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学校卒業が目標だった 夢だった

すいません。これの続きとして、また新しい投稿としても書かせていただきます。

学校がとか 部活入ることが社会に通じるという人には 理解されないことをこれから書きます。それを踏まえて読んでください。

このタイトルの意味

最初に過去のことについて書きました。

 それ以降、8月31日の夜に関連やいじめ・不登校など学校に関しての投稿を書いてきました。

それと類似する部分や同じ部分があるかもしれません。悪しからず。


小中学校の時は将来なんて考えている余裕はなかった。とにかく卒業することが夢であったこと。

とにかく学校卒業(小学、中学、高校)それだけ。怒られる・陰口に先生方の威圧感に圧力、今でいう理不尽な世の中そのものに耐えるのが当たり前のレベル。怒号は当たり前で褒めることはあっても・・・(それは後に書いてます)
(高校後も進学はしたけど将来に見据えたので)
高校は友達作らない 関らない そして部活は絶対に入らない。進学先でもそれを守り行動しました。

なので将来なにやるのか。何をやりたいのか。
それすらもわからないまま (表でそれなりに言った)とにかく卒業すること

それが任務のようにやった。

不登校も許されない環境で
逃げる事すらもできない小学、中学(特に中学)
とにかく様々なトラウマを作って 生きづらい 耐えるしかなかった。


○○のせいと責任の押し付け合い(コロナ渦で思い知らされた)人が信用できない。嫌いになる。

コロナのせい 若者のせい
なんでこう理由をつけるのか
そしてその理由で言うと怒鳴られるのか
他の人はいいのか


なんで なんでだよ

ようやく人と話すこと 話すことへの抵抗感がなくなってきた なのに

でもそれが許されない 感染拡大させている
我慢しろ コロナ以外でもか 怒号や圧力 忖度 間違ったことが正当化してもか
コロナ前に人が信用できないことが当たり前で話しても圧力や周り忖度さらにちゃんとやっているのに否定されること 近くに話すこともできない(隣の市ならできた)

なら人は敵だ そう思ってしまう
コロナのせいだ 若者のせいだ 年配の人優先している世の中のせいだ 全ての環境や人のせいだ
もう生きるのは嫌だ

よくなって
また悪くなって
その繰り返し

気象等の環境や世の中の状況によって
すり減って すり減って
視野が狭まっていく 広くなんてもうできない
自己肯定感は既に捨ててます

これまでどうしたか。耐えるしかない。その当時は

学校時代にある程度 ある程度なんとかなったら
小学はそれがどうにか程度でなった
それ以降は 自力で 誰も頼らずに
一人で戦った
学校は常に周りとの戦いのように感じた
大人になっても 先ほど(以前の投稿からのこと)の経験されて 学校時代の経験が活かせたか?
活かせましたよ
トラウマ思い出したり コロナ禍での人々の行動によって
悪い方向に
耐える原動力なんかじゃない
生きづらい記憶しかない

褒める=ダメな人間になる
それが先生や大人から言われたこと
叱られた 怒鳴られた その記憶は捨てないこと。全て自分この事のように受け止める。自分に関係なくても全て。褒められたことは自分のことではない。上の方々のおかげと。
それは周りから本当に褒められました
でもそれは今思うと後悔しかないです。
大人(先生)の威厳を守っただけの話しかない
自分というのを壊した 周りのために自分の心を壊した。壊し続けた。
楽しいことは小学まで(低学年) あとは勉強だけしてろ
楽しいことなんであとはないんだ ある先生方の会話から言っていたことも。

耐えた先に未来はない
それが理由もあってそう言っています。

過去のこと含めてはこちらのマガジンをお読みください


念に入っておきますが、部活も色々と経験してます。

学校・部活が好きな人。学校・部活から教わった人。さらに親ガチャを否定的に見る方々には受け止めることができない文章です。


そうした経験者は、コロナ渦で苦しく上に、さらに苦しい。

どう言葉で言い表せるかどうか・・・わからない。

わからない。その理由も。

そう言う人達も多くいること。

大人達、この声を無視し続けてきた先生方や学生。全ての方々に

理解することまではいいです。でも

覚えておいてください。そうした声 少数派だろうがそうした声もあることも。


次回は別のこと書きます。

息が苦しいくらいの文章だったことお詫びします。


相談先や支援先も

裏切られたり、支援の偏りもあったり、成果を上げることが命という人も。
(これには色々と書きたいのですが、以前の投稿からそれなりに書いてます)


自分と波長が合う。周波数が似ている。

そうした人間関係がいい方向にできるよう願っています。



ついてに

親ガチャが色々と言われてはいます。

が、学校ガチャというのもあってがな。

秋田県内はほとんどは公立ですので。選択肢はないようなものです。(義務教育内の小中学校のことを書いてます)

近くにもある。けど昔主義で昔はなであえて遠くの別の学校というのも。

転校して逃げる。けど、そうするのにも選択肢の学校もない、例えば担任からの言葉の暴力で逃げても、転勤で逃げた先で会うこともあり得ます。逃げても無駄なこともあり得なくもないです。

小学で色々あり中学校でも話を通してくれる。その支援もあったけど、入ってみたら違っていた。支援もなく、味方もなく耐えなければいけなかった。そうしたこともあります。

学校ガチャというものあり、その時の運しかないのです。

学校関係者からしたらこの文章はよろしくはないと思いますが。


でも、今は相談先などもある。

運が悪く、いいのでなくても、その先・学校外でも味方はいることも覚えておいて欲しいです。



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