まくむすび(1)

こんにちは、秋乃アキです。
今回は私が脚本を書き始めるきっかけの話をしようかなと。

1.演劇部への入部
私は大学時代、美術部に入部していまして、部の先輩男子が演劇部と掛け持ちだったのです。二年生時、演劇論の授業を取っていたこともあり、なんとなーく興味があったので先輩にお願いして活動見学をさせてもらうことに。

興味はあるけど人前に出る勇気はないので、心の中で「まぁ、やるとしても照明だなー」と思っていたところ、先輩から「今、人手が足りないから読み合わせ(作品内容を理解するために、役者達が台詞だけでやりとりする稽古)やってくれる?」と。恥ずかしいけど読み合わせをしたら、先輩や同級生の女子から「初めてなのに上手!」「役にハマってたね」と褒められて、見事に役者として乗せられたわけです(笑)

部員は先輩、同級生に加えて、照明兼音響の先輩男子の計3人。そこに私が加わって4人と少人数でしたが、逆に少人数だからこそ入部しやすかったのかもしれません。

2.演劇部の活動
初めての演劇経験にも関わらず、役柄的に私が主役を演じることになりました。主役なのでもちろん台詞量も出番も多く素人にこんなんやらせるのこっわと思いました。今でも演目や大体の流れは覚えていて、ポスターが部屋の扉に貼ってあります。腹式呼吸。バミリ(役者の立ち位置がわかるようにガムテープなどで目印をつけておくこと)やエチュード(即興劇)など、今まで経験してこなかった世界なので驚きと混乱の嵐でした。

そんなこんなで迎えた新入生歓迎公演。狭い舞台なはずなのにとても広く感じられて、キャパが少ないはずの観客席にはとても多くの人がいるように思えました。照明が暗くなって、音が消えて、幕が上がって。意外と上演中はお客さんの顔は意識しないんだなとびっくりしました。小道具を落としてしまったり、台詞を忘れてしまったり、上手下手を間違えてしまったり。

予期せぬハプニングはありましたけども公演が終わって、カーテンコールの際に光の洪水というものを初めて体験しました。歓声が鳴り止まず、汗や涙で前が見えなくて、気づいたら一番仲の良い友人と抱き合って泣きそうになりましたね。その友人はデザインの道でがんばろうとしていて、人からとやかく言われようがとにかくがんばってきた奴なんで、やっと認められたなという気持ちがしてすごく嬉しかったです。先生方からも「君は人前に立つような子じゃないと思ってたからすごいよ」と声をかけられて、あのときの報われた気持ちはきっとこの先も忘れることはないでしょう。

3.上演後の変化
元々、裏方志望だった私ですが、新入生歓迎公演を経てもっと役者をやってみたいという気持ちが湧き上がってきます。同級生が3人。後輩が3人も入部してくれて4人編成だった演劇部はあっというまに大きくなります。照明、音響、広報、服飾、小道具。それぞれの得意分野を生かして担当する係がどんどんと決まっていく中、あるひとつの疑問が浮かびます。

「そういえばこの演劇部の脚本って誰が書いているんだろう」

聞いてみると先輩が書いたものだったり、脚本投稿サイト『はりこのトラの穴』から探してきたり、演劇部には脚本専門の人がいなかったのです。まぁ、どの高校・大学でも脚本専門の部員は少ないと思いますが、その先輩も脚本の執筆暦が長いわけではありませんでした。新入生歓迎公演もはりトラから探したものです。

演劇部のUSBにこれまでの脚本データが入っていたので確認すると、ここで私の人生を大きく変えた分岐点だったのかもしれません。今までの先輩方が残した脚本は、演劇について全くの素人である私から見て、すごく失礼なことを言ってしまいますが「めちゃくちゃつまらないな」と思ってしまったんです。脚本を書いた経験もないのに「これならまだ自分の方が面白いものが書ける」と。生意気ですね。

とか思っているときにちょうど、同級生の知人が「学童(正確には学童とは少し違いますが)で子どもに向けた上演をしてほしい」と依頼がありました。これは千載一遇のチャンスだぞと思い、脚本を書かせてほしいと部員にお願いして初の脚本を書くことに。

ということで、今回はこの辺で。その2に続きます。
お読みいただきありがとうございました!

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652