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〈Artな心理〉カフェ・ショコラで、カエルと哲学もどき。

日曜日の午後、カフェに行った。
友人が、近所まで来てくれた。
親切な友人である。

過ごした時間は、
美味すぎ、可愛いすぎ、楽しすぎ。

カフェ・ショコラというのを
2杯も飲んでしまった。

1杯目は、ウサギのクリーム、
2杯目は、リクエストして、カエル。

私の大好きなカエルだ。

なぜ、カエルが好きなのか。
よく人に聞かれる。

聞かれたら、
「なんとなく。」とか、
「分からないな。」と答える。

なんでだろ?

心理的な理由ではなくて、
哲学的な意味があるかもしれない。

認識とか、精神とか。

カエルと認識や精神とか、
一緒にしちゃうと、笑える。
無理して、くっつけて屁の理屈。

何ら関係ないように見えるが、
心のよりどころではなく、
光そのものだったりする。

いろいろなことを空想したり、
考えをめぐらするのは、
人はみな、好きだ。
これがないと、生きている感じがしないからね。

Je pense donc je suis.
我思う故に我あり。

この言葉、なんとなく聞いたことがある。
その「なんとなく」を思い出した。

文はシンプルだが、意味が深い。

Je pense que ではなく、
Je pense a でもなく、

我思う、と言っても、
何を思うのか、説明もなく、漠然とした一文だ。

私は考える、
私は思う、
私は考えをめぐらす、
私は思索する、

だからこの文は、「私は」ではなく、

「私の精神は」とか、
「私が考えをめぐらすことは」とかが、
主語と考えた方がいいかな。

私の精神は、考えをめぐらし、思索する。

donc だから。。それをするのは、

私自身である。
その私は、
私であり続ける私である。
どこまでも、私である私である。
私でしかない私である。


うまく言えないのだけど、

penseは、
空想とか、創造性、自由な思考、精神であって、
suisでもって、
自身を認識するということだ。

自身が、存在しているという認識が、
真実かどうかは、分からないけどね。

カエルが好きだという心の状態でも、
カフェ・ショコラを飲んでる状況でも、

一点の曇りもなく、考える自分がいて、
penseとsuisは、あるんだよ。

だから、penseとsuisは、
人の生きる成り立ちの基礎になる。

生きているから、精神がある。

まあ、そう解釈してみると、
短い文だけど、生というリミットがあり、
だからこそ、パワフル全開だ。


表面的な格好良さじゃなくて、
時代の変わり目に遭遇しているこの人生、
不思議で、夢のようで、
そして実はちっぽけのようで、
でっかいような気がする。

そして、そう思う思考や精神は、
誰でもなく、私そのものだ。

私、ここにこうして生きてるよー。
なぜだか分からないけど、考えてるよー。

Je pense donc je suis.

カエルのカフェ・ショコラ飲みながら、
冗談を言い合える友人と過ごす時間は、
生まれてきて良かったな、と思えるような、
ぜいたくで楽しい、人生の瞬間だった。

感謝&愛

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