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楽しき人生 美しき生と死と  第一章【自己紹介Ⅰ】

こんにちは。
ネットに投稿すること自体が初めてで、今回始めてこうして誰かに向けた言葉を綴ります。目に見えない世界について考えた事ってありませんか?例えば、生とは平等ではないと思った事はありませんか?生まれる環境によって人の生は残念ながら不平等です。それと同じくまた死も平等ではないと考えています。
僕はこんな事を生まれた時から考えてます。
今回は僕の事を知って頂きたく思います。
輝かしい人生。暗い影を落とした人生。
楽しい。辛い。痛い。
様々な人生があります。
その中で僕の人生は輝かしい人生だと思っています。

現在46才のバツイチ子無しの独身男で営業職をしています。パートナーは居らず友達も少ない寂しい貯金もないおじさんですが、僕は今の自分がとても好きです。これまで歩んだ人生がとても大好きです。そしてこれから訪れる未来には希望しかありません。また、いずれ迎える死を温かい豊かな気持ちと笑顔で見据えてます。
僕は今の自分に誇りと自信を持っています。
この人生と自分が大好きで仕方ないくらいです(笑)
これまで関わった時と人々に感謝の気持ちで溢れてます。
こんな気持ちになれたのは本当に最近の事です。
紆余曲折あったこれまでの人生を少しでも興味お持ち頂けた方は僕のこれまでの人生を見て頂けたら幸いです。
文書が読みづらかったらすみません。



泣き顔以外は無表情の学生時代まで。



1976年この世に生を与えられて親からは溢れんばかりの愛を与えられ次男として瀬戸内海近辺で育ちました。
僕は変わった子供で、物心付いた時には身体は借り物の様な気持ちと何故生まれたのか、生きるとは何なのかと考えていました。
あらゆる事柄が怖くてずっと泣いていました。
赤ちゃんの頃は泣きすぎて引付けを起こしてしまった事も度々だったそうです(笑)
その為、高校の学生時代までは自分の殻に閉じこもり酷い人見知りとあがり症で人と話す事もできずに辛いことからは目を背けて逃げる毎日でした。
幼稚園の頃は真っ白い肌に金髪(天然)の髪で外国人と言われながら虐められました。
小学中学とビーバップハイスクールが流行った関係で弱虫と殴られ蹴られる毎日で虐められていました。
押しピンが靴に入っていたり椅子にばら撒かれてた事もありました。
親には心配をかけたくなく家では何事もない様に笑って過ごしていました。
でも、心はズタズタで飛び降り自殺を考えた事もありましたが立てば怖くて1人泣いて過ごしました。心がズキズキ痛い。そんな感じでした。
高校では良くも悪くも目立つ事のないように身を潜めて過ごしたおかげか虐められる事はありませんでしたが自分から逃げる事は相変わらずで、勉学も部活も全く励む事のないどうしようもない日々を送り青春なんてものは記憶にありません。
自分の事が世界一大嫌いでした。
生きるとは何なのか、何の為に生きているのかの答えもわからないまま生きている事を恨みさえしました。勉強する事が嫌いだった為に大学には行かず就職する事を選びました。これも嫌な事から逃げたい気持ちからの選択でした。
この頃は何に対しても逃げるネガティブしかない自分が殺したい位嫌いでした。



生きようと思った最初の転機。



就職はバブル崩壊後ということもあり、活動も面倒な事からこの数年前に親が立ち上げた会社に就職しました。その仕事はパチンコ店でした。兄貴は他で就職していましたが、兄貴が跡継ぎなので僕はただの従業員としての就職でした。
振り返ればこの時が僕の最初の転機でした。

僕は親が働く姿を見ながら、それまでのネガティブで大嫌いな自分を否定したくなりました。どうしてそんな気持ちになったのかは今でもわかりません。でも、変わりたかった。それまでは自分が生きているのかさえ疑問に感じていました。だから自分の力で生きてる実感が欲しかった。でも、何をどうしたら良いのかわかりません。ネガティブ思考も恐怖心もそのままでした。
1つで良い。確実に前に進んで行こう。これから自分で人生を生きるんだ。そう決意して何から取り組むかを考えました。
この日から23才まで毎日人前で泣く姿を見られたくなかったので夜中の3時過ぎに布団の中で泣き始めて泣き疲れて寝る日々が始まりました。
先ずは接客という特性上、笑顔を作ろうと思いました。これが中々難しい。それまでの表情のない人間にとって笑顔を作るにもどんな顔をしたら良いのか、その為の筋肉も顔にはなかったのですから。
鏡の前で不慣れな笑顔を作りスプレーで固めた様に必死にその顔を維持しながら次の休憩までもたす。その繰り返しで1日を過ごして翌日には顔が筋肉痛。それを毎日続ける事で数年で自然と笑顔を作れるようになりました。
続けて難しかったのが喋る事でした。自然な会話が苦手だったのでお客様や同僚との会話が最初は出来ませんでした。そこで先ずは挨拶から始めました。笑顔で大きな声で挨拶することを心がけました。
次に会話を弾ませる為にそれまでしてこなかった勉強も独学で始めました。元々哲学は好きでしたがその他に仕事場で必要な知識は本や新聞、人の話から学んで行きました。頭の中で脳みそフル回転させながら必死に学んだ知識でぎこちないながら自分発信で喋りかける事を心がけました。
話し上手は聞き上手だと人から教わり、自分から話すたけではなく知識を得る為にも質問して聞き手に接したりもしました。
こうした事を数年続けると自然にコミュニケーションスキルを身につける事ができました。

職務上お客様とのトラブルも絶えませんでした。
入社1週間で刑務所を出所したばかりのヤクザと名乗る方に暴行を受けます。
怒鳴られたり囲まれたりするのは日常茶飯事。
以前なら泣いてばかりだった自分ですが、変わると強い決意をして臨んだ仕事です。歯を食いしばり震える声と手足でお客様にお店のルールで遊んでもらうように自分から注意に行き、時には諌めていきましました。
人の慣れとは怖いものでこれも数年間毎日していれば震える事もなくなりました。
こうして一歩また一歩と小さな歩みですが確実に自分を前に進めて行きました。


自分を諦めたくないという気持ち

就職して以降朝8時から夜中の3時まで週6で働いて休みは1日寝て終わり。そんな生活を続けて20才で主任に22才で店長に昇格しました。
この頃も毎日布団の中で泣いては泣き疲れて寝る日々は続いてました。
当時は誰よりも努力していた自負があり、誰よりも勉強してきた自負がありました。
それでも次々に訪れる試練に挫けそうになったのは1度や2度ではありませんでした。
何よりも難しかったのがマネージメントです。
まともに人と話す事すら出来なかった若造が当時30代40代の方々をマネージメントする事になったんです。大変です。
最初は誰も指示に従ってくれる方はいませんでした。教育だって出来ません。大体マネージメントって何?そんなレベルです。
でも、どんな壁も死ぬ気でぶつかって行けば壊せない壁はないと自分を鼓舞するように勉強して努力すれば何とかなると思いながら著名人や偉人のビジネス書等を片っ端から読んでは現場で失敗してそれを分析して学び直してまた現場で試す日々を過ごしました。厳しく接したり褒める事を徹底したり、時には喧嘩したりと得た知識は何でも試しました。
自分を変えたいと泣きながらでも始めた自分との闘いもこの頃には自分の可能性を信じてみたいという気持ちに変わっていました。
その為より熱量を持って突き進むようになっていました。
少し長い月日が流れて自信を持てるマネージメントスキルを手にする事ができました。
1つ自信を持てた事でこの先の自分の可能性と変わっていける自分自身を諦められない気持ちが強くなっていました。


ここまでは弱かった自分に生きる事への強い気持ちが生まれるまでを綴りました。
次回は、闘いの日々と感謝して止まない支えてくれた全ての方々や事柄について綴ります。
何故僕が人生を好きで楽しいとなったのか。
生と死についての人生哲学について人生紹介を何章かに分けて綴りながら紹介します。
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