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本とインスピレーション、そして花

私は本が好きです。

と言っても、年に100冊くらい読む程度なのでそんなに量は多くないなとは思っています。本当はもう少し読みたい。。。

そしてこの本、なんで読んでいるのか?と、ふと思うことがあるのですが、まさにさっきお花屋さんからの散歩の帰りに、そう思いました。そして、その問いは、「本はインスピレーションになるのか?」でした。


まず、「本はインスピレーションになるのか?」という問いがなぜ出てきたかということなのですが、お花にまつわる話を少し。ここ数年、いけばなを修行中なのですが、お花というその存在だけで綺麗なものを、さらに美しくしていく所作がいけばなにはあると思うんですよね。で、この所作が本当に難しい。生きている唯一無二の花という存在を限られた空間に再構成して、更なる美しさへと上り詰めるその過程こそに、いけばなのエッセンスあると思うのですが、これが文ではなかなかわからないし伝わらない。最近は写真や動画もありますがそれでもやっぱり難しい。実際に触れて、感じて、よく見て、手を動かして。それでやっとこさ少しだけわかる、そんな所作の世界です。なので自分でこう生けてみたいと思っても、素敵な作品を写真で見つけても、なかなか上手くはいかないのですが、試行錯誤を経て、生ける花材の美しさを発見し、作品へと昇華していくということが起こります。まさに花と向き合うその瞬間にこそインスピレーションが生まれ、やがて花は新しい生を受けます。


このインスピレーション、何か新しいものを作るのには欠かせないと思うのですが、一体どこからくるのだろ?と花を通してふと思ったのです。これまでの知識?それとも組み合わせ?はたまたセンス?色々思うのですが、全部正しいけれど全部違う気がしてならないのです。全部正しいと思うのは、色々見たり聞いたりしないと、やはり思考は広がっていかないからで、全部違うのは、答えはそこにあるものが知っているはずだからです。お花の話でいくと、お花の性質とか扱い方などはやはり学んでいく必要があることですが、そのお花が一番美しく見える角度はそのお花が既に持っているということです。そして、このお花をさらに美しくしていくためには、手を動かしていくしかなく、その過程にインスピレーションは宿っているのではと思っています。


そして話は本に向かいます。本ってなんで良いかというと、自分では到底経験し得ないことが書かれていて、小説ならばまさに誰かの人生を擬似体験できるし、学術書の類は新しい世界に連れて行ってくれるところにあると思っています。ちょっと人生を拡張できるみたいなそんな感じでしょうか。そんな旅にも似た感覚があるから、私は本が大好きです。

ただ、今回ちょっと気になったのが、この「擬似体験」の部分。もちろん知らないことを知るという意味で素晴らしい出会いが本にはある。先人の知恵にも、これからに向けても本当に様々なことを知ることができます。ただ、「感覚」に辿り着くには、やはり紙から脱出できない宿命で、苦手にならざるを得ない気がしてなりません。

そしてインスピレーション。こちらは試行錯誤というリアルがあるからこそ、周りの様々なモノからのヒントが生きる。なので、リアルな世界にしか存在しないものなのではないかと思います。想いの世界であれば、それはインスピレーションというよりも妄想や夢なのかなと思います。


なんとなく最近の世の中が、本でなくとも、たくさんの情報を貯めておいて、そこから何か最適なものを見つけるということが多くなっているように思います。でもそれは引き出しを開けているだけ、並べ替えているだけなのではないでしょうか。いけばなのように、花の美しさを更なる美しさへ持っていくという過程は、引き出すのではなく、作ることが大事なのではないかなと思います。なので、読んだら試すではなくて、作りながら見つけていくという行動が必要なんじゃないかなと思います。その見つける作業の時にこそ、自分だけでは決して体験することのできない本の中の経験が役に立ってくるのではないかなと。


「本はインスピレーションになるのか?」この問いの答えを今の私が出すとすれば、何かを作る過程の中での「探索中」に出会った本はきっとインスピレーションになるのではというのが、今の所の想いです。みなさんはどう思われますか。


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