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作文は誰のものか ~トマトジュースが好きな子供の消された想い〈2702字〉

そろそろ学校の夏休みも終わりですね。
今年はまだ少しは遊びにも行けたでしょうか。

そして夏休みの想い出と共に、心に甦ってくるのが宿題の存在(笑)
親子揃って真っ青になり、焦りまくっているご家庭もおありかもしれません。きっとそれは遠い昔から先の未来まで、ずっと変わらない夏の風景なのでしょうね。

さて子供さんから嫌がられる宿題の一つに、作文または読書感想文があります。

日頃noteで文章を書き慣れている方々にとっては、そんなもの平気の平左だったかと思いたくなりますが、中には「いや、すっげー嫌いだった!」と仰る方もいるかもしれません。
私は書くのは嫌いじゃなかったけど、賞とは無縁でしたね(今もか)。

でも一つだけ、よく覚えていることがあります。

それはいわゆる学校の宿題ではなく、夏休みに一般企業が子供向けに募集した作文コンクールでした。

テーマは『トマトジュースについて、自由に書いて下さい』みたいな感じ。

どこの企業様か、だいたい判っちゃいそうですね。
でも今から何十年も前の話なので、もう時効ということで(笑)

当時10歳にも満たない私に、母親がこのコンクールのことを教えてくれました。本とトマトジュースの好きな娘なら、なんか書くだろうと思ったのかもしれません。

そう、その頃の私はトマトジュースが大好きでした。
そもそもトマトが好きだったんですね。トマトジュースは、なんか赤くてどろっとしてて、最初はちょっと敬遠してたんですが、飲んでみたら濃厚なトマトみたいですごく美味しくて。
塩分もあるせいか、暑い夏に飲むと爽快な気分になりました。

もっともその頃の私の辞書に「爽快」なんて言葉はなかったですが。

単純な私は、母親に乗せられて早速書き始めました。
もう細かい内容は覚えていませんが、だいたい以下のような趣旨でした。

『最初は苦手だったけど、飲んでみたらものすごく美味しくて、すぐに好きになった。味や食感が普通のジュースとは違うのも新鮮な感じだった。友達の中にはトマトジュースが嫌いな子もいるけれど、自分は大好きだ』

もちろん使っている単語はもっと拙いものでしたが。

当時は果汁100%のジュースはほとんどなかったし、甘いジュースと違ってちょっと塩っぽいというのも、独特に思えたのです。
(ちなみにその頃は、食塩無添加のトマトジュースはまだありませんでした)
そして友達の中にトマトジュースが好きな子が少なかったことも事実です。


さて出来上がった作文を母親に読んでもらったところ、母親は眉をひそめました。

「しーちゃん。お母さん、これはよくないと思うわ」
「え、なんで?」

母親はあたりまえでしょう、という顔つきで言いました。

「だってトマトジュース作ってる会社に『トマトジュースが嫌いだ』なんて言ったら、会社の人はいい気はしないと思うわ」

私はきょとんとしました。

「だって今嫌いっていうわけじゃないじゃん。嫌いだったけど、飲んでみたら美味しかった、今はすごく好きなんだから、よくない?」
「お母さんはそう思わないわ。悪いこと書いちゃだめだと思う」

私は訳が判らず、懸命に食い下がりました。

「今好きって、すごくほめてるじゃん。それの何がいけないの?」

子供の私が言いたかったのは、先入観、いわゆる食わず嫌いな私が飲んでみたら、それを覆すほどの美味しさだった、ということを強調したかったのだと思います。

でもどうしても母親は、首を縦に振りません。

「もういいよ。私がそう思ったんだから、それでいいじゃん」
「だってどうせ書くなら、賞が貰えた方がいいじゃない。そういう内容にしなきゃ」

本当に訳が判りませんでした。
賞が貰えた方がいい。それは判ります。賞品、トマトジュースがたくさんだったし(笑)

でもそのために、自分の感じた素直な感情を書いてはいけない、という意味はさっぱり判りません。もちろん悪い感想ばかりではちょっと……ということは理解できますが。

でも極端な話、悪い結論だっていいと思うんですよ。
それぐらい飲みにくい、という一つの意見にはなりますから。
あとは書き方さえ気をつければ。いわゆる誹謗中傷にならないように。

そういう言い回しを直すなら、まだ判ります。
でも子供の素直な感想を、審査員の心象を害さないために封じ込めるというやり方は、子供心に理不尽に感じました。

その後何度書き直しても、母親は納得しません。
それはそうでしょう。いちばん素直な感情を禁じられた子供が、いったいどんな文章を紡ぎ出せるというのか。大人だって難しいと思います。

結局私は、度重なるダメ出しに癇癪を起こし、もう書かない!と言いました。
でも母親は、せっかくだからと後に引きません。

そして私は、母親が書いた文章を書き写すという、屈辱的な作業をすることになりました(全部ではないですが)。
その文章は子供の私の眼から見ても、いかにも大人が作ったそうろうの文章で、言葉の言い回しも不自然なものに写りました(ちなみに母親に文才はほとんどありません笑)。

覚えているだけでも、母の文章をちょっと書いてみます。

「夏のお風呂上がりに、コップについだトマトジュースを見ると、飲むのが惜しい気もするが『エイ!飲んでしまえ!』と思っていっぺんに飲み……」

細かいことは覚えていないのですが『エイ!飲んでしまえ!』だけは、本当にこのままです。正直「すごく嘘くさい」と思いながら書いていました(笑)
きっと審査員の方々も同様に感じたのではないでしょうか。だって書いたのは、10歳にも満たない子供のはずですから。

結果は当然、落選でした。

「しーちゃん、例のトマトジュースの作文ね。ダメだったみたい」

学校が始まってしばらくした頃、母親が気まずそうな口調で教えてくれました。母親は落選した私を気遣ってくれましたが、私は正直「やっぱりね」としか思いませんでした。

逆にこれで入賞していたら、別の意味で屈辱的だったでしょう。
そもそも大人の書いた文章を写して書いて応募すること自体が、今なら(もちろん当時でも)大問題です。しかもそれが入賞したら、もはや犯罪です。

私はその時「もし自分の言葉で書いていたら、どんな結果だったんだろう」と思ったことを覚えています。
それはちくりとした後悔になって、私の心に残りました。
オリジナリティというものの重要性を知った、最初の出来事だったのかもしれません。

このたび親愛なるたらはかにさんと、Twitter上で読書感想文についてお話ししたことで、ふとこの話を思い出しました。
「あらまあ、気の毒に」と笑って読んで頂ければ幸いです。

そして私は今でも、本と書くこととトマトジュースが大好きです。
ああ、よかった(笑)

(了)


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