見出し画像

日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#12(2022/6/8)

1.【音楽/ラジオ】「僕は孤独じゃなかった」Vol.1

 これは1991年の出来事。僕は自分の精神世界のすべてがゲームに支配された生活を送っていた。「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「ロマンシングサガ」「クロノトリガー」「アクトレイザー」…などなどゲームにズブズブだったわけだけど、まだまだCDが高価だったから、レンタルでサントラを聴きまくっていた。初めて親にCDアルバムを買ってもらった。

 初めて買ったCDは攻略本の後ろに広告で載っていた、
植松伸夫先生作曲のファイナルファンタジー4の音楽をアイルランドの民族音楽”ケルト音楽”で味付け、アレンジした『ケルティックムーン』というアルバム。

…今も持ってるけど擦り切れるくらい聴いた。今も愛聴盤だけどね。
たまにドラクエの好きなお友達にすぎやまこういち先生とどっちが好きなんだよ?って聞かれるけど、それは愚問だよ。僕から言わせれば植松伸夫先生も僕にクラシカルな音楽をファミコンの音源というかたちで教えてくれたすぎやまこういち先生も、どっちも好きだし、あえて言うならイトケン先生も大好物ですよ。ええ。
「どんな音楽も僕にとっては貴賤上下の差別はない」のである!
話がずれた。

CDアルバムはあるがCDプレーヤーが無いので僕は親に愚図った。

 ある日父が仕事をサボって仕事終わりにパチンコに興じていると、
その日は大当たり!まだ当時としては高級機だったCDラジカセに出玉を交換してくれたのである!その日から音楽漬けの毎日になっていくのだ。

 邦楽との出会いは中学の初恋の同級生までお預けなのであるが、僕がゲーム以外の趣味を発掘した記念すべき瞬間となった。1994年、ほとんど学校に登校せず、友達との接触も少しずつ減っていくような状況の中、音楽だけでは飽き足らず、いよいよ深夜ラジオを聴くようになった。

 普段AMをあまり聴かなかったのは地理的に電波が混線していたのと音質が単純比較でFMのほうが良かったから、という理由だけだったな。で当時聴いていたのが『赤坂泰彦のミリオンナイツ』とか『UP's(現在のTBSラジオJUNK)』『オールナイトニッポン』…。
もうね、音楽やラジオに救われた人生なんだよ。

 おじさんになった今でも、通勤には音楽とラジオは欠かせないし、
病気の特性上深夜まで起きていられないので、ラジカセでmp3に録音して
プレーヤーに入れて持ち歩いて聞いてるんだよね。(次号に続く)

2.花咲かおじさん

 以前もこの日記エッセイで書いたがわが家は単純計算で実に17年ぶりに
町内会の班長を仰せつかった。

 はっきり言って母も僕も乗り気ではなかったけれど、
班長は回り回ってみんな受け持つものなので、シブシブ引き受けた。

そんな町内会の環境保全の一環で、歩道に「交通安全の」旗を立てたり、
「犬猫の糞はお持ち帰りください」といった看板を立てる行事があった。

 その中でもメインイベントは家の前の歩道花壇に、花を配ってくるので、
各家庭で植えるというものだ。例年母や亡き父が植えてきたのだが、
母は仕事で不在なので、僕がその役割を担うことになった。

朝8時30分。
 歩道花壇にはばっちり12個ずつ花が配られた。うちは歩道花壇が2か所あるので、24個鉢が配られた。僕は普段障害者向けの作業所でPCをいじるか、部屋でも音楽聴きがてらネットに興じている日々だったので、花を植えるというとてもシンプルなことが、新鮮に感じられた。

 100均で買ったスコップで手のひらサイズの穴を掘って、肥料を入れカップから花を取りだして植えることを24回繰り返す。朝の太陽も心地が良い。それが終わったら、ジョーロで
まんべんなく水をやる。実は僕は花を植えること自体は嫌いじゃないし、むしろ好みなのだが、水をやるという行為自体が苦手になってしまっていた。

 何故かというと、数年前母の日にちょっとしたプレゼントと共にカーネーションを贈った。数日間母も僕も水をやらなかったので、霧吹きで水をやることにした。
「これからも元気に咲いてね~♪」
そうするとなんということか翌日に枯れるという…(苦笑)

 ちょっとトラウマだよね、真心でやったことで枯れられると。
でも勇気を出して、ジョーロで適度に水をやる。綺麗に花が咲いている。
今日も帰ったら水やりかな。
うちが真っ先に枯れたら恥ずかしいからね(笑)

おまけ:親父の食について

今日は亡き親父の月命日なので、
追悼(?)という意味で地域の食べ物の話題をば。

 親父は納豆に砂糖を入れ、長ネギを刻んだ食べ方が好きだったな。
北海道の赤飯も好きだった。
俺は子供の頃は本州のタイプの赤飯が好きだったけど、
大人になってからは、地元北海道の甘納豆の赤飯が好きになったな。
年齢を重ねると、渋い食べものが好きになっていくものなのね。

 親父が普通に生ラーメン茹でて、ゆで卵入れて、ロースハムに
味のりとナルト、メンマを入れて市販のスープ入れた手製ラーメンのことを
「山賊ラーメン」って言ってたけど、おれが「山賊ラーメン」っていうと
怒ったっけな(笑)

親父のラーメンにでかいおにぎりだいすきだったなぁ。
うちの父の料理は足し算の料理、田舎っぽくて、
味のある料理で毎回味が違う時がある(笑)
母の料理は引き算の料理、まるで見本のように味が統一している。

両親の味って自分を作るよな・・・。

いいなと思ったら応援しよう!