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子どもを産まない女性は「生産性がない」という誤解と人権侵害

最近よく『生産性』という言葉を耳にする。生産性があるとかないとか、一般的に多用されるようになったのはいつ頃だろうか。そもそも、『生産性』という言葉は経済学で使われる言葉である。

生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で経済政策に対する生産要素労働資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。

Wikipediaより

企業にとって「労働生産性」を高めることでモノやサービスがより多く提供でき、従業員はより多くの時間を余暇に充てることができる。人的資本に投資することで付加価値を生み出すことができ、一般的な経済指標で「労働生産性」と言った場合「付加価値労働生産性」を指す。しかし、『生産性』という言葉自体が独り歩きして、まるで人間の価値や優劣を判別するような意味合いを捉える言葉になっている。

そもそも、子どもがいない女性を『生産性』がないと指差しするのであれば、それはまったく的外れなことであり、れっきとした人権侵害であると思う。子どもを産み育てることこそが尊く、そのことができない、または叶わない人間は価値がないのだろうか。それはかつての危険な優性思想と変わらないのではないだろうか。

私自身『生産性』という言葉自体が苦手である。貨幣を稼ぐ能力のある人が優れており、かつ子どもを産み育てることができる人間こそが国にとって必要な人材であるという危険な思想だ。国力を高めるため、少子化対策として、いかに今の女性に子どもを産んでもらうかは以前からあった問題であるが、それと『生産性』の問題は切り離して考えてもらいたい。

2018年、国会議員であった杉田水脈氏がLGBTQの方に対して月刊誌の論文で「LGBTの人たちは『生産性』がない」と記したことが話題となり炎上した。根底に差別意識がなければ、このような言葉は使わない。LGBTQの人は『生産性』がないのではない。子どもを産むという『生産』ができない。生物学的にできないが人間としての価値がないのではない。『生産性』という言葉の意味を理解できず一括りにして差別する。これは絶対に許されてはならない。

『生産性』という言葉が独り歩きしたのは、この頃からなのではないだろうか。LGBTQだけではなく、自分も生産性のない人間なのだろうか、とひとり悩む女性がいるのだとしたら、声を大にして「それは違う!」と言いたい。子どもを産み育てることができなくても、あなたはあなたのままでいいし、生きているということこそが尊いということを伝えたい。

エライ人の発言がメディアによって都合よく切り取られ、まったく関係のない人まで苦しんでしまう構図は何とかならないのだろうか。人間の尊厳を奪い、『生産性』の有無という物差しで人を差別する。この世に要らない人間などいるのだろうか。

ひきこもりの女性の特集が取り上げられるたびに、「私は生産性がないんです」と吐露するシーンがやたらと目につく。彼女たちは独り歩きした『生産性』という言葉を自分に置き換えて自分を責めている。人間としての尊厳を奪われて、なおかつ周囲の無理解に苦しんでいるのだ。決して自己責任ではない。

メディアやエライ人が『生産性』という言葉を使うのであれば、しっかりと意味とか語源を調べてから使ってほしい。人の優劣をつけたりするようなことは人権侵害にあたる。子どものいない女性は不用意に落ち込んだり、自分を責めたりしないでほしい。

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