モロッコ旅行記 3月12日

3月12日

起きると、アーモンドの宿泊客は朝早くから蚤の市へ出かけているらしく、アヤちゃんも学校へ行っているため物音も無く、静かで、つい正午まで惰眠を長引かせる。
宿泊費を払って典子さんのところへいき、昼食をとりにカフェハミドへ。
昨日から典子さんのところへ宿泊している院生のKさんがいて、食後に二人でトレッキングへ出かける。
彼女は国費で一年間メキシコ留学をしていたという。学部生のときには、学部の必修として半年スペインに留学していたらしい。英語もできて、たくましい女性だと思う。
二時間ほど石ころばかり、巨岩ばかりの山をのぼって、暗くなってから下山するのは危険だろうと、道半ばで断念する。
その最後に立った場所で、彼女の声がわたしの背後で反響したのを聞いた。
「山彦だね」
そういうと、彼女は
「アーッ」と大きな声を出す。
近くの山へぶつかって戻りが早いため明瞭な山彦とはいえないが、それでも彼女は喜んで二度、三度
「ヤッホー」と声を放つ。
またしてもそこに、大声を出さずにぽつねんと石の上に腰かけたままのわたしが頑なに転がっているのをみた。
「写真撮らないんですか」
思えば、絶景を前に彼女がカメラを構えながらわたしにたずねたときも、携帯の画質が悪いからと、もっともらしい理由を述べたが、そのことも怪しく思われて来る。
日が傾いて山肌は赤くなり、馬とロバを引くノマドとすれちがいながら、ようやく降りる頃には空を蒼暗く、疲れもあって心は少し重いように感じられた。
トレッキングルートは辺りと少しも変わらず石ばかりで、人と家畜が通れるほどの細い道をわずかに均しただけの努力が伺える程度で、あるいは脇に小石を押しのけただけというふう。繊維質な馬やロバの糞が、新しいものは黒く丸く、古いものは踏まれて地面に這いつくばって黄色い枯れ草色になって点在している。足場の悪いことにくわえて、糞ばかりあるので視線はほとんど下を向き、辺りの景色を眺めながら、とはいかない。急坂なところもあって、場所によっては平らな巨岩の上に小石や砂利が積もっていてとても滑りやすくなっている。実際、わたしは数度転びかけた。運ぶ足もしだいに重くなり、軽はずみにのぞんだことを半ば後悔しはじめる。もっと早い時間であれば良かった。Tくんの言っていた「ラクダ草に似た草」というものを、ノマドに連れられた馬が足をとめて食む。
辺りで見かける草はそればかり。乾燥した高地に点々と根ざすその植物を、不思議と馬が好み、糞となれば水に溶かし、天日に干すことで燃料となり、というノマドと資源の関係を奇妙に思う。遠目には黴や粘菌のように映る。乾燥地帯に生きるあの草。それを食む馬、ロバ。その糞を燃料に、岩山を移動していくノマド。乳児を背負う母の姿や、靴の破れた少年が、すれ違う度に右手をわたしたちに差し出す。ユーロやドル、アルゼンチンペソを見せてモロッコディルハムと交換してくれとも言う。ペソのレートが分からず、2ペソに対して2ディルハムを渡すと
「5ディルハムだよ」と手を広げられる。大まかではあろうが、彼らは各国通貨のレートを把握しているのかもしれない。
トレッキング中、会話をしながらだったからか、それほどに思うところも少なかったように思う。ことによると人は、そのようにして空漠な意識や存在からうまく逃げおおせているのかもしれない。
たしかに、漠々とした不安がたずねてくることもなかった。けれども、わたしの方でその時間をすこし待望しているようなので馬鹿らしくも思う。いつのまに、これほどなマゾヒストに調教されたろうか。孤独というものが無ければ、あるいは人群れの中でなくとも、誰かと共有する時間の内になお浮き彫りにされるような孤独を嗅ぎ分けられなければ、わたしは過ぎた時間に満足できなくなっているのかもしれない。不安事のうちに、たったひとつの主題を見つけられた時の喜びを知ってしまったからか。
三時間ほどのトレッキングを終え、しばらく休んでから典子さんの夕食の手伝いをする。今夜は八人分。すきやき風の丼と、味噌汁、カブの酢漬け、インゲン豆の胡麻和え。醤油、砂糖、塩を使えばなんとかなりそうではある。
食後に食器を洗いながら、これからの十日間を想う。変なめぐりあわせだ。
音のない山の内に二人立って喋ることもせず風に吹かれても、そよぐことのない石ころばかりの山では鳴る音もなく、頑なに静止する存在たちがあるばかりで、けれどもそのために、景色の力強さを際立たせている。黙って立つ存在の力強さ。
そこに、ノマドの馬を操る声が遠くから聞こえてくる。
「乾燥と無音」もまたこの国。
「乾燥は無音と強烈な色彩をつくる」

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