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界のカケラ 〜45〜

 「だがな市ヶ谷さん。あなたが死ぬことでだれかが悲しむことだってあるだろう」

 「私にはそんな人はいません。両親ももうこの世にいないですし、親戚付き合いもないですし」

 「そうなのか・・・ だがそうだとしても、もしあなたがこの病院に運ばれ、治療の甲斐なく死んでしまったとすれば治療してくれた医者や看護師の方達は悲しんだはずだ。あなたが他人であってもな。そして助けられなかったことを悔やむのだ。
そのことを想像したことはあるかね?」

 「自殺をするような人はそこまで思ったりはしませんよ。自分のことしか考えていませんし、事前の身辺整理はやりますが、自殺した後のことなど考えたりしません」

 確かにそうだ。死んだ後のことまで考える人はいまい。残された家族や未練があるなら別だが、彼の場合はそうではない。後のことなど考える必要がない。もしあったとしたら踏みとどまるだろう。

 しかし生野さんの言うことももっともだ。それに医者や看護師など医療に携わっている人なら感じることだ。あの時の処置はもっと早くできなかったのか、違う方法でやっていた方がよかったのではないかなど助けられた患者さんでも考えることが多い。最適な処置をするために悔いを糧にして命を救うという仕事をしている。

 だがその反面、自殺しようとした人を助ける必要があるのかとも思う。本人が望んで命を絶とうとしたのだから、それを反故にするような処置をして良いのだろうか。人としても医師としても倫理観から助けるが、それが本当に良いことだとは私は思っていない。

 そんな私は冷徹で非情な人間なのだろうか。一部の人間は非難するだろが、それは似非の正義感を振りかざしているに過ぎない。人の命とひたすらに向き合い続けてきて、自殺しようとした患者を助けたとしてもそれは一時しのぎであり、再び自殺を試みて命を絶つ人は統計を取らなくても多いのは察しがつく。その時の絶望感は医療に携わる人間と家族や近しい人にしかわかるまい。

 命は助けられるが、命を絶とうとする「人間」は医療では助けられないのだ。

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