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ひとり親でも障害者でも、更年期でも幸せでいられる方法

最初に

本当にこのタイトルは失礼だなぁと思っています。あくまでもこれは私個人のお話であり全ての人には当てはまらず、ここで強く述べておかなければならないのは、ひとり親、障害者、更年期=不幸なんていう勝手なことを言っていること、当事者の方々には申し訳なく思っています。

30代 大手障害者雇用、被雇用者時代

私は、人や組織に嫌われないように、文句を言われないように、さらには、誠実であるように、賢くみえるように、暮らしていた。

ストレスがたまるから、飲みに行ったり、タバコを吸ったりいろいろな方法で気晴らしをしていた。大手企業で勤めていたときは、タバコ無くして暮らすことはできなかった。障害者雇用とはいえ、発作が起きたらいつクビになるか分からない。超がつくくらい、承認欲求の塊みたいな人間だった。そして、野心もあった。 

大好きな演劇を止めて、潰しがきくまぁまぁ知名度はある法学部に進学するところまでは仕方なく勉強したし、AIESECという国際的なインカレサークル的団体(私の見方であり今どうなっているかはよく分からない)では財務の内部監査とかいう結構難しいこともやっていた。

その見返りとして、男性同期や先輩と同じくらいのキャリアは欲しかった。だけど、一年ごとに契約更新がされる障害者雇用にキャリアパスなんてそもそもなかった。そんなことに気づくまでに10年くらいかかって最後の大手企業から去って、決めたことは以下3つ。

1. 私は私を受け入れてくれるコミュニティで暮らす、なければ作る。

私は、22歳でてんかん発作を持ってから、服薬を続けている。それから一般的な社会人としての素養もなかったし、多分学生だった頃よりも頭の回転がスローになっている。「焦らないでいい」「ゆっくりやって」という言葉は、私にとって励ましには聞こえなかった。そう言われるたびに、「もっと頑張らなくちゃ」「障害者だなんて思われたくない」「私は昔はできたのに・・・」って自分にエンジンをかけていた。 できそうにないことすら、できますと言って、徹夜でエクセルの勉強をしていたこともあった。評価されたくて承認されたくて仕方がなかった。事務作業だけで終わらない仕事も欲しかった。

健康的にも良くないし、発作が増えるきっかけになっていたし、そういうことをしている自身に気づけず、心配してくれたり、私の担当をしてくれていた周囲の人たちに伝えられなかったことは残念でならない。

今やっと、そんなことに気づけている。

2. 自分で事業を起こすこと

起こせているか?
儲けはまだ。誰かのためになることができているかという評価軸で言うなら、少しだけできている気がする。「評価軸」だなんて言葉を使うことからも評価されたい私がいることが読み取れる(苦笑) 

努力の方向性が間違っていると感じていた30代よりは貧乏になったけれど精神的にはとても落ち着いている。

役者であること、貧乏だけど少しづつ誰かの役に立てていること、(それが事実と異なっているとしても)自分自身で思い込めるくらい自己承認ができていることは成長の証だ。

結局、私は私ができることしかできないわけで、それ以外のことは人に頼るしかないし、無理矢理、大きなことをしようとしても失敗するだけだ。

全ての人たちが自分の心に自分の軸を立てて、人に頼り、頼られつつ生きることができるようになるといいと心から願っている。それがこれからのリーダーシップのあり方ではないかと考えている。 

事業を起こすことにまだ成功はしていないんだけど、インプロバイザーとしてパフォーマーとしてもインプロを世の中に広げる人間でありたい。保護者として日本の学校教育を子育てをしながら傍観するのではなく、子どもの成長をどう伴走していくのか日々悩み実践しながら、同じような価値観を持つ先生、保護者の方々と共に誰かに皺寄せがいかない学校教育の在り方を考えてみたい。 
そして、大人も子どもと同様、夢を夢で終わらせない在り方があることを伝えていくつもり。

3. 子どもとの関わりは最優先にすること

11歳になる娘は最も私によって影響を与えられてしまっている。

そんなわけで娘には常に自分を隠さないでいようと思っている。喜怒哀楽もその理由も全て明かしながら暮らすから、たまに娘は母のように私を慰めてくれる時がある。 

それでもまだ親の権威を振りかざして、強制することが多くあって、感情的に叱ることも多々あって、自分のことをドメスティックバイオレンスでよくドラマに出てくる暴力を振るった後にすぐ謝る亭主のように感じることがある。  

子を育てるではなく、「子は育つ」とよく聞く。その中で、それを親は見守ることが大事だと言われる。私もそれは強く同感で、無視だけは絶対にしてはいけないと感じる。お腹を痛めて産んだ可愛い我が子を孤独に導いていくことだけは本当にしたくない。
だけど、見守るっていうのは本当に難しくて、子どもが間違っていても親が味方でいられる状態ってどういう状態なんだか、常に探している。
これは、きっと一生の仕事になるんだろうな。

結局・・・ 

結論として、私は今、服薬をしながら発作を起こしながらも、子どもと幸せに暮らせるように、自分で経済的に身を建てられるように、たまに過去を振り返りながら未来に生かそうと、毎日過ごしていてめちゃくちゃ忙しい。 

夢中になることがたくさんあって、発作が起きようが、更年期で汗をかこうが、不安や不幸を感じる暇がない。

インプロ(即興演劇)が私に与えた影響はとんでもなく大きい。そして、コミュニケーションにおける世界の潮流もヒエラルキーや男尊女卑、経済格差の社会からより対話的な関係を尊重する方向性に変わりつつある。

人と比べても意味がない。自分と向き合うことをこわがらなければ、道は必ずどんな人にも見えてくるはず。

私はそういう主体的で困難を乗り越えようとチャレンジしていく人たちをこれからも応援していくつもり。


追記:この記事を最後までお読みくださり、ありがとうございました。もし私の活動に関心あるようでしたら、ぜひご連絡ください!

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