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『ぼくが電話をかけている場所』(著:レイモンド・カーヴァー)

高校生の頃。友達の影響で村上春樹を読むようになって、「なんか外国文学格好いい」と思ってた頃。その中でも一番カッコよかったのがカーヴァーだった。

「『ぼくが電話をかけている場所』、だぜ!ホゥェア・アイム・コーリング・フロムって。すごくない!?」ってなんだかよくわからない(でもすごくよくわかる)理由でめちゃ推しの友人I君に貸してもらったのがこれ、だったと思う。「ダンスしないか?」の最後のシーンに憧れた。

でもこの作家が「すごい」理由がちゃんとわかったのは大学生になってから。英語の同名アンソロジー(入ってる作品は違ってたと思う)をポートランド(彼の故郷に近い。知らんかったけど)のでっかい本屋で手に入れて、たどたどしい英語で読みはじめてから。

『Nobody Said Anything』を初めて読んだ時のゾクゾクした感じを今でも忘れないし、『Catherdral』とか、『A Small, Good Thing』を読んで泣きそうになったのも覚えてる。

『So Much Water So Close to Home』『What We Talk About When…』あたりはもっと後になって読み返して、やっとわかるようになったんだったか。映画にもなったし(トム・ウェイツ最高!)最近ではバードマンにも出て来てて、知らないで見たので嬉しかった。

こうやって思い出すと、30年以上お世話になってるんだなあ。

住宅街を自転車で走ったり、
ガレージセールをしたり、
家でパーティーをしたり、
知らない人をもてなすことになって当惑したり、
昼間から庭で飲んだくれて与太話したり、
釣りに行ったり、
掃除機のセールスの人が来たり、
耳掃除したり、
アパートの掃除人とか、
夫婦喧嘩とか、
急に出て行かれて困ったり。

そういうなんでもない、でも本人にとっては大変な、シーンの数々、アメリカ人の生活、と言う物をこれだけ身近に、手短に描写できる作家を僕は他に知らなくて、いつも自分に近づけて読んでいた。

初めて出会った時にはもう故人だった人だけど、僕のアメリカに纏わる経験に、遠くから注釈を入れてくれたストーリーたち。僕にとって「お世話になった」と言う言葉がしっくりくる本です。

サボりながら続けてきたブックカバーシリーズ、めでたく今日で終わりです!

お友達に誘われて、自分を振り返ることと、ノートでの発信に慣れるためにと思って始めたんですが、思ったよりも楽しく(スローではあったけれども)できたので、また気が向いたら面白かった本とか、映画とかについても語っていこうかなと思ってます。

(実はこの文章を書いたのはかなり前。なんかカッコつけてるなあ、でも一生懸命だなあ。初心に帰りたい。)

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