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休職日記#10 過去が今の自分を支配して、苦しい時もあるけれど。

散歩をしていたら、オレンジ色のコスモスを見つけた。秋の夕陽を浴びて、燃えるように咲いていた。
「コスモス」は、ギリシャ語で「秩序」を意味するらしい。

「秩序」。

私は過去に一度、大きく「秩序」を乱されたことがある。乱されたというより、壊されたというべきか。この経験によって、社会は恐ろしいところだと感じるようになった。

11年前のちょうど今頃。当時大学生だった私は、塾講師のアルバイトをしていた。帰りの夜道で、自宅まであと1分の住宅街で、突如背後から痴漢に襲われた。胸を揉まれ、一体何が起こっているのかわけがわからなかった。思考がついていかず腰を抜かし、冷たいアスファルトの上に倒れた。

「いやだ、助けて!」

どんなに叫んでも、誰も助けにこない。住宅街なのに、目の前の家に住んでいる家族とは昔からの知り合いなのに。

犯人は手を止めることなく、スーツのスカートの中に手を入れてきた。恐怖感を上回った怒りが湧き上がり、私は「ふっざけんな!」と叫んだ。
すると、犯人は急に立ち上がり逃げていった。逃すものか。

「逃げんなごらぁ!」

自分でも驚くくらいの怒声が出た。ハイヒールが脱げても気に留めず、犯人を追いかけた。大通りに出たところで見失ってしまった。

交番へ行き、警察署へ行き、事情聴取を受けて帰宅したのは夜中の3時。帰りの車の中で、手が震えている自分に気づいた。

翌日、大学にいつも通りに向かった。あんなことがあっても、あったからこそ休みたくなかった。一人になるのが怖かったのだと思う。
大学の友人たちに、「昨日こんなことあってさ〜!マジで怖かったわ」と武勇伝のように話した。

あれ?意外と話せてる。大丈夫じゃん。

そう思った。油断していた。自分は大丈夫だと、過信していた。

その後、犯人は逮捕された。ほっとした。でも、気づくと家から出られなくなっていた。「土になりたい」「消えてしまいたい」常にそう思うようになっていた。外に出るのが怖くて仕方がなかった。日常生活を送れなくなり、大学にも行けなくなっていた。家に引きこもり、自分を責める日々。
「あの時、あの道を歩いていなければ。もっと背後に注意して歩いていれば。」

それからは、心療内科へ通い治療が続いた。大学生活は、闘病生活となった。

あの事件から、もう11年が経つ。11年経った今でも、時々支配されてしまう。
あの時、私を取り巻く「秩序」は崩壊した。それまで当たり前のようにあった「安心」がなくなった。社会への信頼、周囲の人たちへの信頼、自分への信頼を失い、生きていくことへの難しさを感じるようになった。

もしあの時、事件に遭わなければ。あの時、心を病んでいなければ。今も適応障害にならずに、元気に暮らせていたのではないか。そんな考えに支配されることもある。
時間は経っているのに、一度でも経験した痛みは確実に自分の中に刻み込まれていて、今なお影響を及ぼしているのだ。

秩序が乱されると、その前の状態に戻ることはできない。以前の自分よりも明らかに弱くなったし、ちょっとしたことで動揺して、傷ついて、塞ぎ込むことだってある。悔しいし、苦しい。なんで私だけ?なんて思う。

だけど、それでいいのだと思う。弱いままでいい。
今の自分を、大切にしよう。これから生きていかなければいけないのは、傷ついて弱くなってしまった自分なのだから。

時間を巻き戻すことはできないし、起きてしまったことをなかったことにすることはできない。だけど、今の自分を大切にすることはできる。

ひたすら寝たり、心地よい音楽を聴いたり、動画をみたり、美味しいものを食べたり。無意味な時間だと思うかもしれないけれど、それでいい。それが今の自分にとって心地がいいのなら、それでいい。

そして、あまりにも苦しくて辛い時には、言葉にしよう。
なんだっていい。家族でも友人でも恋人でも。日記でもTwitterでもなんでもいい。言葉にして、「つらい」「苦しい」と感じている自分に向き合うのだ。
そうすると、ちょっとだけ楽になることができるから。

私にできることは、「note」という場を借りて、自分が体験してきた痛みや苦しみを表現していくことだと考えている。そして、この痛みや苦しみから得た感覚や言葉が、誰かの役に立てたなら。これ以上に幸せなことはない。

今日も、あの時の苦しみに支配されてしまったけれど。一歩進んで三歩下がりながらも、少しずつ前に進んでいこう。

イラスト:あっこ
燃えるようなコスモスが綺麗でした。
綺麗すぎて、ちょっと今の自分には眩しすぎた。

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