見出し画像

『すぐに役に立つ本は、すぐに役に立たなくなる』 【エッセイ】

 すぐに役に立つ本はすぐに役に立たなくなる。

 この金言との出会いは、とある「すぐには役に立たない」性格の本、言い換えるならば、僕の書棚の〝本当の意味で価値のある本〟のなかでのことだ。

 先週月曜日は成人の日だった。およそ120万人いたとされる今年の新成人のうちどれだけの人が、その日授かった激励の言葉をおもおもしく胸に刻んだことだろう。大人になることの決意をあらたにして――。僕自身はといえば、6年前、成人式を人生の特別なイベントとして捉えてはいなかったし、その日を境に自分のなかでなにかが変わったということも、正直なところまったくなかった。

 それでも、大人になることを余儀なくされたその日々に、以下の言葉を、偶然ある本のなかに見つけ、以降の実生活における精神の拠りどころにできたことは、僕にはとても意義深いことであったと思う。ちょうど自分にとっての成人の日をむかえる前年の冬、上京してしばらくのあいだは友だちもできず、図書館にこもってばかりいた毎日だった。

 小金井市の市民図書館で見つけた本、その中のある一つのパラグラフ。引用する。

《成人になると、もう聞かなくて済む言葉がある。「子供は黙っていろ」である。
 だから主張せよと、私は言いたい。但し、これまでとは違って、猛攻撃を喰らうし、無視もされる。それでも主張して欲しい。やり込められ、理不尽を感じても、シュンとするな。
 そんな時は、独りで静かに、もう酒が飲める。
ともかく徒党を組むな。連むな。大人は独りであることを知れ。
 独りっきりで、静かに、精神を鍛え、反撃のチャンスを待て。
 酒が友になることを祈っている。》

 伊集院静さんの『贈る言葉』。洗練された鋭い言葉、力強くて包容力のある文体。文章のお手本としてはもちろん、ひとつの生き方の指針として、このパラグラフを僕はなんどもなぞり、頼って、きょうまで生きてきた。

 ものづくりは孤独と隣り合わせの作業だ。道半ばではあるが、そのことを受け入れ、それと向き合い、その愉楽を生活の一部として味わうことができるようになった、いまの僕を根底から支えている言葉がいくつかある。それらは安易なハウツー本や自己啓発本を通してはけっして出会うことのない、〝生きた〟言葉たちだ。

 言い換えるならば、その人の切実な生の実感から生まれた言葉たち。

 同じく伊集院静さんの著書、『旅だから出逢えた言葉』に紹介されていた、以下のエピソードも忘れがたい。

 慶応義塾大学理工学部の前身、藤原工業大学、その初代学部長を務めた谷村豊太郎は、産業界から「すぐに役立つ人材をつくってもらいたい」と注文を受け、それに対してこう言った。

〝すぐに役に立つ人間はすぐに役に立たなくなる〟

 この示唆ぶかい一言は、初心や基本ということの大切さを説いているように思う。この言葉を引用して、小泉信三は『読書論』の中で、

《すぐに役に立つ本はすぐに役に立たなくなる》

 と述べた。真理だと思う。

「すぐに役に立つ」人材や本、知識や技能とは、いったいどういったものなのだろう。それはやはり「簡単に身につく(手に入る)」もの、すなわち「だれにでもできる(手に入れられる)」、「替えが効く」代物ということではないだろうか。

 僕たちは激動の時代のただなかに生きている。そのなかにあって更新され得ないもの、できないもの、それは人の一生涯という長い時間をかけて得る、切実な生の実感をともなった、技巧や美辞麗句に頼らない言葉、いきいきとして力強い言葉なのではないかと思う。

 そんな言葉に、日常のなかでどれだけ出会うことができるだろう。

人生の数だけ〝生きた〟言葉はあると僕は信じる。ところが日々の忙しさのなかで、言葉への感度を鈍らせてしまった結果、安易な内容の流行本に頼らざるを得なくなった日本人が少なくないのではないだろうか。言葉の力を信じて生きる人間として、僕は、安易な言葉が溢れる市井へ警鐘を鳴らす意味も込めて、そのことを強く訴えたい。

「すぐには役に立たない」性格の本たちは、多くの読者にとって劇薬的な効用が感じられないために、いつしか書店の片隅に追いやられてしまっているということも、往々にしてあるのではないか。そんな本を「発掘」し、結末まで咀嚼する愉しみを知ることは、僕たちが長い人生を生き抜く糧にきっとなるはずだ。

 それでもときどき読書に疲れてしまうこともある。そんなときには、僕たち大人には酒という生涯の友がいることを思い出せばいいのである。

〈終わり〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?