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文字の表現、音の表現

ラジオに出た。
人生ではじめて。

普段の私は、考えていることを文字や絵で表現することが多いです。もちろん、言葉にして伝えるということを日常的には行っていますが、それはあくまでもコミュニケーションという文脈でのことであって、考えをまとめて表現するのに「音」で表現する、というのはほとんどない経験です。小さいときに習っていたピアノが音で表現といえばそれにあたるのかもしれませんが、あくまでも誰かがつくったものを解釈しているのであって、全くオリジナルかといわれるとそうではなかったなと思います。

この「音」での表現をしたあとは、それはそれは、不思議な感覚でした。これを書くときでも既にそうなのですが、文字を起こすときには、あーでもない、こうでもないと言いながら、書いては消し、書いては消して完成に至ります。この試行錯誤のフェーズが、ラジオという音の表現にはないのです。もちろん事前に打ち合わせもするし、こんなことを言おう、あんなことを述べようというような妄想もしました。今回は準備しなかったですが、場合によっては原稿を用意することもあるのかもしれません。でもやはり、音は一発勝負。その場で言えるか、言えないかです。いくら撮りなおして編集したとしても、そのときの音は消えない。文字は書き直せば上書き保存ですが、音は言い直しても別名保存という感じです。結果は自分の考えを発信するという同じでも、そのプロセスは似て非なるなとなんだか灌漑深いものでした。

プロセスの違いもありますが、音ってとても軽やかですね。印象は残るけれど、なんというかこう、うーんとうなるような重さがないというか。文章にしてしまうと、ええ??と思うようなことも、音でならば聞けてしまうことも多いのではないのでしょうか。それでいて、印象が強く残るから、あの時あの人がいいこと言ってたな~というようなエピソードとしてしっかり残る。それに対して、文章はあのときあの筆者がとはなかなかならないなと思います。そういえばあの本に書いてあったな、というような記憶としてはちゃんと残りますが、軽やかな印象は少ないなと思います。この軽やかさはとても心地よいです。

それともうひとつ。音って時間に敏感なんじゃないかなと思います。最近はラジオもポッドキャスト配信できるから、この時間に聞かないと、とか、わざわざ録音してとうようなわずらわしさはないですが、文字よりもずっと時間の感覚を持っている。なんとなく朝話しているから、とか夜話しているとか、そんな空気感もまといながら音は聞く人に届いているように思います。文字は読む人が能動的に読まないと何もささやいてくれませんが、音は寄り添って向こうから伝えてくれる感じですね。この辺の違いも改めて気づきました。

文字と音、普段からたくさん接していますが、こんなにも違いがあるのだと、表現をすることによって気づかされました。どちらにも良さがあるので、文字の表現主体ではありますが、ときにはまた音の表現にもチャレンジしていきたいなと思いました。

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