壁に唄えば
19歳の頃に書いた小説です!
だいぶ下手すぎて虚無です。そして原稿用紙50枚分と無駄に長い。でも情熱はあるね…。この時の気持ちを大切にしたい。
やけにツムギに似ている主人公ですが、どれくらいフィクションなのかどうかは…ご想像におまかせする!!!
今、仙台にある専門学校で文芸を学んでるんだ。学費と滞在費には嘘みたいに困ってない。うんざりするくらい困ってない。逆にこのくらい金が無いとゆったりとした学生生活は送れないんだと思うとムカつくよ。
住居は単身赴任の親父のアパート。ちょっとキレ気味な親父なもんで心配だったけど、自分の部屋があるから全然大丈夫だった。私が来るから広いアパートに引っ越したらしい。実家の秋田市のアパートより広い。親父と喧嘩にならない為の配慮だろうけど。色々あって全くバイトに向いてない性格だし、この自由は確かにありがたい。
でも正直最低だ。そもそもその金の馴れ初めが最悪である。専門学校は同じ目標を持つ人はたくさんいる。でもあの人は消えてしまった。あの人も。そしてどんどんみんな消えていって、無くなっていく。夢でさえ会えないかなえのこと、かなえの教授のこと、そしてあの猫もか。流されるまま忘れ気味だけど、最近はあの日のことを書きたい衝動に駆られてきている気がする。
かなえは私が中学生のころまで秋田県羽後町、お母さんの実家の爺さん婆さん、私にとって叔父さん叔母さんが住んでいる、古くて大きな家に暮らしていた。八歳歳上の男の子。正月とお盆に親戚たちはこの家に集まった。ここに集まる理由は特に無いのかもしれないけど、多分、おそらく家がすごく大きいからだと思う。ほんとに羨ましくなるくらいにでかい。二十メートル走ができる畳の部屋、トイレも二つある。でも古く、隙間風が多くて寒い。広々としたリビングは叔母さんが買った素敵な花瓶が並んでいる。
何より好きなものはダイニングルームにある。油絵の猫ちゃんの額縁が飾ってあること。遊びたそうにこっちを見ている、今にも飛び出してきそうな大きいその絵はかなえも大好きで、よく一緒に眺めていた。本物の猫は欲しいけど叔父さんは猫アレルギーだった。でも猫を飼わなくても、この絵がいてくれたら猫がいるのと同じようなものだった。でもやっぱり本物の猫はいいもんだけどね。
庭には大きななつめの木が生えていて、毎年鳥がたくさん来た。正月に来ると物置小屋の屋根までよじ登れるくらいの雪山を作って、スキーウェアを着てかなえに手を引いてもらい小屋へ登った。登っても怒られなかった。土地には大きいスイカ畑と田んぼがあったけど、そのスペースは冬場に雪寄せを一度もしていなく、大きな雪の壁になっていて入れるものでは無かった。冬以外にも畑はあまり入った記憶は無い。
かなえの部屋には贅沢にも縁側があった。私はアパート暮らしで、自分のちゃんとしたお部屋が無く、羨ましかった。三歳のやっと物心着いた頃のお盆、初めて聞いた「どっぽん便所」という得体の知れない言葉が怖くって、かなえの縁側の庭に立ちションをさせてもらったことがあって、お母さんにすごく怒られた。かなえは全然怒ってなかった。笑ってたな。トイレは一年後改装されて水洗になった。この大きな家が本当に大好きだった。
今も数十年後には貰ってここに住みたいとさえ思っている。かなえがいないし、将来的にはもしかして一番若い私がこの家を貰うことも可能だ。なんで来ないのかわからないけど。かなえ、元々我の強いやつではあったんだ。小学生の時かなえが描いた絵を気持ち悪いって言ったの今でも根に持ってる? いや、それは流石にないかあ。O型って根に持ちやすいって言う。いや血液型占い信じてないけど。彼はおそらく根に持ちやすいんだ。でも私B型だけど普通に鬱憤だらけだよ。
今や誰にも会わないなあ。人間関係が変わりすぎてついて行けないよ。私とかなえはちょっと性格がきついから友達が少ないんだと思う。
あの冬、正月。濃い一年が始まった。秋に爺さんが亡くなり、正月は遺品整理大会だった。手紙好きな私のためにたくさんの切手と古いポストカードをくれた。美しいアンティークコレクションから、使うには古臭いカラー写真ポストカードなど色々あった。お母さんの車に積んでくれた。
でかい和室に大量にあった美術品、それを鑑定してくれる人がやってきた。私達は画商のおじさんと仲良くなった。歳は離れていたものの、どうやらかなえの大学の卒業生らしい。話が弾んでいた。
「真田君も教育科の芸術だと、先生は元気にしてますか?」
「ええ、もう九十代ですよ。でも学校の先生になれってうるさいんです」
「教育科だからそりゃ学校の先生になるのが無難だろ」
「ですかねえ。なりたくないんですけど」
「普通考えれば教育科って学校の先生になるためのもんだろ」
でも、私もかなえの気持ちは分かる。こっちも高校進学の時に学校を選んだ決め手、とりあえず自分の一番数字高くてかつ入れるレベルという適当だったから。かなえは頭が良いから芸術を学べればあとは一番頭が良い所を選んだ感じなんだと思う。国立大だしなぁ。
でもこの話の年から数年後、教授が死んじゃってからは確かもう、そういう教育者志望以外の絵をやりたいだけの人は門前払いになった……という話を後にこの画商のおじさんから聞いた。かなえの大学の教授の絵は見たことある。実は私のアパートからだいぶ近所の人らしい。
私には唯一常連客と自称していいお店があるんだけど、そこに先生の描いた白い肌で丸顔の女の絵が飾ってある。近所の郵便局なんだけどね。郵便局はお店じゃないかな? なかなか良い絵だよ。中学二年生の冬から色々あって学校に行ってなかったけど、幼馴染の石本とか何人かの知り合いと文通してる。二日に一回その郵便局に行って、あとは雪かきすれば普通の引きこもりよりはいくらか健康的な自信がある。
かなえは私に言った。
「さなえ、猫ちゃんの絵も見てもらおう、気にいるかな」
「この子が描いたのかい?」
「さなえも絵はまあまあ上手いけど……何だろうあの絵は。藤田嗣治風というか、とにかくいい絵ですよ」
かなえが肩を押したので猫の絵の部屋へ進み出した。
ダイニングリビングにはばあさんとばあさんの妹と爺さんの遺品の話をしていた。なんか、色々押し付けられそうな予感がした。猫の絵はいつものようにそこにいてくれた。
「かわいいでしょ……って、江田さん?」
画商のおじさんはかなり深刻そうな顔をして猫ちゃんを見つめている。
「うーん、ちょっとおばあさんとご両親を呼んでくれるかな……君はちょっと席外してね」
ひどい、リビング以外は基本的に気温マイナスの羽後町のおうちのどこにいろと。察したかなえが自分の部屋に案内してくれて、古びたベッドに上がらせてくれて、ストーブをつけ、毛布をかけてくれた。この頃はスマホも持ってなかったし、携帯ゲームも卒業しつつあったから何もなくて暇だった。というか、冷えた羽後町のおうちでは寒くて電池が消耗して持たない。この頃から勧められたとか友達付き合い以外でゲームは全然やらなかったな。でも小学校の頃の私はしたいことが無さすぎて趣味と言えばゲームと声優ごっこだけだった。お小遣いも使い道が無くてけっこう貯まったな。小学生ながら親より持ってた。といっても一万円前後だけど。
今は全く関わって無いけど、いけすかない幼馴染(石本とは別の)が妙に何かと物を見せ合いたがってさ。付き合いで色々細々数百円前後の文具や雑貨を買うことはあった。でも年に五回くらい自分の物が無くなることがあって、いけすかない方の幼馴染のことは疑っていた。「どうしてなくなったんだ」って半ば演技で泣きついたこともあって、そしたらなんか「見つけたよ」って返ってきたこともあった。そしてしばらくしたらまた無くなったが、その時にはもう泣きつく元気は無かった。小学六年の時に盗られたキーホルダーが堂々と彼女の部屋に飾ってあった時は「もういい加減距離おこう……」とそそくさ家に帰って、小学校卒業と同時にほとんど関わらなくなった。
高校三年の頃一回だけ彼女が道を歩いてる姿を見たことがある。すっごい美人になっててさ。秋田に美人が多いってのは本当だよ。仙台と比べちゃ怒られるかもしれないけど、秋田の友達ほんと美人ばっかで肩身が狭かったよ。
声優ごっこというのは児童ホビー雑誌を石本から貸してもらって漫画を音読する。それだけ。おかげで意外と私は感情豊かかつ演技が上手いらしく、いけすかない方の幼馴染に一度は泣きついて物を返させた経験もある。石本は現在も児童誌を読んでるらしいんだ、信頼できるなぁ。かくゆう私もたまに買ってるんだけどね。それくらいしか共通の話題が無いし。
そうして切手代で意外と金使ってて、不登校になってからは結構小遣いが少なくなった。いけすかない方の幼馴染と同じ他人ありきな使い方かもしれないけど、こっちは全然いいじゃん。
お金か。お金って多かったら便利だし、それなりに楽はできるんだろうね。別に「めちゃくちゃお金が欲しい人生だった」とかは今のところ無かったけどね。でも大金が手に入ってしまったんだ、うちの人たちは。全然一生遊べる金では無いけど、かなりの大金。その代わりあの猫は東京に売られていった。
あの絵の作者は『藤田嗣治』。この絵がうちに来た経路はじいちゃんが知ってたかもしれないけど、死人に口なしだからわからない。でも藤田の絵は秋田の富豪と仲が良かったからけっこう残ってるらしい。小四の時の社会見学で美術館に飾ってる『秋田の行事』見たよ。あれほど大きな絵をくれたのだからその富豪は余程金があったんだろうなと思う。いや、でも別にあの羽後町のおうちが家が大きいからといって金持ちというわけでは無かったと思う。
お母さんは前から欲しがってたイタリアの新車を買ったよ。(来年専門学校卒業して秋田に帰って来る時、私にプレゼントしてくれるのはめちゃくちゃ乗り心地良くない中古車らしいけど……ヒドイ)私には、パソコンとタブレット端末を買ってくれた。あとは学費とお母さんの老後の資金でおしまい。そんなもん。
かなえはその年に実家へ帰らなかった。叔父さん叔母さんは真面目なので仕事を辞めたりすることは無かったけど、次の年の正月は旅行に行ってた。旅行にくらい行く。うちは行かなかった。こっちは旅行に行くような家庭じゃ無い。お母さんは食器やお洋服買うことくらいしか趣味が無い。私の今の趣味はせいぜい物書きと手紙と声優ごっこくらい。
悲しかった。かなえは大人になったんだろうけど、何より悲しいのはあの猫がいなくて、額縁の形が壁にくっきりついていたこと。何も出てこない薄暗い穴があるようだった。あの庭で転げて遊んだ小さくなったスキーウェアはいつの間にかうちから無くなっていた。
そうこうしているうちに中学三年生になってしまった。孤独だった。一応教科書に目を通して教材をやってなんか定期テストも放課後の学校行ってやってみたりしたけどびっくり、数学なんて三十問中十問くらいのとこで時間切れ。人に見せられる点数ではない。唯一国語は何もしなくても八十五点だったけど。今まで先生に目をひそめられるくらい家庭学習が適当でも順位真ん中は取れてたけど、学校に行かなかったことでかなり弊害が起きた。
そして誰にも会わない。石本も県内三番目くらいの高校に受験してるので暇では無く、返事一つ無い。教室にいた頃、「孤独に慣れた」と勘違いしてしまったけれどそんなこと無かった。人と会う時間があったな。今はもう郵便局への往復以外ほとんど無い。流石にぼっちが疲れてきた。あの時、何日かはもちろん覚えていないけど、いつもの帰り道で泣いた。
行動力だけはあると昔から言われていた。かなえの住んでいるアパートの場所は知っている。七月、暇で寂しいので行ってやった。かなえも今年でおそらく大学卒業だ。私の暮らしてた駅裏の商店街、小綺麗な住宅街が多い一方、駅を抜けた彼の住む商店街は歴史が古く、今にも壊れそうな建物がある。市場側で店の量が断然多く、歩いていて楽しい。しかし、かなえはなかなか良い所に住んでやがる。秋田駅前徒歩十分、コンビニが真向かいの小綺麗なアパートだ。
インターホンを押すと受け答えも無くすぐにドアを開けてくれた。
「え、何で来たの。暇だった?」
部屋は片付いているけれどちょっと湿っぽく雑菌臭かった。小さな机にパソコンが置いてあった。ベッドの横壁に紐で吊るされ取り付けられている頭ぶつけそうな電子ピアノ、随分綺麗に使ってるアクリル絵の具。私は全色揃ってるアルコールマーカーを物欲しそうに見ていたら、「ああいいよ」と画用紙と筆箱をくれた。すると何故か急に遠慮したくなった。
「やっぱいい」
「遠慮せず使え」
かなえはふとベッドの横に無造作に落っこちてる松柄のジャガードリュックをごそごそし始めた。かなえの横顔は湿った慣れない駅近アパートでも物語を奏そうな、爽やかな青年になっていた気がする。
何か紙切れを数枚机に置いてきた。東京行きの新幹線チケットだった。
「あの猫の絵見に行かない? 譲り先の画廊がご招待して下さった」
「おばあちゃんたちは行かないの?」
「ネットで本人と話したらあげるよってこれだけ貰ったやつだから。いくら金持ちでも全員分までは流石に催促できないよ」
夏休み、例の絵を見に行くことになってしまった。お母さんが仕事の日に行くことにした。申し訳ないけど面倒臭いので黙って内緒で一泊。ホテルはかなえがとってくれたという。天気予報では全国的に雨らしい。東京の夏の暑さは想像できないが、どうやら比較的涼しい日らしい。
朝八時、かっこいい赤い新幹線がやってきて、かなえが踏み出したから私も足元をよく見て乗った。そういえば私、初めて八歳の時電車に乗ったら、プラットフォームに足を突っ込んで周りを騒ぎにさせたことがあったな。あの頃は本当に、いい意味でも悪い意味でも何も考えて無かった。
新幹線は音楽を聴くのに丁度いい場所だった。とりあえず時間いっぱい始まりの予感をさせる曲を聴きまくった。思ったより東京にはかなり期待してるらしい。かなえもヘッドホンをしてタブレットを触っていたかな。当時私が買ったタブレットも、あれから四年経った今や古い。
そうしてるうちに着いたらしい。
降りると目に入ったのは黒っぽい青のビルだった。人の並は目に収まりきれず、初めての景色にしては、一瞬を曖昧にしか覚えられない。ここだけの話、東京に来るのは初だった。広い。だがかなえにひたすら付いて行くだけでこの辺は全く何も覚えていない。人が増えてきて怖い時はかなえのリュックの紐をつかんだ。
地下鉄に乗ったらしい。人混みの近くに私と似たような歳の女子がいた。
「いやー、一日三回も痴漢に遭う人初めて見たって言われた」
「わざわざ警察に突き出すのも面倒くさくてね」
そうなのか、秋田と違って人が箱詰めだから痴漢もいるんだな。出来るだけかなえの側に近づいていた。変な人とか出てこないといいなぁ。そんなことを考えているうちにあっという間に地下鉄を降り、かなえにひたすらついて歩いた。周りきれなそうなたくさんの店に寄る暇は無かった。でも途中でキラキラしたカフェでめちゃくちゃ豪華ないちごパフェを奢ってくれた。嬉しさに軽く泣きそうだった。本気で、安いのしか食ったこと無かったからね。
本当はどこも入ってみたかった。「ちょっとお兄さん、どうかね」と褪せた老人にかなえが誘われて、仕方なく二人で目的地より小さくて古めの画廊に着いて行くと、今思うとあれは明らかに怪しい勧誘だった。曖昧にかなえに着いていっただけだからここも記憶は薄い。かなえにすぐに引っ張り出されてまた街を歩き出した。目が賑やかだった。広がってゆく全て、どんどん見たことの無い人工物が流れてゆく。ひょんなことから来てしまった初めての東京は、今何処を歩いているのか正直よく分からなかったけど、もっと周りたいと切に思った。
かなえは立ち止まった。白っぽい大きな建物だった。なんていう建築方式なのかはわからないけど、窓のデザインが高そうだった。赤い旗にその画廊の名前らしきものが付いていた。
その建物に入ると木のカウンターや木目のテラスが見えた。和モダンな服を着たおばさまとかボヘミアンっぽい奥様とか、古そうな机の前で凝った彫刻の椅子に座ってる。私は半端なくダサい田舎中学生だった。靴がまずおかしく、薄汚れたグレーに妙な緑の紐。褪せた赤いTシャツとサイズが微妙に合ってない見苦しいベージュのパンツという、穴があったら入りたいコーディネートだ。かなえはなんかそこまではおかしく無かった。白Tシャツとジャガードリュック。すると変な色の眼鏡の男がやってきてかなえと話し始めた。
「社長さん、これはいとこですー、せっかくなので連れてきました」
「こんにちはー、社長でーす」
何の社長かはわからないけど社長らしい。挨拶しておいた。
「こんにちは、いとこがお世話になってます」
「絵、興味あるかわかんないけどお」
かなえは笑って私と社長の顔を見た。
「え、彼女結構見る目ありますよ。こいつ小学生の頃内藤サオキ先生の絵を異様にすごい褒めてましたよ。当時フォロワー三桁だったけど」
「え、マジでえ? 内藤くん今五十万人でしょ」
「それだけじゃ無くって、四月に森ぜらがパクリ騒動で消えたじゃないですか? あいつ一昨年会った時に画集見せたら『なんかこの人の絵嫌い』って言ったんすよ」
その騒動は初耳だったので、つい訊いた。
「森ぜら消えたの? 初耳だよ」
「あの人かあ、消えたよ。パクリまくったから。……才能あるんじゃないか君、予知能力だよ」
「見る目あるんですよ。何よりあの猫の絵をすごい愛していましたよ……」
「いつでも見に来ていいんだよ、早速見に行こっか!」
その建物の中はでかかった。だいぶ大きさがあるぞこれは。貸しギャラリーがある駅近ビルの一階と二階を合わせたほどあったりするのか、なかったりするのか。都内にこんなでっかい建物を作ってさらに絵にあんな金を払ったりするのは、このおじさんは余程金持ちなのだろうかと思ったが、後々から考えるとおそらく高めの貸しミュージアムみたいなものだったのだろうか。
猫の絵だ。仕切りのポールチェーンに囲まれて。
ああ、そうそう。これだよ。ダイニングルームに飾ってあった猫の絵。親戚が集まった時は畳の部屋で飲み食いしたから、かなえんちのダイニングに座ることは無かったんだけど、かなえたちはこの絵の前で食事をしてたんじゃないかな。そのテーブルクロスは青かったはず……。
「公開当時は人がいっぱい来てたんだけど最近は空いててねえ、ごめんね」
ああ、それは昔の話だ。ここは真っ白な壁だった。これはもう「かなえんちの猫」では無かった。ただの「有名な画家が描いた高い絵」だった。もう知らない金持ちの猫だった。もういいや。
かなえと顔を見合わせた。いつもの顔。だがなんとなく察しは付いたらしい。
「おっと、そろそろ時間も経ってきたので、今度また時間ある時にゆっくり来たいですー」
「もっとゆっくりしてってもいいのにー!」
「僕ら学校があるんですー」
「ごめんね、ほんといつでも来ていいから!」
疎い街がまた流れてゆく。そろそろ足が痛くなってきた。実は扁平足なのだ。特に道路のような平らな地面はすぐ痛む。秋田の車社会の弊害か。いや、かなえも痛くなってきたらしい。よく考えたらうちは扁平足の家系だ。
また地下鉄に乗ってどっかへ行った。昼間の痴漢の話は既に気が抜けてたけど、異常無く降りた。ふらふらと歩いてつい年甲斐も無くかなえの腕にぶら下がった。
「重いよ、やめて!」
慌てて体制を直した。必死に歩いていた。いつもの背負い慣れたリュックに適当に入れてきた荷物だけ持っていた。だが一目で分かるほどいつも以上に詰められている。早く降ろしたくてしょうがなかった。
そのホテルは本当に細かった。これがホテルなのか?という細さだった。人二人通れるか通れないかのとんでもなく細い廊下で、高さは五階だった。私たちの前にいたのは「こんな細さのホテルにそんな大勢で泊まるのか?」という人数の外国人の団体で通れない。かなえも私もこの狭さは思ったより辛く、こんなに閉所恐怖症だっけかと思った。
なんとかチェックインを済ませて部屋についた。すっごい狭い部屋にベッドが二つ、テレビが壁にかかっていた。さらにむちゃくちゃ狭い風呂とトイレも入っていた。
私たちは自然と適当にベッドに座って向かい合ってへらへらした。
「むちゃくちゃ狭いね」
「江戸時代の長屋ってこんな感じだったんだなあ」
しかし、三十秒くらいでかなえはすっと立ち上がった。
「ご飯行くよ」
「また歩くの……」
ラーメン屋さんだった。三百円の。東京まで来て激安ラーメンかあ。
机に座るとかなえがお水を持ってきてくれた。
「今日は色々ごめん。許して」
「いや、むしろかなえにお金使わせちゃったよ」
「明日はさっさと帰る。それまでどっか遊ぶ?」
「もういいかな。てかお母さん明日も仕事だ。今日もだったんだよ。面倒臭いから黙って来ちゃったな」
ラーメンが運ばれて来た。疲れと街からの疎外感でなんでここにいるのかよくわからないまま啜った。まずいってわけでも無いけどなんとなく重くて食べづらく、同じ値段のチェーン店ラーメンの方が食べやすいものだった。
「来年から東京で暮らすよ。帰るつもりも無いよ」
かなえでさえ疎かった。
「仕事あるの?」
「一応縁があって拾ってくれる人はいた。どうなるか保証は全く無いけど。好きなものを作って生きられる」
何者よ、と聞きたいのは我慢した。
「あんないい家を持ってるのに出て行っちゃうのはもったいないと思うけどね」
「やっぱりお前は前世猫だな。人より家につく。あそこ好き?」
「うん、好きだよ。他に行く気も無いよ。むしろあのかなえの家、ゆくゆくかなえがいらないなら貰っちゃおうかなって」
「親父に言っとくわ。喜ぶよ。いや僕も嫌いなわけじゃ無いんだけどね。ちょっと不満はあるけど、でもそれは多分東京も同じだろうな。同じようにいい人がいて悪い人がいて僕のことなどどうでもいい人はもっといて」
「東京初めて来て思ったのは、何処まで行っても孤独ってことだなあ。かなえがいてくれたからまだ良かったけど。学校行きたくないし秋田だろうが東京だろうがどこにも行くあてが無いんだなあ」
「なんで行きたく無いの」
「はは、昔は言えなかったけど今は言える。今は嫌いなものを嫌いと言い過ぎなのかなあ。我慢してたら溜まっていって、そしたら爆発したらやりすぎて。んで嫌われてったから。簡単に言うとそんな感じかな。私の人生なんなのだろう。まずそもそも校則が最悪」
「校則かあ。俺も制服嫌いだったなあ」
「セーラー服については可愛かったからギリ許せたんだけど。最悪だよ! 今年度不登校多くてさ。その中でも一番つまんない感情で人生棒に振ってる自信があるよ! 人生に迷ったらそれでどうしていいかわからないなりに適当に生きちゃって、でも自分の感情は余計に捻くれてる気がして」
「もう仕方ないよ。諦めを効かせて新しい道へ行け。でも引きこもるなよ。運動しないから体力が落ちて余計動けなくて引きこもる悪循環」
「でも秋田の冬ってほんと外に出る気が失せるわ」
「元気無いのはほぼほぼそれのせいだから仕方ないな。おばさんの雪掻き手伝えよ」
道でさえ雪で埋もれてしまうけど、私は自分の住む商店街近くもかなえの家も好きだったんだよ。思い出すことが私を引っ張ってるのか、救ってんのか。わかんない。
「ん、これから大雨っぽいから早く帰ろ」
かなえがそう呟いたので、ラーメンを一気に食べ切った。
帰りは怖いくらい静かでじめじめしていた。あの細いホテルに帰ったら雨が降る前に寝てしまった。
目が覚めると六時丁度で、かなりの雨が鳴っている。締め切った狭いホテルは空気が詰まりそうで怖かった。信じられないけど、東京じゃ四六時中エアコンを付けるんだな。うちは寝室にエアコンが無いし、かなえの家にはあんなでかいのにエアコンが一個も無い。テレビを付けると見慣れぬニュース番組がやっている。全国的に雨らしい。
最上階のラウンジで弁当を食べた。カレーが辛くて結構我慢した。
ホテルを出てまた地下鉄に乗って駅に着いて、ほんのちょっとだけ時間が許す限り買い物をした。持ってきた小遣い。お母さんの為にキャラクターの缶菓子を買ったり、自分用にレターセットを買ったりした。デザインが洗練されててかっこいい。
ストリートピアノがあった。偶然にも誰もいず、かなえが座る。
「どうせ卒業式行かないだろ」
「うん、行かないよ」
「実は俺も行かない。大学の卒業式って出なくても良いんだぜ……」
「何で出ないの」
「出来るだけ早く準備しろって言われたってのもあるけど、単に顔出しづらいのかなぁ。だからちょっとここで卒業式しちゃおうぜ」
「歌うのはちょっと〜」
「別に適当にしててもいいよ。何弾く?」
かなえは『レットイットビー』を鳴らした。楽しそうだな。私が今更勉強してもなあ。卒業式どころか、色々な期待が小さくなって心の隅に消えてる。だが次の年に、中学の卒業式みたいなモノには連れて行かれた。少人数に証書を応接間で渡してくれるだけの。その年は酷くてさ、怨霊いたんじゃ無いのかレベル。私以外に不登校が二十人くらいいたし、先生でさえ何人か病んで休職する始末。何のせいなのかは本当に知らないけど、私はなんとなくどうしても行きたく無かった。それが今の道で、それが正しかったのかどうかは知る由も無い。勘はまあまあ良いんだよなあ。自分のことはほんと何も分かんないけど、人のことはたまに解っちゃう。自分のことがわからないので嫌われてゆく。
かなえがお茶とマカロンを買ってくれて、帰りの新幹線に乗ってそれを食べた後は静かに眠った。午後の五時頃にいつの間にか着いていた。長々昼寝ができてすっきりと降りた。秋田はだいぶ豪雨だ。私は傘がない。傘を買うのももったいない。かなえは私を家までゆるい折り畳み傘で送るらしい。そのついでに教授の家まで用があるから行くという。私はちょっとなんとなく、かなえと離れたく無い勘が働いた。
「待って、でもお母さん居ないしなあ。大雨不安」
「もう高校生なのに」
教授の家と私のアパートはごく近所だという。近所の郵便局に飾ってあるあの絵の作者が教授。道中靴びっしょびしょ。リュックは二人とも防水なので無事っぽい。夏の日長で辛うじて薄明るいが、随分と暗い光である。
和風な佇まいのちょっと古めな建物にかなえはインターホンを押した。するとしゅっとしたおばあさんが出てきた。最初私はその教授の娘かなんかだと思ったが、どうやらこの人が教授らしい。イメージとはかけ離れた若々しさだった。なんとなく流れで家に入った。ちゃぶ台の前の座布団に座らせられた。奥のアトリエで二人が見える。教授はなんか怒ってる? いやそこまででは無いだろうか。かなえは可愛く無い含み笑いをする。私の方を見て……おそらく雨と私の自宅の話だろう。近所の郵便局で見た絵の画風の絵があの部屋からちらっと見える。二人は廊下に出た。
「タクシー代を貸すからさっさと完成させなさい」
かなえは私の方を見て笑って手を振った。
「それじゃあ、お疲れ。お母さん迎えに来るからね」
出て行く音が聞こえた。すぐにそろそろと玄関側から教授は歩いて来た。私は慌てて叫ぶ。
「いつもいとこがお世話になっております」
「ええ、こちらこそお世話になっております」
そっと向かいに座った。
「あなた近所だってね。お母さんにはかなえが連絡してくれるって。ここら辺、昔は全部空き地か田んぼだったよ。あなたはギリギリ分からない世代でしょ」
「そうらしいですね。詳細は分からないですが」
あ、今の返し方はまずかったろうか。そう思いながら沈黙していた。しばらくして私はまた口を開く。
「ああ、近所の郵便局に先生の絵ありますよね。あれすっごく綺麗です」
「あれかあ、うん、あれねえ」
その絵についてコメントは特にくれなかったが、絵について興味を示したのが嬉しかったのか、図書館の本を持ってきた。
「生徒がね、この本に私付いてるって」
「え、知らないうちに?」
「うん」
「色々大丈夫なのかなそれ」
「そうだね」
教授は淡々とした返事だった。それは『秋田の画家たち』と書いてある本だった。割と厚い。
「この四ページもかけて付いてる人は私の師匠だね。お亡くなりよ。あ、この人は死んでる。この人も死んでる。二十年前の本だからお亡くなりって書いてない人も多いけど、二十年も経てば増えるね」
「あ、この人近所の美術教室の先生ですね」
「あの人はまだまだ生きそうだけど。あ、この人も死んでるねえ。この絵上手くない?」
「上手いですね」
「でもこの人はちょっと下手だなあ」
「確かに、『鑑定団』に出てくる贋作みたい」
「そうなのよー、かなえの方が上手い」
「かなえ、東京でなんか仕事?貰ったらしいですよ」
「ふん……そうなの」
「卒業式は行かないって。かなえと上手くいってないんですか?」
「うん、いってないよ。息をするよう意見が分かれるし」
「……先生になりたくないって言ってたなあ」
「うん、そりゃなりたく無いよね」
「中学生の前でそんなこと……」
「あなた中学生なのね、何歳?」
「十五歳」
「じゃあ現実でも教えようかね。芸術の講師あるまじきだけど」
教授は立ち上がった。大雨の轟音で静かな動きが更にかき消され、我らは霧のような存在感だった。さっきかなえと二人がいた隣の部屋に案内された。割と丁寧に整頓された、汚く無いアトリエだ。可愛い日本画の絵の具がチョコレートみたいに並んで、額縁が並ぶ中央にかなり大きな裸婦の絵があった。それに教授は指を刺したのだった。
「これ、私が死んだらどうなると思う?」
「え、売ったり……?」
「これはね、ほら。ドアよりも背が高いでしょ。だからこのドアか絵をノコギリで切って捨てるかのどっちかなの。壁代まで払ってくれる人いると思う?」
「お金があれば貰いたいところです」
「そう、本当に買い取るかはおいといてあなたもリストに入れとく。画家はね、安く売りたくないの。壁を壊すなら尚更。オッケー?」
「えへへ、私が金を稼げるまであるかなあ」
「私ももう長いわけじゃないないんだよ。かなえ、色々余裕そうだったからあなたの家お金あるんじゃないの?」
「一応まとまった金があるにはあるのですが……。私の学費と親の老後の金です」
「頑張ってもう十年生きると言いたいとこなんだけどね」
ちょっと暗い声で呟いた。すると教授は振り返り、紙袋を探って色紙を持って来た。
「かなえ、卒業式には来ないんでしょ。本当に来ないのね?毎年学科のみんなに絵をあげてるんだけど、それ渡してもらってもいい?」
「あれ、色紙何も描かれてませんよ」
「今さっさと描く。何がいいかねえ」
その時、電話がかかってきて教授が席を外した。相手はおそらくかなえのようだ。すぐに切って戻ってくる。
「ちょっと嵐だから色々あってお母さん遅くなるって」
「ごめんなさい」
「なんもなんも」
雷が鳴った。すると電気が消えた。
「うわ、今さっき電話来て良かったね。大丈夫?」
「全然全然、大丈夫です」
暗かった。曇天の夏の六時の明るさではあるものの、電気の消えた暗さだった。
教授の絵が壁にうっすら並んでいる。真ん中には描きかけの大きな絵が立てかけられていた。そしたらほんの一瞬だけ、かなえの家にあったあの猫の絵を思い出してしまったんだ。でもそれは寝かけた時の夢のようにすぐ飛んでいってしまった。雷鳴の光が一瞬鮮やかに絵を照らした。裸婦の形は目の痛さとかいやらしさとか、そういうのは全然無い。淡い色も目まぐるしく変わる世界と調和していた。今度は壁に向かってる自分に神経が向かった。どこかつまずいてしまった自分に。でもそれさえ通り過ぎる。雷鳴で鼻先が白っぽく光って邪魔に思った。でも、昨日新幹線乗ってる時みたいに何か始まる気がした。教授はしらっと呟いた。
「虚空に向かって何かを描くことは、その名の通り『虚しい空にえがく』なのかもしれないけど、虚しい中にも最高のものはきっとある。ただの壁も、空も、光ってくれるよ。かなえやあなたもそれを見つけて往くんだから。……それじゃあ、『絵を見ているあなた』にしよっか」
「え、かなえに贈る色紙をですか?」
「もちろん!」
電気が消えて二分くらい経つと、小さくリンと音を立てて復旧した。
先生の人物画にはかなり独特の画風がある。だから正直私の顔に似てるかどうかと言えば、そんなに似ていない。しかも私の絵をかなえに贈るのかあ。五分くらいでさっさと描いた。昨日と同じださい服もそのまま描かれ、鼻は雷で光ってる時みたいな白光りだった。
「水彩だから、お母さん来る前には大体は乾いてると思う」
お母さんが来たのはそんなに遅くはならず、七時過ぎだった。教授に二人で謝って、軽く世間話をした。
「どうも、さようなら」
「じゃあ、かなえによろしくね。お元気で」
雨はだいぶ小降りになっていた。家に帰ってかなえに贈る絵をお母さんに見せると、「あんたもこんくらい頑張ればいいのに」とうるさいことを言われた。
数ヶ月経った。あんまりやりたくないけど受験をした。例のお金があるからか、親はすごく余裕な様子で「まあまあ、とりあえず頑張ってみな。精神的にだめだったら他も考える」と。一応合格したようだ。後から知った。だいぶ下位の高校だけど、試験の順位は現代文以外全部下っ側。落ちたなあ。学校さえ行ってれば真ん中の高校には行けたのに。勉強を諦めたツケが回って来てしまった。勉強自体が嫌だった訳じゃないんだよ、という言い訳は今更効かない。石本は余裕で県内三番目の高校に合格したらしい。
それで、正月にまたあの家に行った。渡す物があると伝えたらかなえも途中で来てくれた。かなえも私らも泊まらずすぐ帰ったけど。おじさんおばさんとおばあちゃんは今年は旅行に行ってないようだ。かなえはもう大学に行ってないらしい。
「大学は単位を片づけると行かなくてもいいんだよ。高校も片付けると行かなくてもいい所もあるよ」
「んじゃあさっさと無難に片づける」
「赤点取ると帰してもらえないけどね」
「かなえ、ホントにホントに卒業式来ないんだよね?」
「うん」
「これ、教授から預かったやつ」
紙袋に入れた色紙を渡す。袋から出したかなえは笑った。
「お前かい! お前のこと忘れないよ、教授もね」
なんか、私とはもう会わないことが前提みたいな口調だ。よく考えたら教授もそうだったような。孤独だあ。
ちゃぶ台の前を親戚たちが囲んでいた。流れでかなえが私に話しかけた。
「さなえはそういえば、欲しいんだよねこの家。どうせ俺は東京で暮らすし」
かなえが言うと、おじさんは本気なのか冗談なのかわからない口調で
「だれさも住まねよりはええべ」
と言ってくれた。
「ずっと後の話ではありますが、どうか覚えといてください」
卒業式はだるい卒業の言葉さえは叫けばされなかったものの、例の証書を渡すだけの小規模のものは行われた。今年度の私含む不登校の多さにドン引きした。年頃というものもあるけれど、みんな色々あるんだと思う。でもそれでも流石に今年は多すぎる。
みんながみんな他人が嫌いだ。だから学校にもできれば行きたくはない。でも私は秋田自体は好きだ。何故だろう。東京に行った感想は「すごく息苦しい、特に建物。見た目は面白いけど入ると密封」だった。人につくんじゃ無くて場所につくのかなあ。前世は猫なんだよ。
よし、適当に生きるぞ。猫みたいにね。そう決めた高校では無難に最低限のノルマを頑張り適当に遊んでいた。文芸部に入った。ただ本を読むのが好きな人、声優志望、あと文を書くのが好きな人がいた。私は文を書くのが好きな方だった。あんまり他人行儀な友達しかいなかったけど、本は色々貸してくれた。声優ごっこは好きだし、声優という職業自体はすごいとは思うけれど、本当に興味が無いんだ。なんでこんなに興味が無いんだろう。
その年の冬近くに地元のニュースサイトで教授が亡くなったことを知った。頭の隅にある既にもう有象無象になっている絵たち、かなえの優しい声も、教授の言葉も、あの羽後町の楽しい家も。スマホが嵐のように情報を流してくることも、小中学の頃のバカみたいな文章の稚拙さもだんだん消え、百枚相当の原稿が完成し新世界を創ってしまったような喜びも。もっさりとした流れが全てを攫って行った。
全てを流し、時は流れに流れた。真っ暗な個室でタブレットを打ち続けている。画面の光が自分の鼻を白く若干照らしていた。咳払いをした動きでトイレのセンサー電気が付いた。専門学校はとても綺麗なトイレだった。豪華作家講師陣揃いなのも、学校のトイレがやけに豪華なのもこの学校はすごく学費で潤ってることを伺わせる。
例の金のお陰で困ってない。仙台の高っけえ物価も。もちろん一生働かなくてもいい金ではないから、このままのわけにはいかないけれど。
かなえは今日まであの日以来会うことは無かった。でも、最近動画アプリでかなえの曲が流れてきちゃって慌てて閉じちゃった。かなえは妙な詩人の男に拾われ、バンドを組んで作曲している。目が不自由な人が持つ白杖を持って写真に写る弱視の男だった。長い髪の毛を真緑色に染めている。二人の他に気の良さそうな金髪のドラムの男と、化粧が滅茶苦茶上手そうなベースの女も写っている。どちらかと言えばかなえは地味キャラ。東京はすごいな。派手だな。その緑の男の詩は上手い。かなえが惚れるのも分かる語彙力と世界観だ。歌も彼が歌っている。上手いんだけどでも良くも悪くもやかましい。欲が強い。やかましくでかい声であわよくばどこまでも、みたいなやつだ。少なくとも私には届いたらしい。声がまるで喉から伸びる腕のような感覚の者だ。辛い時に聴くと素敵だけど、穏やかな時に流されると強盗が来たのかと思っちゃうような声と詩だった。かなえのイメージとは逆だ。こんな人に惚れ込んだのか。気持ちは分からなくも無いけど。
私が何をしているか。そうだよ、書いてるんだよ。自己満足に書いてノコギリで切って捨てる気持ちにもなれなければ、金を産む鶏にする気にもならないこの気持ち。でかい声でかなえに届くまで飛ばす気にもならないものだよ。
好きなものを書いて生きる前提の勉強ではあるものの、それで食っていくことは余程実力があって運が良くないといけないので、ライター職業訓練も参加した。しかしこれがまた辛くてさ。「これ、私がやる必要無くない?」的なものを自給二百円で書かされたよ。あの盲目の詩人の気持ちがなんとなく分かった。自分を殺して書くことは辛いのだ。だからちゃんと届いて欲しいのだ。ちゃらんぽらんに生きて、不幸でも無く幸福でも無く、特に何も残せぬまま今日無事二十歳を迎えた。十代最後の日は何をしていたかと言えば、眉にシワを寄せてパソコンに向かっていた。何を書いていたのか……を語るのは、やめておこう……。
ひと月後、夏休みに秋田市へ帰って来た。相変わらずアパートに自分の部屋は無いし、暇だったから外に出かけた。
駅近の貸しギャラリーのビル、遺品整理の時に世話になった画商のおじさんが出店していた。元気だった。そこで教授の絵を見たんだよ。
「わあ、教授の絵だあ」
「死んじゃったよねえ」
「欲しいかも」
「すぐお金出せないでしょ?」
「はい、学生なもので」
「入ってもすぐ売れちゃうよ。一応大学教授ってのもあるから秋田ではそれなりに売れるんだ。県外に行くと知ってる人はおらんがなあ」
ああ、じゃあきっとあの絵を処分すること無く買ってくれる人もいたかもなあ。そもそも未完成だったから完成したんだろうか。私は一応お金は無い。あの絵がどうなったかは知らない。亡くなった時の高校生の少ない小遣いでは、流石に走ってでも買おうとは思わなかった。
可愛い展覧会のようなビルの貸し部屋に、教授の絵以外も絵画がたくさん並んでいた。埃がすごい。鼻水がダラダラと出てきたのでティッシュを貰った。来る人来る人けっこう鼻水が出るのかな、ティッシュはかなり用意してるみたいだ。
端っこの壁に、簡単な線で大雑把に描かれた肉と野菜を挟んだハンバーガーみたいな色の、しましまの四角い猫が飾ってあった。油絵だ。正直あまり上手くなければ、ユーモアのセンスも微妙だった。題名は「ライオン」、六千五百円。
「これ変なライオンだなあ!」
「俺の友達だったよ。これ、額縁で誤魔化してるぜ。五千円くらいの額縁で絵自体は三百円だよ」
私がこの前書いた虚無な記事でさえ、色々雑費を抜いて二千円貰えたのにな。
「えーっかわいそう、その友達知ったら悲しみますね」
「もう死んだよ。教師だった。個展やって、生徒の親御さんがお世辞で買っていることなど知らずにいい気になってなあ、退職してパリに行くって言い出した」
「パリに行けば自分は藤田嗣治にでもなれるとでも思ってたんですかね」
「そうなんだよ、彼は実際そうだった。こんな鼻で笑っちゃうような絵でね。でもそんなバカなこと言うなと言われたのか、結局行かなかったな。最近死んじゃったよ」
ライオンは間抜けな顔をして、愉快に壁へ掛かっていた。
おじさんにさよならを言って貸しギャラリーを出ると、エスカレーターの壁のガラスに反射した自分を眺めてちょっと口をすぼめる。よし、書きたい。届こうが届かなろうが、書きたい。どうでもいいことかもしれないけど書きたい。末路がパリの夢を見ているライオンでも。壁から目を逸らし、エスカレーターを降り流れるようにビルを出て街を走った。
ライオンは、パリの夢を見ていた!
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