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ヤクルトファンになってからのあれこれ(アップデート版 後編)

前編はこちら

前半戦はファンになった03年から12年までのことを書いてきました。

前編で書き忘れたこと

書き忘れたのですが

・少し触れた11年でようやく高校野球秋田県勢初戦突破を見届けた。本格的に高校野球見るようになって約5年以上かかりましたがようやく。
(なお、勝ち試合を見れたのは初戦突破した次の試合で)
本当に勝つのか?と学生時代は思っていましたが・・・(数年前は金農フィーバーが話題になってました。その頃から見るとまあ・・・ また県勢ベスト4以上はみたいな 生きているうちに)

・球団名が東京とつくようになった。(06年)
球団名を変える瞬間もありました。

・11年のCSファイナルステージ中日対東京ヤクルト戦 
秋田ではBSですらも見れない試合になり、ラジオでどうにかという周波数合わせようと苦戦してたら負けてた

がありました。


問題は・・・13年以降です。

ジェットコースターのような展開になります笑



13年から悲願の優勝した15年まで

Aクラス 1回(優勝15年)

Bクラス 2回(最下位13、14年)


この時期は仕事を辞めて個人的にも色々と大変な時期でした。
(今もですが)
(これについては先日まで書いていた過去のことについてのシリーズ投稿をご覧ください)

人間不信になっている最中に加えて精神状態もよくない中に



13・14年は2年連続最下位

これが事あるごとになるとはこの時期は知らず。


この頃は・・・・

希望の光があったか。なかったか

いつものように投手不足と怪我人の多さに戦力不足に悩まされました。


バレンティンが60号

ライアン小川がルーキーながらローテーションに勝ち頭。さらに新人王

なのに最下位


チーム打率等打撃部門はリーグどころがNPB最強

なのに最下位


まあ ネタには困りません笑

とんでもない点差から逆転することもありました。

でも勝てません。


今のように若い選手が出てきても怪我にやられたり、戦力補強も・・・?

が当たり前。


投打が上手くはまれば優勝争い

怪我人が少なかったら優勝できる


できたんです。


2015年に優勝できたんです。


この年はセリーグ各球団が色々とおかしなことになっていた。そんな中で、打線の強さに加えて館山の復活にバーネット含めての中継ぎ陣がよかった。


結果


・投打かみ合った

・山田哲人がすごかった(トリプルスリー達成)

・怪我人が少ない

・少しの他力本願(おい)


クライマックスシリーズもここで初制覇し、ファンになってようやく日本シリーズが第三者目線ではなく、応援しているチームが日本シリーズに出るのと出ないとの緊張感が違うと改めて感じてました。


 まあ、日本シリーズは惨敗でしたが次こそはと思っていましたし、生きる希望といいことがあると思うことができました。

え?相手ですか 察してね(各自調べてください)


次への勇気にも活力にもなりました。


ただ

その次がくるのかと遠く感じることになる。
そう思い知ることになるとは


地獄を味わった16年から19年まで

Aクラス 1回(18年)

Bクラス 3回(5位16年 最下位17年、19年)

この年からは個人的にも色々と動いたりしました。

ようやく仕事に就き、何年も仕事があることが出てきてグッズを買えたり、19年には悲願の2度目のこまちスタジアムでのヤクルト戦を見ることができた。

 さらに、何かの縁なのか

東北楽天・北海道日本ハム・埼玉西武を兼任ファンになるくらいになりました。

(その19年には東北楽天の2軍戦が秋田での開催していたので、初めて2軍戦を見に行くこともありました)

その縁が作る一つとして秋田県勢がすごいことがあったりもしました。


兼任ファンになるきっかけはnoteで書いておりますのでこちらから

(これはアップデート版も・・・移籍した選手に現役引退した選手もいるのでどうするか。当時の事としてくれたら)

 高校野球も母校以外の試合を現地観戦するようになり、活発に動くようにはなりました。


 だた、仕事先では人間不信や精神状態がよろしくない時期が再び起きたとしても収入はあったので、外出で食べて忘れようとしたけど無理だったり、話す先で救われたりもした最中。


チームもジェットコースターのような順位でした。

その最下位のときは

ある年は96敗した

ある年16連敗もした

全球団負け越しもありました。

ダントツ最下位からの2位。
さらに交流戦最高勝率(まあ優勝みたいなこと)もありました。


この頃にあの村上宗隆が入団。それらについてはご存知の方も多いので省略します。


現在の2020から今年の23年まで

Aクラス 2回(優勝21、22年)

Bクラス 2回(最下位20年、5位23年)


2019年5月からは令和になりました。しかし、翌年以降は昨今の事情が出てきたり

 精神状態がヤクルトの順位のように(おい)上がったり下がったりのような状態に加えてより一層人間不信になっていった時期。

 余談ですが、活発に動けていたというのが懐かしく、もうそれも無理かなと思っています。

数年間そういう制限されて

コロナ前から人が苦手になってきているから

それ以降に色々と思ってきて



それは先日までの過去のことのシリーズ投稿で色々書いてます。
(ちょうど、この時期にこのブログ媒体に書き始めました)


その間、球界も色々と大変になってきている中


高津臣吾監督が就任して初年度は最下位でしたが・・・

(あとはnoteで書いてますのでこちらへ)




前半戦では連覇達成のことを書いているのと、色々とご存知かと思うので省略笑



20年前から今まで

小学生の頃にこまちスタジアムでのヤクルト戦をたまたま見て、気がついたら今に至ってます。

もうすぐ20年間スワローズ推しを尽くしている。
今年に書いているのでもう20年です。

(17年からはアニメ好きに戻ったり、ラジオ好きに戻ったり、兼任ファンにもなりましたがそれでもです)


公平なのかAクラス・Bクラスそれぞれ10回ずつ経験
(2022現在で昨年BクラスでしたのでBクラス先行です)

最下位経験が多く経験し、なぜか当たり前になりかけた数年間ではありますが笑


連覇達成していた頃の勝てる時代も

勝つということ事態厳しく・難しい時代も


両方知っています。


勝てない 勝てないと某SNSであーだこーだ言っているけど

勝てない時期を知っている側からしたら

よく頑張っているし、ここまで夢を見せてくれているなら信じてみようや

的なことを思っているのです。




松井秀喜がいたからという些細な理由で巨人ファン(にわか)

たまたまパワフルプロ野球やり始めてから徐々に

そして秋田でのヤクルト戦をテレビで見てより一層

スワローズの プロ野球の 沼にはまったのはこちらです



沼に入って15年を超えて、昨年ようやく初めて日本一の景色を見れたのです。

(その後、人と話すことは翌年の交流戦頃までなく、祝福の声を聞くことはなかったです笑)


ということを

前々から書こうと思って書いていました。



ここまで2000字オーバー


好きになったきっかけということをここまで書いてきました。

で、一ファンとしてのことも番外編として触れていました

それも一応載せておきます。


それも・・・とりあえず書いて載せます。

2/9 追記

こちらで一通りのあれこれを書いてきました。

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