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必然という偶然でできてる。

だいぶサボっておりました。
今日はわたしのだいじな人の話をします。


なんとなくあるお友達に手術数日前に
がんのお話をしたんです。

「もうすぐ入院して手術するんだ。わたし、がんなの。」
と。

なんでその人に話したかと言われると分からない。
勘?直感なのかな?

そしたら
「自分も手術したことあるよー!がんばってね!
治ったら遊ぼう」

と。


その時は
「お?そーなんだ?まぁ良性疾患かなんかで手術してる人もおるやろしな」
と思っていた。

いよいよ入院した。
コロナ禍で面会制限もあり
痛い、ひもじい以外は退屈な入院生活。
入院してから退院するまで
いや、退院してからもしばらく?
その友達は連絡をとってくれていた。


いくら親しい間柄で
わたしのことを思って励ましてくれたりしても
がんになったことのある人にしかわからない気持ちがある。
がんになったことのある人でも
「あっこちゃん、小さい子がいてがんになって不安だよね?大丈夫だよ!死なないよ。」
と励ましてくれた尊いお友達がいるのだが
わたしは消極的希死念慮持ちなのでちょっと違うのだ。

わたしは生に執着がなく、いつ終わっても構わない。

なのに、
「なんで痛い思いして手術して生き延びようとするの?
このままほっといた方が早く死ねるんやない? でも痛くて苦しくて惨めなのは嫌だ!」

「なんでみんなはお腹切らなくても生きてられるのにわたしは切らないと数年で死ぬの?」

「このまま、手術の麻酔で目が覚めなければいちばん楽やんなぁ…」

そんなことばかり考えていた。


でも、わたしの入院生活のつまんないことや、
他の人から見たらちっぽけと思える悩み(傷きれいに治るかな。とか)なんかを
ぜんぶその人は聞いてくれた。


手術終わってICUから帰室きた時も「よかったね」
流動食が固形になって来ても「よかったね」
ずっと出なかったお通じが出た時も「よかったね」

「傷痛いよねー。わかるよー。綺麗に残って欲しいよね。自分も結構目立つから気になるよー」
とか
「おしっこの管、痛いよねえ。はよ抜けるといいねえ」
とか
抗がん剤使うか使わないか悩む話とか。

時には趣味の話とか。


数えきれない他愛もない会話。
でもわたしの気持ちを静かに受け止めてくれて
そして沢山の「よかったね」が散りばめられて


わたしは「ここにいてもいいんだ」と思った。
エヴァのシンジくん並みに。笑


わたしの選択した道は間違ってなかったのだ
「よかった」んだ、と思った。

わたしはたすかって「よかった」んだ。


なんの病気でその人が手術したかは
ずっと聞いていなかったけど
ある日ぽろっと
「自分ががんになった経験が人の役に立ててよかった」

と言った。

「!?がんやったの?」


その人はサバイバーだった。


わたしは思わず
「生きててくれてわたしと出会ってくれてありがとう」
と言った。


わたしは一応親なので
その友達の親の気持ちも考えてしまう。
若くて元気なはずの頃に
いろんな治療に耐えて耐えて
本人も親御さんもどんな気持ちだったのか。。
しかもわたしよりずっと悪性度の高いがん。。


その人は
治療の後遺症と戦ったり、諦めたりしつつも
自分の人生に折り合いをつけて生きているように見える。

取り立てて誰かにわざわざ病気のことを言うこともなく。


わたしがこの歳でがんになったのは
このわたしの長年の
どうしようもない消極的な希死念慮を
取り払ってくれるこの人にであうためやったのかもしれない。


がんになって
大腸を少しと妊孕性をうしない
おなかの傷と抗がん剤でぼろぼろの足と
かけがえのない人とであえました。

ここから先は
せっかく手に入れた人生のボーナスステージなので
わたしはやりたいことをして
居たい人と過ごしたいなと思いました。

というわけで、人間関係の断捨離をして
お仕事も新しい世界へと足を踏み入れたのです。


死ぬまでワクワクしたいわ♡


↑このドレス、
結婚式で着たかったけど却下されたので
死ぬまでに着たいとおもいます笑



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