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子育て経験者が子なし・独身者をマウンティングする構図を検証する

文化放送「おはよう寺ちゃん」に出演中のめいろま女史(谷本真由美氏)のツイートがいろいろな意味でバズっている。
この方は海外で子育て中の著述家で、たびたび地雷を仕掛けるように吠えるのだが、今回のツイートは『子供がいない人は頭の中が20代で止まっている』から始まる。
このツイートだけ切り取ってしまうと単なるマウンティングと思ってしまうのだが、実際のところ世間はどう思っているのか。

「子供がいない人にとても失礼です」という反論に「子供がいるのはすごく偉い」と引用ツイートするめいろま女史。すごく偉いということの意味は、生命としての種の保存、繁栄に貢献するとのこと。動物的な本能にしたがって子供を産み育てることは人間として当たり前のことであり、そういう意味でも子なし・独身よりも偉いと言っている。

ただ、この考え方はすごく危険だ。マイノリティを一緒くたにして「あなたたちは生産性がない、貢献できていない」とバッサリ言い切っているようにも捉えてしまいがちなのだ。それが痛快な人もいるのだが、優生保護法の思想と似たような匂いを感じてしまう。

事実として、子供を産むということや育て上げることは貴重だ。少子化は大きな社会問題でもある。他人事ではなく子供を産み育てる人口が減少している限り国の衰退は免れない。
いくらITやAIなど情報産業や機械工学が発達したところで、人間は人間を支えていかないといけない。子育てをすることは尊いのだ。私は子供を産めなかった人間だが、子育ての経験を通して学ぶことがたくさんあると思う。そういう意味で、感情論抜きに「子供がいるのはすごく偉い」というのは納得できる。

問題は、著名人が文脈無視のツイッターで発信することだ。たった140文字のツイートが瞬く間に拡散され、子供がいない人へのマウンティングと捉えてしまう。
きっと彼女的にも策略があるのだろう。たとえば有料noteや連載コラムへの誘導を目論んでわざと刺激的なツイートを繰り返す、とか。
彼女はたまたま流れてくるツイートで傷つく人がいるということを想像することはできても理解することはできないのだろうか。

私自身も子育てを経験していない。考え方や外見も幼い「世間知らず」の自覚がある。甥とも交流していないので子供とどう接していいかわからない。ママさんの世界も知らないし、毎日休みなく子供の世話をする大変さは想像を絶する。

私の思考も20代で止まっている。忙しく働いていた頃の20代で止まっているのだ。だからといって、自分を卑下したりすることはない。私は私なりの壮絶な人生を歩んできたわけだし、これからいくらでも社会に貢献する方法はあるはずだ。だから、このようなツイートに心揺さぶられることはない。

ただ、現在進行形で不妊や未婚やLGBTQなどマイノリティの立場で苦しんでいる人が、この「正論ツイート」を目にする。そして多くの人が同調している光景を見て心を痛める人がいるとしたらツイッターはいわば凶器だ。

言葉の力は強い。表現の自由が保障されている限りネット社会が存在する限り、必ずといって強者は弱者に正論を振りかざす。弱者は追い詰められても強者の世界に立ち向かうことはできない。

人を思いやる心とか相手の立場を想像する心とかどうでもよく、ただ強者の正論に「そうだそうだ」と同調している人がどれだけ多いのだろう。極論を言うと、社会構造自体を変えていくためには国会議員になるしかない。

めいろま女史に言わせると海外はもっと子なしに厳しいのだとか。確かに海外のレストランでおひとり様でご飯を食べる光景はあまり目にしない。日本はまだ多様性というか、ソロ活ブームのおかげでおひとりさま文化は定着しつつある。

私が強く思うのは、今の女性は空白の時間がなさすぎて「自分がしんどい」ということを吐き出す場がないのではないかということだ。時間的な余裕は心の余裕に繋がる。心の余裕があれば視野が広くなり、相手の気持ちを慮ることができる。「余白」の時間がなければ心がギスギスして、立場の違う人に対して攻撃的になる。豊かな精神を醸成するために、あらゆる柵や情報から遠ざかり一人の時間を確保することはできないだろうか。

「女の敵は女」という時代は終わったはずだ。こんなみっともないことを繰り返すのは時代遅れだと言いたい。人の気持ちを思いやることのできない人は、心と時間とお金に余裕がない人だと思う。どんなに有名な人であってもだ。

ありがとうございます!あなたに精一杯の感謝を!いただいたサポートはモチベーションアップに。これからの社会貢献活動のために大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いします。