交差点

 すみれは交差点に立つことを想像する。渋谷のスクランブルみたいに大きな交差点では意味がない、かといって田舎のさびれた、人のまともに通らないところでもないような、ちゃんと都市の血管として機能していてかつ見晴らしのきく、夕焼けがわりあいに似合う交差点、具体的にどこと言われるとよく分からないので、それはすみれのなかにある交差点の純粋なイメージ、すみれ的世界における交差点のイデアみたいな、そういう交差点のまんなかで立ちつくすことをすみれは想像する。立ちつくすうちは轢かれない。轢かれたら倒れてしまうのだから、立っているうちは定義上轢かれない。だれかに肩を押されたりするのもすみれは想像しない。それはありふれすぎている。交差点で他人と肩の触れ合う経験など無数にあるのであって、すみれの肩との接触を丹念に蛍光塗料でマーキングして観察をつづけたら、それらは各々の寝具の布地を透かして星座を作ることだろう、それはどんな形象を結びえるのだろう、そんなことを考え出すともう夕暮れの交差点がたちまち夜に暗転してしまうから、すみれはまだそのことを考えない。すみれはいま夕暮れにいる。夕暮れの似合う交差点で、夕暮れみたいな顔をして立ちつくすすみれ自身をすみれは導かれるように想像する。そうか、交差点というよりも夕暮れを想像したいんだと思いあたると、すみれはそれ以上想像をふくらませることができなくなってしまう。交差点、交差点と心のなかでいくら唱えてももう風景は広がらず、白いくすんだ壁紙のおうとつが無感動に目の前にある。すみれは目をこすって、そのときはじめて、自分がもうずいぶん長いこと眠気をこらえていたのだと気がつく。すみれは電灯を消す。白い壁紙のいやに平板にみえる細かな起伏が闇に隠されてほんとうに抹消されてしまう。すみれは目を閉じる。あまりにも早く落ちてしまう眠りのほんの間際に、夕暮れの夢を見ることへの期待がひとひらはためく。

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