「才能がないからやるという選択肢」を選んできたわたし。
タイトルにもあるように
わたしは「才能がないからやるという選択肢」を選んできた。
この言葉に出会ったのは、高校2年生の冬。
今やエンタメ界でその名を轟かせる星野源さんの言葉だ。
この言葉に出会って、わたしは今まで自分の殻を自分なりに破り続けることができたのではと感じることがある。
いざ振り返ってみるとまだまだ未熟で恥ずかしいけれど、この経験をこのnoteに不器用ながらも記していけたらと思っている。
自分の「才能のなさ」を悟る瞬間。
12歳の頃から始めたトランペット。
わたしは中学生になってから吹奏楽部に入部し、トランペットを担当することになる。
とにかく毎日の部活が楽しかった。
同級生とひとつの曲を作り上げる時間。わたしにとってかけがいのないものだった。
この生活を送る中で、中学生のわたしは自分がトランペットを上手に吹くことができると、なんの根拠もない自信を持っていた。
この変な自信がわたしを突き動かし、吹奏楽の名門高校への進学を決めた。
「全日本吹奏楽コンクールに出場する」
ただそれだけの夢を抱えて、高校吹奏楽の世界へ飛び込んだ。(結果としては高校3年間のうち2回全日本吹奏楽コンクールへの出場を決めた)
桜が舞い散る頃、わたしは合奏室に足を踏み入れた。
その瞬間、自分の周りの同級生たちのレベルに慄いた。
「ああ、自分が持ってた今までの自信って、ただの勘違いだったんだ」
その瞬間、目の前が真っ暗になったようにどん底に突き落とされた気がした。
わたしは、悟ったのだ。自分が能無しだということを。
パートイチの下手くそ
とにかく、音は外すし、高い音は当たらないし、音程は悪いし、、、。
課題は山積みだった。とにかく本番に弱い。
案の定、トランペットパートイチの下手くそだと自覚する。
こんなボロボロな状態がずっと続き、わたしはついに「辞めたい」と頭の片隅で思うようになっていた。
そんな揺れ動く気持ちの中、あの言葉に出会うのだ。
「才能がない」と思い込んでポジティブに前を見ることができなかったわたしは、ハッと気付かされた。わたしが「辞めたい」と頭の片隅で思いながらも、毎日7時に始まる朝練、そして夜9時に終わる練習、土日も10時間以上の練習。をやっているのは、「トランペットが好き」「吹奏楽が好き」この気持ちがあるからなのではないか。
この純粋な気持ちに気がつけたとき、わたしの中で頑固に凝り固まった価値観が崩れ落ちた。
才能がないからといって諦めるのではなく、才能がないからやる。才能はないけど、好きという気持ちは誰にも負けない。だから、誰から何と言われようとやってみせる。
この気づきが今までのわたしの原動力だ。
この言葉で見える世界が変わり出した。
どんなに下手だと言われようと、わたしは決して諦めない。辞めない。その強い気持ちを持ち続けた。
高校を卒業するころまで、トランペットが上手いとみんなから絶賛されるような奏者になれなかった。でも、わたしの大好きな楽器を続けられた。その充実感はいっぱいだった。
この経験から、大学では素人ながらアコースティックギターを始めた。オリジナル曲を作って、自分の作品を作った。
とにかく夢中で、毎日ギターを触って、メロディを録音してを繰り返し、曲を作り続けた。
上手く曲にまとまらないことはザラで、ボツになった曲は100に及ぶと思う。
この苦しい時、何度も「才能がないのでは」と自分に問いかけた。でも、わたしは腐らなかった。
なぜなら、胸に刻まれた言葉があるから。
曲を作り続けた末、大学3年のときある音楽オーディションに応募する。
わたしのオリジナル曲は音源審査を通過し、実技審査まで持ち込めた。
結果は、次の最終審査へは進むことはできなかったが、わたしにとって大きな出来事があった。
「わたしはあなたの歌が好き」
この言葉をオーディションの審査員であった、当時レコード会社社員の方からいただいた。
わたしは初めての感覚になった。
自分の中で一から生み出したものを認めてくれる人が現れた、そして、今までの苦労が報われた、そんな気がした。
「才能がない」という言葉は呪いだと思う。
これは強く思う。
わたしはこの呪いをこの世界から消したい。自分の好きなことにもっと自信を持っていいんだ。好きだから続けるという一つの選択肢をもっと知ってもらいたいと思っている。
どうか、才能がないからといって辞めないで欲しい。
才能は誰にも計れないのだから。
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