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【未来予測②】グローバル社会の中で"由利本荘市のごてんまり"はどうなっていくのか

こんにちは。秋田県由利本荘市でごてんまりを作っています〈ゆりてまり〉です。

こちらの記事で、由利本荘市のごてんまりが既にグローバルマーケットで手まり事業を行っている人たちにとっては非常に利用価値があること、グローバル社会の中でプランテーション農業化する可能性があることについて書きました。
しかし、もしかするとこの予測は未来のことでなく、もはや始まっている「現実」なのかもしれません。

具体的に狙われるのはこんな人

既にグローバルマーケットで手まり事業を展開しているところが地域に入ってきて、そういう内職の仕事が実際に行われていたとしても、わたしを始めほとんどの市民は気づくことができないと思います。
わたしがそう考えるのは、そういう内職の話は人を選んで、かつ水面下で行われると考えられるからです。

内職の話を持ってくる人たちの目的は、一定のレベルを習得したまりの技術者の大量確保です。
だからこそ、広く呼びかけてとにかく人を集めるという方法はとらないでしょう。
つまり広報やSNSで呼びかけるのではなく、おそらく地域のサークルに直接来て話すという、オフラインのアプローチになると思われます。技術者一人一人にアプローチするのではなく、ごてんまりサークルの構成員全員に呼びかけてまとめて仲間にするイメージです。
狙われるのは、ごてんまりの活動をする上で個人の名前を出すのを嫌がる人、一人では活動できないけれど皆とならできる、というタイプの人です。
皆がいるときに話を持ち掛ければ、「ハッキリものが言えない」タイプの人は自分だけNOを言うのを躊躇いやすく、その分まとめて仲間にしやすいと考えられます。

そういうアプローチはわたしのところにはまず来ません。技術はあっても個人の信念があり、めんどくさいことばっかり言う奴を一人捕まえても非効率だからです。
また、そういう仕事は内職ですから事業所などもなく、皆それぞれの自宅やサークル会で作業します。外からは何をしているのか、全く分かりません。
"由利本荘市のごてんまり"のプランテーション農業化は、誰にも気づかれることなく、静かに進行する可能性があります。

由利本荘市の技術者が応じる可能性、そのメリットは?

さて、これまでは主にごてんまりのプランテーション農業化が進む外的要因について見てきましたが、内的要因についてはどうでしょうか。
つまり、傍から見れば「明らかに見下されているのではないか」と思われるような内職の仕事を、由利本荘市の技術者が応じる可能性はどのくらいあるのか、という問題です。

残念ながらわたしは、その可能性はかなり高いと考えています。
時間給でもなく事業所もないということは、時間と場所に縛られずに働けるということでもあります。そこに魅力を感じる人もいるでしょう。
そしてそれ以上に、彼らにとっては名バレしない、顔バレしないことが何よりのメリットに感じられるだろうと思うからです。

2021年の秋田空港に出現した責任者不明のごてんまりディスプレイについて、由利本荘市の観光振興課に問い合わせたところ、「問い合わせ先を明記していないのはとくに理由はありません」と返答がありました。

「お客様に迷惑がかかるから、問い合わせ先を明記して欲しい」とこちらが何度求めても、その電話では決して「分かりました」とは言いませんでした。
由利本荘市の人間にとって、名前を出さずにごてんまりの活動をするというのは、あまりに当たり前のことのようです。「なぜ名前を出さないのか」と聞かれても明確な理由はないらしいのですが、名前を出すことを求められると、無意識ながら強い抵抗を感じるようです。
名前を出すことに抵抗を感じる人にとって、内職の仕事は「顔バレしなくて済む」と、有り難く感じられるかもしれません。

では、賃金はどうでしょうか。
地元ではごてんまりのガチャガチャが1個1000円で販売されています。

売値が1000円だと、作り手に入る実質的な金額は1個数百円程度でしょう。
ガチャガチャのカプセルに入るようなサイズのまりを一つ仕上げるのに、わたしの場合どんなに急いでも3時間はかかります。
わたしにはちょっと信じられませんが、このような単価数百円のまり製作を既に請け負っている人がいる以上、同じような金額で県外や海外向けに数十〜百単位で請け負う人が出てきてもおかしくないと考えられます。

ごてんまりの作り手は、その多くが高齢者であり、女性です。さらに彼らのほとんどは既婚者です。
生活のためにまりを作っている人はむしろ少数派で、そのため賃金の多寡が彼らのやる気に直結するわけではないとも考えられます。
とくに高齢者の中には、単価数百円の仕事を「ちょうどよい小遣い稼ぎ」と感じる人がいるかもしれません。

ごてんまりの未来はどうなるのか

自分の能力を何のために使うか、どんな仕事をするかはその人の自由です。しかしわたしは、ぜひ自分の価値を自覚して使って欲しいと思います。
由利本荘市でごてんまりを作っている人たちは、自分のやっていることを単に「趣味」とか「暇つぶし」と考えているかもしれませんが、それは見る人が見れば非常に価値のある能力です。
自分の価値に無頓着な人間は、ほぼ必ずビジネスの上手な人に都合良く利用されます。

おそらくわたしがごてんまりの未来に明るいイメージを持てないのは、ごてんまりを製作している地域の女性たちが、自信を持って主体的に仕事をしている様をうまく想像できないからでしょう。
ごてんまりの未来を明るくするためには、活動の場を県内にするか県外にするか、それとも海外を見据えて活動するのか、といったことよりも、地域でごてんまり製作に携わっている人たちに自信を付けさせることの方が重要なのではないでしょうか。

これまで国内や海外の都市部に向けた内職の仕事を、まるで危険物のように語ってきましたが、需要があり仕事があるのは純粋に素晴らしいことです。
問題は由利本荘市の作り手に交渉能力がないことです。そのせいで、あまりにもいいように使われすぎる可能性が高いこと、仕事を引き受けすぎて地域ごと疲弊する可能性があることです。
きちんとした仕事をし、いたずらに傷ついたり疲れたりしないためにも、自分の価値を自覚して自信を付ける必要があります。
そのためにはまず「わたしはごてんまりを作っている◯◯です」と名乗れるようになることではないかな、と思います。

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