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でき太くん三澤のひとりごと その121

◇ Uくん


今朝はいつもよりも少し遅く起きて、朝活。
朝活は、書道の練習をしています。

朝活が終わって、コーヒーをのんでいるときに、ふと思い出したことを書いてみようと思います。

今朝思い出したのは、中学生のときに友人だったUくんのこと。

Uくんはお家が魚屋さんでした。
私が住んでいた地域では比較的大きな魚屋さんで、繁盛しておりました。

Uくんは中学卒業後は、家業を継ぐこととなっていました。
Uくんは勉強も好きではなかったようですし、学校の先生からも目をつけられており、いわゆる札付きのワルでした。

ですから、Uくんは1年生のころから、

「おれは高校にはいかねえ。魚屋をつぐ。おまえら、テスト勉強大変だな」

と言っていました。

Uくんのテストの点数は、ほとんどが0点。

たまに選択問題が正解して、10点台になる教科もありましたが、Uくんの「勉強しない姿勢」の徹底ぶりに、その当時の私は度胸があるなと、少し感心していました。いくら高校に行かないとはいっても、成績は親もみるわけですから、多少は勉強して0点は避けたいと思うものです。子どもにとっては、学校が生活の中心で、そこで自分が評価されるところもあるわけですから。

私もその当時は成績は下から数えたほうが早く、学校の先生の多くは私も就職組ととらえていたようで、Uくんもそんな先生たちの雰囲気を察してか、私と仲良くしていたのかもしれません。

そんなUくんと私が中学3年生のとき。

あれは忘れもしない英語の授業。
多くの生徒の進路も決まり、あとは卒業を待つだけという時期です。

学校の授業もほとんどが消化試合。
だれもがダラけた雰囲気の中、Uくんは、おそらく3年間開いたこともない教科書をひらき、先生の授業を聞いていました。

その光景に私も驚き、となりの席にいたUくんに

「どうしたの?教科書なんかひらいて?」

というと、Uくんは、

「最後くらいきっちりやっとこうかなと思って」

とのこと。

なるほど。
そういうことか。

わからない単語の羅列。
わからない文法の数々。
まったく何を言っているのかもわからない授業。
Uくんにとっては、きつい時間だったと思います。

そんなとき、英語の先生Aが、

「おい、U。おまえ就職するんだから勉強しても意味ないだろ。なんで今更教科書なんかひらいてんだ?」

と、軽い口調で言いました。

私はそれが許せませんでした。

「なんだこの大人は?それでも先生か?」

A先生はもしかすると冗談のつもりだったのかもしれませんが、そのときの私は友人を馬鹿にされた怒りで、きっとすごい形相をしていたのかもしれません。

そんな私をみてUくんは、まるで私を制するように、

「やめろ」

と、ただひとこと。

何事もなかったかのように、だまって教科書を見つめていました。

見たって何もわからない教科書を。

おそらく、というか絶対に、そのときの経験が私の中に深く刻まれていて、それが今の私を動かしているところがあるように思います。

中学3年生で指を使って計算している。
小学5年生で九九をおぼえていない。
学習障害があるといわれている。
「どうせ、ぼくは馬鹿だから」といってあきらめている子。

そういうお子さんが入会すると、できるだけ私が担当するようにしています。

子どもが「勉強しよう!」と思ったとき、子どもが少しでも「変わりたい!」と思ったとき、それをしっかり支え、励ますことができる大人でありたい。そういう思いが私の中にあるのでしょう。

Uくんは、今頃どうしているのかな。
立派なお父さんになっているのかな。

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