私の写真半生3 大学院後、とある写真家のアシスタントをした1年間の話
転機となる出会い
大学院2年生の時、私の人生を大きく変える出会いがありました。その人は物撮りで非常に有名な写真家でした。その人のことは在学中に大きな美術館で開催された写真展を通じて知っていました。素晴らしい写真展で、私は物撮りの世界の奥深さを知り、大きな感銘を受けました。
運命のポートフォリオレビュー
記憶が曖昧ですが、最初の出会いはその写真家がポートフォリオレビューのイベントを行うことを何かのきっかけで知ったことでした。「これはチャンスだ!!」と思いすぐ登録して参加しました。その後も2、3回の追加のポートフォリオレビューがありすべて参加しました。ポートフォリオレビューの後、参加者との交流会があったのですが、その写真家から「ワークショップも考えているのだけれど、どう?あったらみんな参加したい?」という話がありました。憧れていた写真家から「物撮りとライティングが学べる!これはまたとないチャンス!」と思い、もちろん参加しました。
ワークショップで知った物撮りの奥深さ
物撮りの世界について表面的な知識しか持っていなかった私にとって、このワークショップは非常に学び多きものとなりました。物撮りの、そしてライティングの奥深さとその難しさ、繊細さを知っていきました。
写真を料理に例えるとわかりやすいかもしれません。料理は「素材選び」「調理方法」「味付け」で構成されていると思います。写真に置き換えると「素材選び=被写体選び」「調理方法=どう撮影するか」「味付け=レタッチ」となると私は考えています。このワークショップでは特に「調理方法」、つまりどう撮影していくか、どう撮れば被写体の魅力を引き出せるかを深く学びました。
例えば、マグロを素材とするなら、刺し身として食べることもできますし、煮たり焼いたりすれば全く異なる料理として楽しむことができます。素材の味を引き出すにも色んな方法がありますよね。同様に、物撮りでも被写体の魅力を引き出す方法は多岐にわたります。ライティング、背景、見せ方などを工夫することで被写体の魅力を最大限に引き出すことができるのです。しかもその引き出し方にも色んなアプローチがある。どれを選択し、どう突き詰めていくか。そういったことを学ぶことができました。
憧れの写真家のもとへ
ワークショップを通じて、その写真家への憧れがますます強まりました。彼がポートフォリオレビューやワークショップを行ったのは「若手を育てたい」という思いからでした。ワークショップは「写真塾」として定期的に開催され、彼はこれをもっとオープンに、正式な形で進めようと考えていました。
私はこの写真家のもとで学べば、自分の将来に絶対につながると確信し、大学院修了後、彼のアシスタントとして働くことを決意しました。しかし、現実は理想とは大きくかけ離れていました。
理想と現実
彼は写真塾の構築をメインにしていたり、他にも色んな事情があったため残念ながら撮影の現場を見られる機会はほとんどありませんでした。実際に撮影を見ることができたのは片手で数えるほどでした。私の仕事は主に写真塾の構築のための作業で、事務的な作業がほとんどを占めました。
さらに、彼は自分のイメージ通りに物事が進まないとすぐに癇癪を起こす人でした。彼のイメージから1ミリでもズレているとすぐに理不尽な怒りがとんできました。怒号に晒される日々。私の身も心も次第に疲弊していきました。そんな中で平日は写真塾の構築、土日はワークショップという日々が続きました。
ワークショップの動き
土日にあるワークショップ。このワークショップ、実は土日だけでは終わらりません。勉強に予習があるように、ワークショップでは平日の間に自分なりに予習撮影をすることが前提にとなっていました。予習撮影した写真をもって土曜日の朝のミーティングからスタートです。被写体の説明をしたり、予習撮影した写真をどのようにして良くしていくかをワークショップのメンバーや写真家にプレゼンをします。そこから意見やアドバイスをもらって撮影に挑む形でした。夕方頃ワークショップが終わり、帰宅してもう一度自分なりに再撮をする。そして翌日の日曜日に完成した写真のレビューをする。というハードな動きでした。
疲弊していく日々
平日は癇癪で何度も何度も怒られ、疲れ果てた状態で帰宅。そこからワークショップの予習写真撮影しなければいけませんでした。そして土日はフルエネルギーでワークショップに挑む。。。しかも日曜日のワークショップ後は毎回、交流会という名の飲み会がありました。休める時間が、、、ほとんどなかったです。
平日は理不尽に怒鳴られ、怒られる。その中で予習撮影をし、ワークショップに挑む日々。若くて体力があったから体力的にキツイのはまだなんとか耐えられます。でも長期でそんな状況が続いたため、心はボロボロになっていきました。
今振り返ればかなり危険な環境でした。早く辞めるべきだったと思います。でも当時は「なんとか写真家として一人前になりたい。」そう思っていました。その思いが強すぎたのかもしれません。
ボロボロになりながらも続けたワークショップにも色々と学びがあったのです。その学びが次につながるはずと信じていたので、「ここで頑張るしかない。今は耐える時。続けていくべき。」そう思い込んでいました。
新たな道を求めて
もともとワークショップは1年の予定でした。なんとかそこまで耐えることができました。そのタイミングでふとこの1年間を振り返ることができたのか大きかったんだと思います。身も心もボロボロとなり、「このままここにいたら自分は潰れてしまう。」と思ったんです。いや、思うことができました。そこで離れることを決意できました。
離れたのは年の初め頃だったと記憶しています。今思えばすごくいいタイミングでした。当時の写真業界は3月のギリギリまで新しいスタッフの募集をしている会社が結構ある業界でした。まだ撮影会社やスタジオの募集がある時期だったんです。なんとか撮影会社に入れればと思い、就職活動を開始しました。
当時はリーマンショックによる就職難がまだ大きく影響している時代でした。そのため大学卒業後、3年間は新卒扱いにするという流れがあったのも私のおかれた状況を後押ししてくれました。
今振り返ると、精神的にはかなりやばい状態だったと思います。当時病院などには通っていなかったのではっきりしたことは言えませんが、おそらく鬱病一歩手前くらいの状態だったのではないかと思います。うまく頭の中が整理できないし、何より活力もでない。力仕事をする時、力を入れても100%出せていない感覚があったので、メンタルだけでなく、体にも症状が出始めていたんではないかと思います。
もちろん就職活動にも影響がでていました。合同就職面談に参加したときに否定的なことを面接官に言われたことがあったんです。そのことでひどく落ち込んでしまい、帰宅後から翌日の夜まで1日中寝込んでしまい動けなくなったこともあったりました。今振り返ると言われた内容は大したことではなかったです。でも当時の自分は心が過敏になりすぎていたんだと思います。普通の人にはかすり傷程度のダメージでも自分には大ダメージになっていました。
ひどく落ち込むこともあった就職活動ですが、ありがたいことに私を拾ってくれる広告会社があり、そこに就職することになりました。色んな意味でギリギリだった自分を採用してくれたことには本当に感謝しています。
<まとめ>
なんとか写真家として一人前になりたい。その思いが強すぎて大きく間違った、馬鹿な選択をしてしまったように思います。精神的にも肉体的にも追い詰められる結果となってしまいました。親にもすごい心配をかけたし、迷惑をかけてしまいました。しかし、その経験を通じて物撮りやライティングのこと、他にも言葉にしきれない多くのことを学び、最終的には広告撮影会社に就職することができました。それは本当にラッキーだったと思います。
振り返ると、自分の人生の中であの頃が一番つらく苦しい時期だったと思います。でもそれを乗り越えられたことが、私の成長に繋がったことも確かです。
そして話は広告撮影会社での話へと続いていきます。
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