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【感想】『話の終わり』リディア・デイヴィス

これまでの人生で一番引きずった失恋を思い出せずにはいられなかった。著者の繊細で詳細な描写は、自分の記憶を刺激し、これまで経験してきた忘れていたであろう恋人との時間を呼び覚ますものがあった。

リディア・デイヴィスの『話の終わり』は、30代半ばの大学教師の女が12歳下の男子大学生と恋人関係になり、振られる。その後、女は二人で過ごした数ヶ月間の記憶をたどりながら当時の出来事を詳細に書き記していく物語。

まず読み始めて印象に残ったのが曖昧な記憶を曖昧なまま書いていることだった。彼との出来事を思い出しながら書いているということもあってか、特に出会いの場面では記憶はぼやけ、記憶が別の日の出来事と混在したり「思い出せない」という言葉が多く使わたりている印象だった。

しかし、その不明瞭な記憶が余計に生々しさを生み出し、二人が出会ったばかりのころの緊張感のようなものを感じさせる効果になっているような気がしてならなかった。というのも、「思い出せない」という書かれている一方で、詳細に描写しているシーンもあり、その記憶の粒度のギャップが全体のリズムのようなものになっている気がした。

出会った二人が恋に落ち、特に彼女の中での気持ちの盛り上がりがとても伝わってきたのが次の文章だった。

 一緒にいないときには彼に思考を妨げられ、一緒にいればいたで、まるで吸い寄せられるように彼の姿を見、彼の声を聞かずにいられなかった。彼の姿を見、彼が話すのを聞いているときの私は、ほとんど身動きせずに彼の横についていた。彼のそばにいて、半ば体が麻痺したように彼を見、聞いているだけで満足だった。ほんの一日二日前まで彼のことを知りもしなかった私が。
 彼への思いに妨げられて、私はそのときやっていたことを中断し、彼のそばに、彼の姿の見える場所に向かわずにいられなかった。そうして引力に吸い寄せられるよう彼のそばから離れられなくなり、彼のそばから離れられない気持ちが渇望に変わり、渇望は私の中で、そして彼の中でも、どんどん強くなっていった。
P53『話の終わり』リディア・デイヴィス

 最初はこの恋愛に真っ直ぐすぎる感じが少し苦手な感じもしたのだが、特に出会ってすぐだからこのその雰囲気や相手のことが頭の中の一部を占拠するような感じが届き、自分の中にとても印象に残る文章となった。


読みながら失恋の痛みを思い出させるのが、作中で繰り返される彼女が街中で彼の姿を探すシーンだろう。最初は彼のことがなかなか忘れらない彼女の姿に自分を重ね、昔は新宿や渋谷でかつての恋人と偶然再会したりしないかな、なんてことを考えてたことを思い出したりした。


失恋に痛みに関して個人的に妙に納得と共感したのが次の文章。

 そう考えてみると、彼と別れてしまっていちばん耐えがたかったのは、もう二度と彼と会えない、独りになってしまったという本筋の部分よりも、もっと小さな、これから彼のいる場所に会いに行って、彼から歓迎されるという素晴らしい可能性を永遠に失ってしまったことにあったのかもしれない。もはや彼に会いに行きたいと思ってもどこにいるかわからなかったし、たとえ居場所がわかって会えたとしても、歓迎はされないだろうから。
P105『話の終わり』リディア・デイヴィス

別れた後に家にいるときにふと感じる孤独よりも、やはり二人の未来が無くなったことの方が辛いのだろう。関係を修復できる可能性あればなんとかなると思うから、タイミングを探して元恋人に連絡したりするのかもしれない。

やはり彼女の彼に対する気持ちは、生温い感じではない。雨が激しく降るある夜には、車で彼のアパートの近くまで行き、そこから雨音に紛れ窓から部屋の中を覗き込むことまでしている。そのほかにも、彼のバイト先であるガソリンスタンドに押しかけたりと、こちらの共感の域を飛び越え怖さすら覚えてくると同時に、ここまで彼女を突き動かす彼に対する想いを想像せずにはいられなかった。

ここまで書いてきたような彼女の感情の機微も読んでいて面白いのだが、随所に出てくる風景描写も緻密でその描かれる風景と描かれた文章は美しいものあがった。


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