SOGIE/LGBT支援団体NPO法人Rainbow Soup代表理事“五十嵐ゆり”さん
ご自身もセクシュアルマイノリティ(性的少数者)当事者であることを公言されながら、福岡・九州を拠点に、SOGIE/LGBT関連の情報発信・啓発活動に取り組むNPO法人Rainbow Soup(レインボー・スープ)の理事長である、五十嵐ゆりさんにお話しを伺いました。
※SOGIE/LGBTの意味はコチラ
プロフィール
出身地:東京都
活動地域:東京・福岡を中心に全国
経歴:1973年東京都生まれ。沖縄国際大学卒業。
1999年より福岡へ移り、タウン情報誌の会社で編集部を担当。
2004年にフリーライターとして独立。
現在の職業および活動:NPO法人Rainbow Soup理事長、
レインボーノッツ合同会社代表
SOGIE / LGBTに関する課題の見える化を進め、支援の輪を広げながら、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂)社会の実現を目指す
座右の銘:一人の百歩より百人の一歩
色々な具材が混ざり合って、最後には美味しいスープが出来上がっているといいな
Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?
五十嵐さん(以下五十嵐、敬称略):
LGBTやSOGIEに関する課題を可視化させることと、支援の輪を広げることで、LGBTの人たちもみんなも生きやすい社会が実現できたらいいなと思っています。
団体名の「Rainbow Soup(レインボースープ)」の由来は、社会をお鍋と見立てて、見た目も栄養素も何もかも違うもの、時間をかけて煮込んでいったり対話が始まったりしていく中で、結果的にみんなにとっておいしいスープに、誰もが住みやすい社会になれたらいいなというイメージで名づけました。
LGBTの人たちの困難さを強調するだけではなく、生きづらさにつながる社会課題を見える化し、関連する課題に取り組む他団体や専門家と連携しながら、その結果、お互いにとって住みやすい社会にしていけたらいいなと思っています。
記者:そんな関係性ができれば素敵ですね!
Q.ビジョンを具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?
五十嵐:今は相談員支援や対人支援の現場にいる人達に、LGBTやSOGIEに関する適切な知識を知っていただきたいと思っています。
相談を受ける側が適切な情報を知っておかないと、相談者は信頼することができなかったり、話すことを躊躇してしまったりして、本来の悩みの根源にある相談の本質に当たれない。結果、根本的な解決が出来ないまま終わってしまう。相談を受ける側も、この人の本当の悩みはそこじゃないんじゃないかって思いながらも本質にたどり着けないなどの、悩みを感じている方は少なくないようです。
LGBTの人たちから、自分のことをカミングアウトして相談できる場所の情報がないとか、行政の窓口で相談してみたけどやっぱりだめだったとか、就職活動を諦めちゃうといった声をたくさん聞いています。
私、高校時代にソフトボールをやっていてピッチャーだったんです。上手なキャッチャーはピッチャーの球をグローブで取るときに凄く良い音を鳴らしてくれるんです。「スパーーーン‼‼‼」って!
キャッチャーミットを狙って投げたボールが、ミットにスーッと綺麗に入る。さらに「スパーン」といい音がすると自己肯定感も上がり、「よし、次も良い球を投げよう!」ってどんどんモチベーションが上がるんです。私はお調子者だから、ちょっと良いことがあるとすぐに調子に乗っちゃうんですけど(笑)
人間同士のコミュニケーションも、「この人、しっかり受け止めてくれる」と思えるかどうかって、とても大事ですよね。相談者の悩みを相談を受ける側がしっかり受け取れたら、「あ、この人分かってくれる。もっと話してみよう」って思いますよね。そんなやりとりを通じて「ここに相談してよかった」とか「この助けがあったら就職活動出来るかも」ってなれば、これまでいろんな理由で諦めていた人たちにとっても社会参画の機会が増えて、生きづらさや困りごとが少しずつ改善されていくのではないでしょうか。
記者:たしかに、安心して話せる環境って必要ですよね。特に最初の一歩が分かってもらえるかって凄く大切だと思います。
Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような活動をされていますか?
五十嵐:一団体の力は限定的です。LGBTの人たちやその周りの人、専門職の人たちにとって役に立つ情報提供は、我々の団体だけでは出来ないと思います。
Rainbow Soupは福岡拠点のLGBT団体のグループ、LGBTアライアンス福岡のメンバーとして、福岡市・福岡県・北九州市など自治体と連携しながら、当事者の声や現場の声をしっかり伝えて、実態を踏まえた効果のある取り組みができたらいいなと思っています。
また講演の機会も増えており、日頃からLGBTやSOGIEについてどういう風に伝えるかを常に考え模索しています。
「いい話が聞けてよかった」だけで終わってしまわずに、聞いた人たち一人ひとりが、日常生活の中でできることをやってほしいと思っています。性の多様性は、LGBTの人たちだけのことではなく、誰にとっても関係のあること。どうしたら自分事としてとらえていただけるのか、今でも難しいと感じることがあります。
また、日本のジェンダーギャップのことを考えたときに、ダイバーシティー&インクルージョンという切り口でも、講演で触れるようにしていきたいと思っています。
記者:LGBTに限らず、当事者と非当事者で分けるのではなく、少数派と多数派として、お互いの観点や立場を認め合えることが大切ですね。
Q.そもそも、その夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?
五十嵐:30歳の頃、本業はフリーライターをやりながら、レズビアン限定のクラブイベントのオーガナイザーをしていたんです。お店を借りてDJの音楽で踊ったり、ドラァグクイーンやダンサーのショータイムがあったり。参加者は全員女性でレズビアンですので、皆さん安心して集まれると毎回大勢来てくれて、一番多い時で200人くらい集まっていました。リラックスしてお酒を飲んで賑やかに過ごして、私も本当に楽しかったです。けれども、30代後半になってくると、同世代の友人たちはそろそろ親も高齢になり介護とかの話になるんです。自分の老後のこととかも。いつまでたっても同性婚は出来そうにないし、だったら女性ばかりの老人ホームつくっちゃおうかとかお酒飲みながら冗談まじりに話すけど、「じゃあ誰がやるの?」ってなりますよね。結局誰かがやらないと、なにもできない。ならば、自分ができることがないだろうかと考え始めました。
そして色々調べたり、本を読んでいるうちに、福岡の行政書士の方がLGBTの人たちをサポートする取り組みをしていることを知りました。その方から、現在の法律の仕組みのなかで、LGBTの人たちが利用できる制度があることを教えてもらいました。例えば、同性間でも公正証書というものを交わすことができたり、それが相続などにも効果があったり。だんだんと知識をえるにつれ、「こんなこと知ってる?」って感じで他の仲間たちにも知らせたくなるんですよね。そういう知識を、知っているのと知らないのとじゃ、生活の安心感とかだいぶ違うなって気付いたんですよね。
その後、KBCシネマの映画館でレズビアンマザーをえがいた映画「キッズ・オールライト」の上映があって、レズビアン当事者の1人としてトークイベントに登壇してくれって言われたときがありました。最初は、自身の体験談くらいしか話せないし、大勢の前で話すようなことかな?て思っていたんですが、会場が満席になったんですね。さらにその後も、鹿児島の助産師会から講演の依頼が来て、参加者の皆さんから「よかった」という声をたくさんいただいたんです。「ああ、固有の体験でも今望まれているんだな」って感じました。それからだんだん、講演活動を積極的に受けるようになっていったんです。
記者:なるほど。自分から行動を起こしたというよりは、自然に周囲が五十嵐さんを押し上げているような感じですね。
五十嵐:確かにそうかもしれません。気が付けば、いつも誰かに背中を押してもらっていると思います。ありがたい話ですね。
Q.その発見や出会いの背景には何があったのですか?
五十嵐:自分のセクシュアリティの自覚と家族の受容が、大きいと思います。
中学2年の時、周りの女の子はみんな好きな男の子の話題で盛り上がっているけど私は女の子が気になっていて、みんなと違っていてなんかおかしいな…って。その違和感を誰にも言えず、周りに話を合わせるんですけど、自分の本当の気持ちじゃないし、みんなと仲良くするための振る舞いに疲れてて、でもそうやって生きていかないといけないって思って、いつもモヤモヤしていました。
それも限界がきて、高校生になってから母親にカミングアウトしたんですよ。喉から心臓が出てくるんじゃないかというくらい、緊張しましたけど、母親は「大丈夫よ。気にしないでいいよ」って言って、スッと受け入れてくれて。「あ、私はこのままでいいんだ。おかしくないんだ」と、とてもホッとしたことを覚えています。その後、父親、姉二人も知ることになり、みんな自然に受け入れてくれました。
その後、自分は何者なのか?自分はどこにいけばいいのか?といった、探求心が湧いてきたと思います。そこからLGBTの情報を積極的に探すようになって、私と同じような人がいる、仲間がいる、そういう人の集まる場所もある、行ってみたい!って、次々に新しい扉が開いていきました。大学生の頃から今まで色々なことをやってきましたけど、心の拠り所になったのは家族の存在でしょうね。家族全員、私がレズビアンであることをちゃんと知っていてくれている、というのは、本当に心強いものでした。
そして私が救われたときと同じように、今度は自分がその場を提供する側になれないだろうかと、思うようになりました。
記者:その五十嵐さんの活動が誰かの背中を押して、またその人が誰かの背中を押す、そんなリレーができるといいですね。
本日は大変貴重なお話をありがとうございました!
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五十嵐ゆりさんの活動については、こちらから
【編集後記】
今回、記者を担当した荒牧(写真右)、波多江(写真中央左)、山口(写真左)です。五十嵐さんは本当にしなやかな強さを持たれる方で、気付けば自然と何かをやれる環境が整えられていくという五十嵐さんのスタイルは、五十嵐さんの人柄が創り出す人間関係から生まれるものだと感じました。
これから益々のご活躍とご健勝をお祈りいたします。
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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。