モロッコ旅行記 3月8日

3月8日

午前十時、身支度を終えて部屋で過ごす。ホテルすぐそばのスプラトゥールオフィスでティネリールまでのチケット65Dhを購入し、併設されたカフェで朝食を摂る。
マラケシュを出て以降、といってもまだ四日しか経っていないが、心の塞がりはさほど感じない。移動が多く、環境が変わることに加
えて、昨日、一昨日とビールでごまかされたのだろうと思う。そのために昨晩から下痢ばかり。
昨夜だったか、「オアシス=旅籠」というフレーズをなにかの動画で聞いた。なるほど分かりやすい。キャラバンにとっての旅籠。
宿があり、緑、水、食、音楽、女、文化がある。アイトベンハドゥからの道で遠くに緑を見つけた感動。マラケシュに居たのでは感じ
られない、どこへ行っても生活が大都会だ。密集する家々。広場の青年たちの目。オアシス、旅籠、色彩、主題、生の意志、祈り、糞
尿の匂い、埃、小便臭いジュラバにくるまって。
ティネリール滞在中にここまでのことをまとめてみるか?
午後一時過ぎに、メルズーガ行のバスが出発。ワルザザードでは灰色のコンクリートの建物をよく見かけた。郊外には、新興住宅地
のように同色同形の建売りのようなものが整然と並んでいる。また石ころばかりの荒野を進み、緑があると土の塀や民家があらわれ、学校、田畑、桜木が見つかる。真新しいミナレットは何色と呼べばいいのか。表面の質感が平坦なためか自然色には映らない。いや、
カスバのテクスチャがあまりにでこぼこと天然自然であるために、コンクリートなどの平面性が際立つのだろう。
干からびた川の跡があちこちにある。川ではなく、排水路かもしれないが。人里で、人々は塀の陰に入って談笑している。観光バスなど珍しくもないはずだろうに、往来の人々は走りすぎるバスの窓を眺めあげる。
生活の気配がなくなるとまた石ころばかりの硬い丘の曲線がでこぼこと広がる。電信柱が点々と連なって、たった一本の電線を遠くまで走らせている。手を取り合って電気の結界を貼っているようだ。
ティネリールまであと50KMのところで三十分の休憩。煙草を一服。そろそろアメスピがなくなりそうなので、売店で訊ねるもなし。早々に車内へ戻る。ヒジャブをかぶった女性たちはバスから降りずにずっと車内で過ごしている。なるだけ外出を控えているのだ
ろうか。アラビアのポップミュージックが流れている。
ティネリールでバスを降りると、一人で卒業旅行をしているN君と一緒に、ガイドの案内のもと、タクシーで「典子さんの家」へ。途中のスーパーでガイドが買物。ついでにビールを二本ずつ買う。三十分ほどでゲストハウスに到着。典子さんが出迎えてくれる。化粧気はなく、髪が綺麗に梳かれているわけでもなく、見た目は何だか病弱そうで「田舎の母」というような具合。わたしはそれで一息に心を盗まれる。ドミトリーに荷物を置いて、共有スペースで宿泊書類を記入しながら典子さんと話す。高知県出身。去年、卵巣に腫瘍ができたらしく手術。四月に再び日本へ行くという。
トドラ渓谷へN君と歩く。これまでの旅や今後のこと、彼の就職先についてなどを喋りながら。渓谷の景観はすばらしい。そびえ立つというにふさわしく、平行のはずの地層は垂直方向に高く伸びて、岩が隆起している。狭間に透明な川が流れ、緑のオアシスが囲む。畑があって、桜の花が咲き、ヤシが生えている。
夕食は午後二十時過ぎ。N君と、同宿のジュラバを着たT君と三人で食す。Tくんというのがたくましい人で、約二か月間ほど、トドラ渓谷を進んだ先にいるノマドたちと生活を共にしていたという。彼らは(あるいはジプシーもそうだという)自分たちの言葉の分かる者に対しては友好的になるらしく、Tくんは食材の買い出しの際に山を下り、ノマドの言葉をメモした紙を、ベルベル語と英語のわかる人に聞かせ、意味を教えてもらうという。ICレコーダーも用いる。Tくんは自転車で大半の移動をして、各地のベルベルの集落や、景色の移り変わりの激しいアトラスの山中を眺めて回っている。仕事を辞めて、その貯蓄で各地(南米、中欧など)を旅しているらしい。南米では、いままでギャンブルなど興味なかったのにカジノに熱中して50万円負けた。それでも奇妙に悔いなど無いらしく、楽し気に語っている。ヨーロッパと違って、南米の人々はポーカーフェイスというものをしないらしく感情をあらわにするのが、臨場感があって面白いらしい。色々な人がいる。
それと、いままで桜木と思っていたのはアーモンドの花ということを教えてもらった。
「モロッコに桜は咲きません」
Tくんが落ちついた表情で、しかしニヤリとして教えてくれました。
午前零時にドミトリーへ戻ってベッドに入ります。窓を閉じれば無音で、身体の内側の微かに音の鳴るのが感じられます。

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