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私の宝物

私の宝物。
大熊町の先輩たちからいただいた笛。
いつもの練習パターンは、「宝財踊り」「夫沢神楽」「熊川盆唄」の3曲。

#大熊町 #伝統芸能

私は東日本大震災と福島第一原子力発電所事故が起こるまでなんの疑問も持たず音楽ばっかり(主に歌うこと)やっている人間だった。

2011年に価値観が一変してからは自分に対して疑問を持つようになった。今までの当たり前や生活や社会の在り方…いろんな部分に疑問を持った。もちろんそうなれば「私にとって音楽とは何か?」という問いもすぐに生まれた。

2011-2014の3年間、福島のことを常に考えていた気がする。東京でもやれることを探したり、少しずつ行動に移したり。

その頃、「(価値観が変わった)私にとっての音楽とは?」を考えるとぼんやりと「被災地域の伝統芸能」が浮かぶようになっていた。ただ、それを知る手段は東京では見付けられなかった。

音楽のことだけでなく様々な思い(東京の無関心への怒り、などなど)が、「現地に行きたい、東京から通うのではなく、しっかりと住んで仕事として関わりたい」とハッキリした気持ちになったのが2014年の春だった。

2014年5月に大熊町復興支援員の説明会に行ったとき、仕事内容の説明に「伝統芸能の保存継承」があったことは忘れられない。それをみた瞬間、これだ!と思った。

2014年6月から復興支援員として働きはじめ、7月に参加した避難先である会津の仮設住宅で行われた夏祭りに参加した。

櫓の上で踊るように太鼓を叩く大熊町のみんな。代わる代わるに嬉しそうに笛を交代しそれに合わせて唄う姿。

「これが音楽だ」と思った。

それからは片想いがはじまったかのように知りたい、知りたい、知りたい、と様々な人のところで伝統芸能にまつわる話や活動の様子、実際に楽器を教えてもらうなどたくさんの時間を費やしてきた。(仕事というよりプライベートな時間を多く費やした)

そうしているうちに、大熊町の先輩たちが私に笛のお下がりを託してくれるようになっていた。

夫沢、大和久、大川原、熊川…各地区の笛たち。

これが、私の宝物。これからも片想いはまだまだ続く。

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