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水槽の中の未来は

 水槽の濾過機が強い音を立てる。
 彼女と食べるはずだったコーンポタージュはとっくに冷え切り、まるで僕達との関係を表しているように感じた。そして、水槽の中で鈍臭く泳ぐアロワナの物乞いが、間抜けな僕達に見えた。
 婚約指輪を渡してから数週間、今日はその答えを貰う為に、彼女の大好きなコーンポタージュを用意して待っていた。なのに、それなのに、玄関先で彼女を迎えた時、彼女の左手に婚約指輪が付けられていない事に気付いた。今日は付けていないのかと訊ねると、彼女はバツが悪そうに、何処かに落としてしまったと告げた。
 それだけならまだ良かった。だけど彼女は、事もあろうにそれを「まぁ、それくらい許してよ」と言った。だから僕は怒った。「そんな事で怒らないでよ」と、彼女はまた言った。僕が彼女の為に、僕と彼女の為に選んだ結婚指輪を、僕達の将来を決める日となる今日という日を、彼女はそれくらいと、そんな事と言い退けた。
 無性に腹が立って、その場で彼女を追い返す。何度もドアを叩く音と彼女の声を無視して、僕はリビングに向かってテレビをつけた。
 世界の歩き方、料理番組、生命の神秘性。違う。違う、違う、違う。僕達の関係を修繕する方法を、数十分前に戻れる理論を。それらを見つける為にチャンネルをひたすら回す。回す、回す。回した。
 テレビから不要な情報が流れる度、大して美味しくもないコーンポタージュを啜る度、得体の知れない何かが込み上げてくる。そんな気も知らないで、アロワナは「早く餌をよこせ」と口は忙しなく動かす。意地汚さが泡となって吐き出されるのに苛立ち、これでも食ってろ、と、水槽の中にテレビのリモコンを放り込む。
 驚いたアロワナが鈍く身体を動かす。途端、水槽の中に激しく土煙が舞った。透き通った水が徐々に浸食されていくその瞬間、アロワナの口から、反射する婚約指輪が放たれるのを僕の眼が捉えた。
 僕は急いで水槽の中に手を突っ込み、濁った水中を掻き分けるように婚約指輪を探す。探す、探す、探す。濾過機の先端で指を切り、爪の間に砂利が混じり込む。水槽の占有率をほとんど占めるアロワナを無理矢理押し退け、探す、探す、探す、探した。テレビのリモコンを、水槽の中に放り込んだ際、外れた単三電池を握り締めてしまい、微弱な電流が流れる。それでも、探す。探す、探す、探す。
 泥水の中、煌き、揺らめく婚約指輪を見つけた。しかし、押し退けられたアロワナが反撃とばかりにそれを再び呑み込もうとする。呑まれてたまるか、彼女の指輪だ。失くしてたまるか、僕の執念だ。奪われてたまるか。取り戻してやる。奪い返してやる。
 アロワナの口に左手を突っ込み、勢いよく手の平と甲を噛まれる。ズブズブと皮膚が千切れていく感覚と激痛に涙と嗚咽を流しながら、そいつの臓物を思い切り刺激し、異物と共に婚約指輪を吐き出させる。返せ、返せ、返せ! 指輪を。未来を。彼女を!
 ゴボォ。と、嫌な音を立ててアロワナが大きく口を開ける。すぐに手を引き抜くと、ブツ切れとなった皮膚と皮膚の隙間から血がプツプツと滲み、茶色く濁った水中を、アセロラ色に染め始めた。
 開いた左手には、婚約指輪と確かな重みが残る。
 僕は、僕と彼女の未来を、左手で力強く握り締めた。

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改めまして、秋助です。主にnoteでは小説、脚本、ツイノベ、短歌、エッセイを記事にしています。同人音声やフリーゲームのシナリオ、オリジナル小説や脚本の執筆依頼はこちらでお願いします→https://profile.coconala.com/users/1646652