細島みなと資料館(旧高鍋屋旅館)
『細島験潮場』
『宮崎細島を歩く』
に続いて、宮崎細島の記事を書いていきます。
細島のランドマークと言える細島みなと資料館。
日向市で唯一現存する木造3階建ての建物は大正10年(1921)に建てられ、昭和57年(1982)まで高鍋屋旅館として営業していました。
受付を済ませ、先ず入ったのは当主の居間。
高鍋藩秋月家と縁のあるお宿には、秋月種樹氏の作品が数多く展示されています。
調度品の中に旧源屋旅館の暖簾が・・・
私が生まれる前に解体されてしまった木造3階建て、見てみたかったなぁ。
居間の向かい側にある調理場は土間になっています。
居間の隣は仲居さんの控室として使われていた部屋。
レトロな扇風機と並んで、紀元2600年奉祝事業の様子を写した貴重な写真が展示されています。
昭和20年代、艶やかなお着物をお召しの高鍋屋旅館の仲居さん。
古めかしいアイロンや昭和15年の裁縫教科書、そして武運長久を願った日章旗。
廊下に飾られた写真を楽しみ(細島みなと祭り行きたい欲を駆られ)つつ、2階へ。
こちらの階段は使用禁止ですが、見事な透かし彫りが施されています。
3つの客室がある2階。
こちらは8畳程の広々としたお部屋。
立派な屏風は日向市出身で延岡藩の絵師・片岡米山氏の作品。
高鍋屋旅館に宿泊した詩人で作詞家の野口雨情氏の書も展示されています。
「港 細島 錨はいらぬ
厚い人情が船つなぐ」
細島に暮らす人々の温もりを感じる、いい詩だ。
当時の客室が目に浮かぶ調度品。
お隣の部屋は6畳程。
床脇の地袋には美しい絵。
床の間には定木や菓子木型などが展示されています。
褪せた床板と色艶やかな欄干の対比までも美しい縁側。
縁側沿いの4.5畳程のお部屋。
床脇の上部も収納になっているよう。
・・・うん、上部に気を取られてたら下部の装飾撮り忘れました←
2階の見学を終えて3階へ。
3階には3つの客室と3畳の布団部屋があります。
廊下を渡り縁側へ。
やはり縁側の美しさたるや・・・座布団敷いてまったりしたい。
客室の広さは2階と同じですが、床の間の造りなどが異なります。
特にこの客室は趣向を凝らした床脇が目を引きます。
こちら!
なんと巻物の彫り物が施された筆返し!!
初めて見る形で静かに興奮しておりました・・・
大工さん、粋ですね。
ここの狆潜りは光取りの窓代わりに使われていたとの事。
狆潜りを設ける為に斜めに切り取られたような形状の地袋すら美しい。
床の間には高鍋屋旅館と旧細島小学校校舎の棟札が展示されています。
2階同様、一番広い客室。
3階から昭和40年代に建てられた管理棟を望む。
1階に戻り、管理棟へ向かう。
本館最後の部屋はお風呂。
浴槽が無いのは改修時に解体したのかな・・・
ガイドさんに聞きそびれてしまった。
管理棟を結ぶ通路から本館を見る。
管理棟の1階は学習・展示室となっており、当記事冒頭に引用した【高鍋屋の歴史】を始め、町の歴史や秋月種樹氏の作品などが展示されています。
2階は資料展示・文献資料室となっています。
港町ならではのものや民族的なものに混じって、西南戦争に関する展示も。
肖像写真は鹿児島出身の迫田鐵五郎少佐で、明治10年(1877)8月18日に可愛岳で戦死されました。
拳銃を始め、迫田少佐の遺品はご遺族から寄贈されたもの。
寄贈された経緯などは夕刊デイリーWebの『西南戦争・細島官軍墓地に眠る「官軍少佐迫田鉄五郎」』に詳しく書かれていたので、お時間のある方は是非。
最後は管理棟から本館を望む。
今回は時間が足りず細島官軍墓地は訪れていませんが、また近くに伺う機会があれば訪問したいと思います。
最後まで読んで頂き、有難うございます。
【撮影機材】
Canon EOS 6D
Canon EF17-40mm F4L USM
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