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【ひきこもり】なぜ居場所が必要なのか~孤立した私が居場所に行って感じたこと~

ずっと居場所を探していた

私が本格的にひきこもり状態になったのは、Webライターをやめた2021年7月頃だった。
すでにその頃、世間はコロナ一色ではなく動き始めていて、どこにも所属がない私にとって「もうコロナは終わり始めている」と感じていたのだ。
世の中から取り残された感というのは、世間が一斉にひきこもりを強いていた「不要不急の外出自粛」や「ステイホーム」という言葉が薄れ始めて、自分が本質的なひきこもりであることを突き付けられた気がした。

存在意義がわからない

アフターコロナを見据えて何かアクションを起こさなければ。
そう思いつつ、何をしていいのかわからない。
仕事を探すものの、女性ばかりのパートはもう懲り懲りだ。
では自分で何か起業ができるかというと何もできない。
そもそも、私の職歴はスカスカであり、資格欄をびっちり埋めたとしても、それは「過去にお勉強したんですね」と思われるだけで、かえってマイナスになってしまう可能性がある。

あなたは"女性"として生きていきたいですか?

過去に自立や就労支援センターに相談に行ったことがある。
相談員にこう質問された。
「あなたは"女性”として生きていきたいですか?それとも"障害者"として生きていきたいですか」
意味がわからず黙り込んでしまった。
相談員の意図していることは「あなたは障害者雇用を希望しますか?」ということだった。そのことに気づいたのは少し後のことだった。

人間としての尊厳とは

申し訳ないが、私は女性であり一人の意志を持った人間である。
いちばん大事な尊厳の部分を無視された気がして悔しかった。
障害者として生きていく、という質問を投げかける相談員の差別的な対応に疑問を感じ、それからは相談に行くことをやめた。

他の支援センターに行った時も、未熟な相談員が無理やり自分の紹介したい就労継続支援事業所ばかり提案してくる。
何ヶ所か見学に行ったが、私より一回りも二回りも若い方が清掃や調理、ビジネスマナー研修などを受けている姿を見て「なんか違うな」と思ってしまった。
なんとか福祉的サービスを受けずに、この状態を脱することはできないか。
頭の中では壮大なフローチャートが広がるのだが、答えがでない。
何をやってもダメなのか、と悲観的になり、悶々と過ごす日が多くなった。

かつての居場所もコロナで閉鎖

10年前に地域の居場所に通っていたことがある。
私が重度のひきこもり状態になり、家から一歩も出れなくなった時に役所に助けを求めに行ったとき、紹介されたのが障害者を対象とした居場所だった。
その居場所には2年間くらい通い、仕事をするようになってもお手伝いに行くようになった。
しかし、その居場所もコロナで閉鎖してしまった。

ひきこもっていても常に頭の中が忙しない

女性が集まるパート先では、くだらない陰口で盛り上がり、会話に加わらない私はいじめの対象になった。
「一匹狼」気取りが頭に来るだとか、低レベルなものばかりだったので相手にしていなかった。
とにかくパートはダメだ。単発のバイトから始めないと。でも体力がない。
体力をつけるには散歩から始めないと。

焦りが募る。もうどうしていいのかわからない。
誰に相談していいのだろう。
私の同期はみんな子育てと仕事に忙しく、私の話など聞いてくれそうな人はいなかった。誰にも共感されないと思っていたし、自分の招いた怠慢だと指摘されそうで怖かった。

主婦業を完璧にしようと努力したが虚しくなった

それからは、完全な無気力とまではいかないが、せめて主婦業を完璧にしようと頑張ったり、家計の管理をしっかりやろうとライフプランを作成し、老後のお金の心配をなくす努力をしたりした。
今まで「家」に向き合ってこなかったため、入っている保険の内容を精査したり、住宅ローンの繰り上げ返済シミュレーションを作成した。

それも長くは続かない。そんなことで主婦を名乗っていいものか。
そもそも私は外に出たいタイプなのに、こんな生活があと何十年も続くのかと思うと寒気がする。
夫の洗濯物を畳むたびに、私はこうやって人生を終えていくのだろうか、と情けなくなってくるのだ。

家から出るキッカケを探す日々

社会から排除された身として、再び社会に入る術がわからないし怖さを感じていた。
とにかく何とかしなければ。毎日焦りとの闘いだった。
公民館や役所のチラシを片っ端から持ち帰り、自分にできそうなものを探した。
フラダンス、太極拳、俳句、ハイキング、フラメンコ……。
どれも60代以上のシニア向けのサークルだった。
シニア向けでも子育て世代向けでも講演会はないか。
とりあえず見つけたのが古街道研究家の方の講演会だった。
無料で行ける場所。
誰とも話すことはなかったが、歴史や歩くことが好きだった私にとって家に出るきっかけとなった。

実はたくさんある居場所の存在を知る

ひきこもりの居場所に繋がったのは、それから2週間くらい後のことだった。
もっとインターネットやツイッターを駆使して調べたりすればよかったのだが、視野が狭くなっていたため、そんなことはできなかった。
実にこんなにたくさんの居場所があるとは思いもしなかった。

女子会も紹介されたが、パート先での嫌なことを思い出してずっと行けずにいた。
そもそも女性の集まり自体に寒気を覚える。
そこでまた嫌な思いをしたらどうしよう。
しかし、居場所では男性が圧倒的に多かった。
女性のひきこもりの方はどこにいるんだろう?
そんな疑問を抱き、ある女子会へ参加することになるのだが。

居場所は優しい人が集まる優しい世界

頭の中で考えている時はとても辛い。
勇気を出して行動してみると、思っていたよりも(いい意味で)違う世界が待っている。
それはとても優しい世界。傷ついた人が傷の舐め合いをするのではなく、お互いの痛みを尊重し、労わりあう世界。
つかず離れずの距離感も心地よかったし、何より自分の体調次第で行くかどうか決められるのがよかった。

女性のひきこもりは本当に増えているのか

家事手伝いや専業主婦もひきこもりの調査対象になり、女性のひきこもりの実数が増えた。なかには、ひきこもりにカテゴライズされたくないという人もいるのだが、今まで辛さを押し込められてきた人がいるということが今回の内閣府の調査で明らかになった。

辛さの度合いも人それぞれ。そう。人それぞれなのだ。
家事手伝いや専業主婦でも、その状態が辛いと感じたら「自分はひきこもりなのかもしれない」と思っていい。
ひきこもりは状態像なのだから、恥ずかしいことでも何でもない。
自分の中の偏見(スティグマ)は誰でもあることだ。

ゆるやかな人との繋がりによる自信の回復が重要

女性だから、男性だから。性差によるひきこもり事由は少なからずともあるが、私は「ゆるやかな人との繋がりによる自信の回復」が重要だと思う。
そのファーストステップとしての居場所の拡充を推し進めていきたい。
また、人によっては必ずしも居場所が合うとは限らない。
人それぞれだから当たり前のことだ。

居場所という居場所じゃなくてもいい。
どこかへつながることが必要だと思う。
その「どこか」は意外と身近にあるのかもしれない。
声を上げることは恥ずかしくない。
むしろ本当に苦しんでいる人が声をあげやすくする「環境づくり」が求められているのかもしれない。
行政や支援機関と連携し、環境づくりに貢献できるよう活動を進めていきたい。

ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。