モロッコ旅行記 3月2日

3月2日

昨日はホテルを出なかった。部屋さえ、一度トイレへ行くために出ただけです。前日のビールがわたしを塞がせたのか、あるいは楽器屋の兄ちゃんやその友人にいいように扱われたことが思いのほかにこたえたのかもしれません。ひたすらに眠るばかりで食事といえばバナナを二本とパンを一つか二つ。
けれども日本へ戻りたいという思いはなく、することもなく毎日を空費することに胸が虫食まれていくだけです。早々に次の街へ行くことも考えてはみましたが、新しい街へ行っても二、三日もすればすぐにやることもなくなって、また途方に暮れるだけでしょう。
正午に外へ出て、近所の緑の食堂でクスクスを食べました。奇妙な舌触りです。お腹いっぱいになって、さて、どうしますか。スーク内のサロンへ行くか、サイバーパークへ行くか、広場の隅へ行くか。
クトゥビアの広場へやってくる。といって、ベンチに座って眺め上げるばかりですから特別な感興が湧き起こるというでもありません。
午後一時前、ミナレットの上部から祈りの言葉が唱えられはじめます。そうして一時になると止んで、また大通りの車の行き交うのや、雑踏の音が広場に聞かれます。
木陰を求めてサイバーパークへ。静かで、庭師が落葉を掻きあつめるのや、鳥や、人々ののんびりした足音が聞かれるばかりです。
灰緑色の葉がたくさん植わっています。オリーブだと思います。一枚一枚の葉が細長く、陽を受けるため螺旋状に枝から葉を伸ばしています。幹は地面か一メートルほどの低いところで複雑に枝分かれしはじめます。どのオリーブを見てもそうなので、そういう性質
なのでしょう。
ぼうっとていると二時。行く処もなし。日本へ戻れば金を尽きて働く。そのような思いは酒でごまかすこともできるがそれまでのこと。根本のこの空漠を拭い去ることはできず、それならばその中へどこまでも落ちていき、なにかしらが得られるまで這って暗闇を進むばかりか。
スーク内のサロンへ。今日は道中、すっぽりと人がはいるほど穴を深く掘り返している現場があった。別の日に、他の道でも見かけたことはある。近くに土管のようなものがあったから、下水管か何かの修繕か、付設工事だろう。前を通ったときは、オレンジの作業ベストを着た男、三、四人がそばの店の前に腰をおろして遅い昼食をとっていた。横につづく溝(といっても五メートルほど)のまわりにはこれといった防護柵が置かれているというのでもない。そこから異臭がするわけでもないから、下水工事ではないのかもしれない。

サイバーパークからフナ広場へ行くまでのあいだ、スカーフで頭部を覆った女の集団に笑われた。「ジャッキーシェン」という単語が聞こえたらから、きっとわたしを笑ったのだと思う。アジア人はどうしても目立つから仕方ないが、できれば人の目にさらされず生活をしたい。それでわたしはホテルの部屋へ引きこもるわけですが、それではなぜわざわざモロッコにまで、と頭を抱えてしまいます。
屋台のないフナ広場には、ヘナタトゥーを施す女たちがいます。小さな椅子に座って、眼の前に二、三のプラスチックの椅子を置き、客が来るのを待っています。そばにはパラソルがあって、日が差しているのに、開いていません。デザイン例を写したいくつかの写真
をリングで綴じて、前を行く観光客へ見せます。
近くで、笛と太鼓を鳴らす一団が、遠巻きで眺めているばかりの見物客にチップをよこさないのかと怒鳴り散らし、数人を追い払うと、また演奏をはじめました。そうして聴いてみるとアラビックな音階は怒りを含んでいるようで、ことによると、そうした音こそが広場の音楽なのかもしれません。
記念写真を撮ろうと優しげな笑顔で手招きし、民族衣装の男が客と肩を組み、帽子を交換して、カメラに向かって、その後ろでずっと音楽が鳴っています。彼らの出自を疑う気はありませんが、ここがモロッコの都市であることには違いなく、観光客は毎日顔を変えて広場へやってきます。騙しあいがあって、如何にして金を得るか、その計略が頭と街には張り巡らされています。
定年して、退屈な生活を送る父の姿を想いおこすと、それはそれは退屈だろうと思うのです。モロッコという見知らぬ国で、たとえば景色に心が洗われていくという体験もなく、わずか一週間を過ごしただけで、残りの滞在期間がすさまじく長いように思われるのですから、死ぬまでの余生というのは退屈で仕方ないだろうと思います。友人がいて、何でもない話に花を咲かせることができるなら、日々はいくらかは意義のあるものとなるでしょう。わたしは、ことによると、言葉のわからないモロッコで余生というものを早々に体
験しているのかもしれません。
日本人は何もない時間と上手に付き合う術を知らないという話も聞きます。空漠さが身も心も包むと無意味さを嘆いて何事かに没入していこうとします。わたし自身もそのことから逃れるためにペンを離さないのですし、このことによって報われようとしているわけです。と分かりきったことを繰り返して空費するばかりです。
往来から日本語を聞いたような気がして振り向くと、アジア系の顔があって、わたしは日本人と喋りたいのだなァということが知れました。けれども何を話しましょう。互いのこれまでの旅について、これからについて、そうして別れて、たったそれだけですが、けれ
どもそのことで救われる心というのもきっとあるのでしょう。
店に並ぶ品々を輝いた目で眺め歩く人人。ホテルに引きこもる、フナ広場の男たちの目、
母の名をタトゥーにした青年、腰をおろしてミントティーを飲む人々、スークに差す陽光、祈りの声、バイクの巻き上げる砂埃、アラビックな音楽、テントの下の果物。
マラケシュという街を言い表すには・・・。赤土の壁、ガイドの呼び声、抜ける青空に澄む月、濃いベルベルのコーヒー、のんびりする猫、サングラスを売って歩く黒人、ヘナタトゥーをする広場の女、ジュラバを着た男たち。
ここに居ることでしか知り得ないこと、書けないこと、孤独
わたしは旅の喜ばしさを語れない。旅は孤独を濃縮したものだと思う。ここでは誰もわたしを知りはしない。アジア人、あるいは日本人、それだけ。けれども、小石のように、頑なな輪郭をもって、ジュラバに身を包まれて、ベッドに横たわっているだけです。
午後四時前、ホテルのパティオへ行く。戻る道で、改めてフナ広場に面したオープンカフェやテラス席で、欧米系の観光客が広場を眺めている様子を見やる。物珍しげに、あるいは退屈気に、広場を眺めている。彼らも持て余しているのではないかと思う。しばらくの休暇をマラケシュで過ごして、彼らの方でも「さて、俺は何をしているのか」などと考えてはいないだろうか。そもそも、休暇というのはそういうものかもしれない。
午後四時ともなると、パティオに陽は差さない。鳥の啼くのや、エントランスにたむろする客たち、屋上でものを干す女中たちの声
が聞こえる。
客たちはパティオをサンダル履きで通って奥のトイレへ。蝿でない静かな虫が二疋遊覧している。カサブランカ空港へ降りる前に眺め下ろした田畑の、乱雑に耕し並べられたデザインが思い浮かぶ。
メディナの迷路、それとは対照的な建築デザイン。統制され、整備された対称性、シンメトリックな宮殿、装飾デザイン。
日本へ戻ってもすることがなく、ここに居てもすることはなし。
つまりはどこへ居ても変わることはないから、せめて異文化を感じていたいとここにとどまっているだけで、やはりチェックアウトの日にワルザザードへ行って、環境を変えた方が心にもいいだろうか。
ティネリールには川や渓谷があるし、日本食もあって、日本語も話せて、気分も変わるだろう。そうしてメルズーガという沙漠の街に
行って、ツアーへ参加すれば、目の角度も変わってくるだろうか。
それからフェズやメクネス、シャウエンに行けば残り二ヶ月。タンジェからスペインへ行って、けれども目的もない。エッサウィラ、アガディールと港町をまわって、マラケシュへ戻れば一ヶ月半。その残り丸々を使って、作品を書けばいいかもしれない。
わたしに声を掛ける客引きも少なくなったように思う。その方が気は楽だが、面白味には欠ける。
パティオには楽園の建築様式が求めらているらしい。対称的で、中央には水盤と噴水があって、緑が置かれる。パライソ。わたしの泊まる安いホテル(リアド?)にもそれはあって、床や壁に貼り並べられたモザイク調のタイルなども綺麗だとは思うが、楽園というものは分からない。中庭、憩いの場にすぎない。楽園をこのホテルに求めることがそもそも間違っているのかもしれない。星がいくつもつく高級ホテルであれば、そのような楽園的景色を拝めるのかもしれない。ここでは女中が疲れた顔で白いシーツを干している。あ
るいは、楽園というのはそのような犠牲の上に築かれるものかもしれない。奴隷のような存在を働かせ。
何にせよ、この世に神が現れないのと同様に、楽園は存在しない。
それは常に彼岸に想像されるものでしかない。あるいは、わたしの求める主題というのも、現には露わにならない類いのものかもしれない。するとわたしの彷徨も骨折りにすぎないのでしょうか。主題とは何か。『草枕』の結末が思いかえされます。絵描きが女の、男を見送る横顔を見て「それです」と興奮するあの瞬間を、わたしは待ちわびているようです。
夕食を求めて屋台の建ちならぶ、まだ人でにぎわっていない広場へ行くも、オイリーなものは食べたくないと思い、ひやかして歩くだけに終わらせてカフェバブーシュへ。するといつもいる白髪のおばあちゃんが若者と同席して、若者の弾くギターを聞いている。明
後日、ホテルをチェックアウトすることにした。そのため、明日はマラケシュ駅へ行き、スプラトゥールのバスチケットを購入しなくてはいけない。帰りにカルフールへ寄ってビールを買おう。
カフェバブーシュの帰りに、フナ広場のアンモニア臭い広場の片隅に行く。西日に照らされる地平線の雲はマラケシュのアドべと似た桃色になっている。紫色、赤、ピンク・・・この色を何と呼ぶのがいいだろうか。薄紅色、薄桃色。マラケシュの壁の色こそが、夕焼け色だろうか。
午後六時半、広場はようやく暮れかけている。

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