに倣って痛くて気絶しそうなのを我慢しているのはどうでしょう。これこそ他人軸。
内観するのに他人軸は不要
自分専用の高次元の存在と対話するのに、他者の感覚や考えが入ってくる必要はありません。
大事なのは、今ココで、自分が感じていること。だから、タロットを使って、カードを眺め、感じることを言葉にしていくんです。だれかがそこに入り込む必要はありません。
うまく言葉にできなくても、感じるだけでもいい。自分軸で感じてください。
参考記事
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