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日記:ごく私的な読書の足跡

 最近まったく本を読めていない。字を書いて脳から出していくばかりで知識を取り入れておらずIQの低まりを感じる。低まりみ。
 かといって新しく本を読む活力がないので過去読んだ本の書評とか感想を書いていくことで脳の活性化を試みる。

 ひさしぶりに読書メーターを開く。

 読書メーターは、昔存在した姉妹サービスの鑑賞メーターとあわせて好きなサービスのひとつだ。かれこれ15年くらい使っていることになる。
 おれはとにかく、昔から記憶力が弱い。マンガの巻数をどこまで買ったか間違えて二回買うといったことがよくある。しまいには寄りたかった店や自分のやりたかったことすら忘れるザマなので、最近は定時や週末になるとアホほど予定を設定しておいたTodoアプリから大量に通知が届く。あんまり人には言わないが実は覚えておきたいことをマメに書きつけるメモ魔だったりするしロールシャッハにはなおさら親近感が湧く。
 そんなわけで、簡単な感想と一緒にマンガや小説の記録をつけておける読書メーターは積読の在庫と本棚の目録にちょうどよく、おれにとってはもはや落合の補助脳的立ち位置と化している。このサービスが終わったとき、まずどの本を読んだかすら思い出せないおれの読書記録はほとんどすべて爆裂してインターネットの藻屑となるだろう。おれは赤星琢哉氏とBOOKWALKERに首根っこを押さえられている。



皇国の守護者

 本題に戻ろう。まずは皇国の守護者から思い出して紹介していく。

 これは漫画版の話をこのまえブルーアーカイブと紐づけて書いたりもしたんだが、原作は小説シリーズになっている。
 いまは亡き佐藤大輔という現代~近代戦記物を手掛ける大作家の作品のひとつで、おおよそ日露戦争のような背景を持った異世界における二国間の諍いを克明に描いた。

 この作品が本当に好きなので語りだすと長いが、とにかくすべての描写において細かい。細かすぎて読みにくいほど描写にこだわっている。
 戦場がどういった様相なのかといった情景描写から始まり、"皇国"と"帝国"の地政学的な話、皇国の歴史と政治体制の遍歴、そして新城直衛という複雑怪奇な臆病者の入り組んだ思考に至るまでまことにネチネチネチネチネチネチと書いてある。おれは直衛や話の展開が好きだから9巻まで読み切ったがそれまでに何度投げようと思ったか知れない。

 この作品の面白いところは、主人公である新城直衛の臆病にして周到な策士ぶりにある。内戦で家族を失い孤児となり、たまたま共に生き残った蓮乃や千早の母猫とともに駒城家に拾われた彼は徹底的にリアリストとして描かれる。
 直衛は非常に怖がりで歪んだ性格なのだが、本人もそれを自覚しており、拾われた先の武家である駒城家で教育を受けつつたくさんの本を読み知識をつけてきた。兵法書なども徹底的に読み漁っており、大協約(この世界における条約みたいなもの)にも詳しい。自分が不安症の小心者であるがゆえに、恐れる出来事への対処法をとにかくたくさん吸収しようとしてきた人物である。
 だから、彼はとにかくトラブルに強い。敵軍の兵力や味方のやらかしにより盤面を何度もグチャグチャにされ予想外のハプニングに見舞われ続けるが、そのたびに直衛は心底うんざりしながら新しい作戦を練り、できる範囲でベストの応急処置を施す。本当はただのビビリをこじらせた男に過ぎないが、頭の回転の速さや積み上げてきた多方面への知識を活用することによって圧倒的兵力差のある"帝国"も手を焼く魔物のような智将へと成り上がっていく。

 戦記物なので多少人を選ぶところはあるが、我々の現実に近い異世界での話なのでなろう系ともすこし近いところがあるかもしれない。おれが個人的に好きなだけで普遍的に受け入れられる作品だとは全く思っていないものの、話の内容はとても面白いので一応おすすめしておく。


スキャナー・ダークリー

 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の方が有名だし圧倒的に読み易いがディックの作品の中だとやはりこれが好きだと思う。

 いやマジで読みにくいよこの作品は。さっきから読みにくい作品の話をしてばっかだけど。
 ただまあこの作品に関しては、ある理由により意図してどんどん読みづらくなっているところが好きで気に入っている。邪悪な「アルジャーノンに花束を」みたいなものかもしれない。

 この作品は物質Dという麻薬の生産元を追う潜入捜査官、ボブ・アークターがヤク中の売人に身をやつしながら真実を探し求める…というサスペンス作品。
 誰にも正体を明かしていないアークターは、ある日上司から「ボブ」という密売人を監視しろとの命令を受け取る。しかしその「ボブ」は彼自身の表の姿であった……。自分で自分を監視することになったアークターだが…?

 スキャナー・ダークリーで一番面白いのは、アークターの「左側」「右側」がそれぞれ独立して供述を始めるところにある。片方のアークターが物質Dのもたらす人体への深刻な危害(まさに今起こっていること)を淡々と語り続ける中、もう片方のアークターは監視した「ボブ」について報告を続ける。
 物質Dには、「右脳と左脳の橋渡しをしている脳梁を破壊する」という恐ろしい作用があるのだが、これによってまるで二重人格のように右脳と左脳が独立して勝手にそれぞれ思考を始めるようになってしまう。つまり、物質Dによってだんだん脳を破壊されていっているアークターは「密売人ボブ」の人格と「ボブを監視するアークター」の人格に分かれてしまい、当初は「何言ってんだあのアホ上司、どうせおれがボブ自身だってわかってねえんだろうな」と思っていたはずが本当に自分で自分を監視するようになっていくのである。

 心身ともにズタボロになっていくアークターが、崩れ落ちていく理性を必死に繋ぎ止めようと走り抜けるスリルはまさに本作の核だろう。最後の結末はぜひ自身で見届けて欲しい。


忌録

 2014年あたりに発行されたものの、しばらくの時が経ち2019年あたりに大々的にヒットしたホラー小説。最近は映像作品の脚本にも携わりnoteでも有名なホラー作家の梨.psd氏にも影響を与えているモキュメンタリー作品。

 この作品は基本的に「事件の資料集」「スクラップブック」の体裁をとっており、そこから逸脱することはない。何者かがそれぞれの記録をまとめて集めた資料を提示してくるだけで、「このような全体像の事件があったのだ」と教えてくれる語り部がいない。

 それによって、ホラーではありながらも「どうもこういうことがあったらしい」という推理と想像によって楽しむミステリーの色が濃く出ている変わった作品になっている。人によって着眼点が違うので頭の中に浮かんでくる結末も異なってくる。それが遅ればせながらいまのSNSの在り方にうまく作用し、それぞれの解釈や考察を語り合うのが大いに流行ったのだった。
 以前からこういった洒落怖のような、「ネットを介して現れる嘘か真か定かでない怪談」が人気を博していたが、"綾のーと。"のような舞台装置まで組み込んだ本作によってその地位が確固たるものとして打ち立てられたように思う。リゾートバイトの映画化もされたが、ホラーの歴史に「洒落怖・忌録」以前以降という区切りができたのではないだろうか。

 本書に収録されている一作目の「みさき」は文学極道というサイトでも読めるので試しに読んでみると良いかも知れない。ちなみにこれは詩の大会をやってたときに投稿されたそうで選考の人はかなり困ったんじゃないかと思う…。

 また、拙文ながら自分でも考察してみた記事を書いたのでよければ読後に読んでみて欲しい。なんかいまだに読まれてるらしくておれのブログでもアクセスカウンターがずっとトップになってる記事だったりする。


 怖い作品ではあるがホラーにとどまらず小説界全体に影響を及ぼしかねないエポックメイキングな作品だったと思う。続編も出ているので、一作目が気に入ったならそちらも推しておきたい。



ハーモニー

 マイ・オールタイム全人類読んで欲しい大賞1位。読んで全人類苦しんで欲しい。

 世界中を破壊と混乱が覆い尽くしたのち、復興して「優しさ」が崇拝されるようになった世界。そんな生ぬくとい世界で、かつて少女だった女たちが世界に刃向かう生き様が語られる。

 伊藤計劃という人物はとにかくひねくれている人なのだが、なかでもハーモニーは入院して生活が思うように行かないフラストレーションと向き合いながら見事に昇華された一作。
 この作品ははじめから終わりまで「綺麗事」「同調圧力」を刺して刺して刺しまくって針山になるまでブスブス刺殺する。そういうところがおれは好きだ。

 いまでこそ少しずつ日本中に「人は人、我は我なり」の個人主義が浸透してきたが、おれが学生時代を過ごしたゼロ年代あたりまでの同調圧力はまったくひどいもので、羊牧場もかくやというほど他人についていき考えることを揃えるように要求されていたと思う。いや、いまでもそういう学校は多く残っているだろう。
 それに加え、「優しい」「道義的に正しい」という口当たりの良いお題目の政治力はすさまじく、「(実際どうだろうが)世のため人のためと言われていることには問答無用で従え」という圧力の恐ろしさもあった。
 「人類はみんな同じでなければならない。その上、世間的に"良い"とされる姿になりなさい」これをこの時代に物語仕立てで皮肉を込め明文化した伊藤計劃のセンスは凄まじい。

 少し主語がデカくて危ない話題になるが、人間はだいたい自分が気持ちよくなるために善行を行おうとする生き物だ。そこに「実際どのような効果があったか」という検証は影響せず、あまり気にしていない。短絡的なバカだからだ。勢いのみで行動しており、あとの影響を調べてデータを取ったり統計がどうだったかといったことは犬の糞の片付けのように「学者がやれば良い」と考えている。
 太陽光発電が地球のためになるなどという、さんざん「効率が悪すぎて話にならない」と識者に釘を打たれてきたはずなのに宗教じみた環境保護論を真に受けた結果とても愉快なことになったが、彼らはそもそもそういうことを振り返る能もないバカなので次はコレだと言わんばかりにSDGsに乗っかっている。違法な盛り土による土砂崩れ、土地転がし、水害時に付近一帯に感電の危険をもたらす可能性、旧型パネルをどんどん廃棄し埋め立てゴミを大発生させていること………とまあ、振り返ってみるとまさにバカが全裸で盆踊りしているような頭の悪さ加減なのだが。
 ソーラーパネルが再生(リサイクル)にものすごく手間がかかり埋めたほうが手っ取り早いシロモノで持続できなかったことにすら気づけないバカなのに石油製品に反対してなんの罪もない絵画に塗料ぶっかけようとしたり持続可能な取り組みに鞍替えしているあたりでバカの評価点を高めている。

 おれはそういう右ならえタイプの綺麗事バカが本当に嫌いで仕方ない。文化祭で後ろの席のヤンキーもどきから執拗に蹴られ続け、頭にきて文句を言ったら付近の実行委員会に「三年生にはこれが最後の文化祭なんだぞ!」と波風立てないように押さえつけられたことを思い出す。ひとりの尊厳より✨みんなの思い出✨。ああいう思考停止した綺麗事バカが世の中に解き放たれていまものうのうと社会に巣食っていることが残念でならない。
 であれば、最終的に間違っていてもいいので、ちゃんと自分で調べて検証して自分で責任を持って行動している奴のほうが何倍も好感が持てる。自分の道を見直すことができるのであれば、多少間違っていても構わない。ふだん多様性多様性言うとるくせにひとりで店に入って食事をする人を友達いない扱いして笑ったりするクソババア連中みたいな奴らよりよっぽどマシ。✨陰謀論仲間の連帯感✨がほしくて子どもたちや病弱な人が個々それぞれの事情で受けるはずだったワクチンの冷蔵庫の電源コード引っこ抜くアホなども速やかに消えて欲しい。周囲へのカッコつけや私みんなと同じ集団に属してるよアピールのために自分で考えることをやめたキラキラスローガン読み上げマシーンはHTMLコードで動くようになってしまえばよろしい。クソ食らえだ。

 本の感想や印象を語るはずがおれの思想の発表会になってしまったが、内容的にはそうハズしてる話はしていないと思う。本作はおれの思想ほどキツくはないまろやかさで、なおかつ小説として面白く読めるように書いてあるのでこんなところで過激派アナーキストの怪文書を読むよりハーモニーを買って伊藤計劃の筆致に触れたほうがいい。


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