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フランス人に見習う生き方1

元夫やその大家族の人たちから学んだことはたくさんあった。

大家族は、入り乱れていた。これが最初の印象。

北京で知り合った夫と共にフランスに旅行に行ったのは、付き合い始めて2ヶ月頃だった。

もしかしたらすぐに別れるかもしれないし、こんなチャンスはないと、フランスに帰省する彼にくっついて、いったことのなかったフランスに降り立った。

ナポレオンや王侯貴族、ブルジョア所有だった、アンティークの書物を扱かう本屋さんを、彼の祖父が築き、裕福な一族だった。

彼のお父さんの兄さん、お母さんの姉さんも結婚していたので、家族はいとこの子供まで勢揃いで、みんなでサッカーもできた。ボードゲームも戦略の入り混じった深みのあるバトルがてきた。

叔母は、成人25名ほど、プラス子供達の大人数の親族全員が集まれるカントリーハウスを夢見ていて、ノルマンディの土地に3ヘクタールの敷地を持つ別宅を構えて、普段はパリで暮らしているが、イベントにはみんなが盛大に集まり、飲んで食べて、音楽を奏で、心から寛いで満たされた日々を過ごした。今思い出しても、豊かだったなあ。としみじみしてしまう。

わたしと彼の結婚式も、叔母と義母が企画してくれて、その広大な敷地に真っ白なテントをはり、レストランをケータリングして最高の演出をしてもらった。当時妊娠中だったのに朝の5時まで踊りくるった。


Qu’est-ce qu’elle est belle la vie.

義母の口癖は、

人生はなんて美しいんだろう。だった。

わたしも何度呟いたことだろう。

さて、

何故、大家族が入り乱れているという第一印象を持ったかというと、複雑な関係性と覚えるべき名前の多さで、登場人物がなかなか把握できなかったからである。

義父母は2組のうちの離婚していないカップルその1だったが、とっくに別居していて、お互いにパートナーがいた。

正確にいうと、義母のパートナーは亡くなっていたが、彼が亡くなるとき、そのパートナーの妻も早々に亡くなっていたため、天涯孤独になってしまう末っ子を義母に託した。彼は15歳の時に義父母の養子になった。

義父母の間に3人の男子が産まれたが、義父も快くサインし、義母パートナーの子を息子として家族に迎え入れた。

おじさんは2回目の結婚だった。義父母の結婚式で義母の姉と知り合い、当時結婚していた女性とその間にできた二人の幼子と置いて叔母と結婚した。

ノルマンディの田舎の家には、おじさんの離婚した年老いた元妻も、その妹さんもいた。

中年になったおじさんの二人の子供達と、その元妻や現妻、元妻の子供、現妻と南国から養子縁組してきた二人の肌の色が違う子供達。

夫のお兄さん、とその元パートナーと、その子供。その後は、現妻と知り合い子供も生まれた。

叔母さんのゲイの友達は、批評家で日本に関する知識も豊富だった。

夫の祖母も2度結婚していたし、

義父母の他の兄弟姉妹そのパートナーその子供達、兄弟姉妹と言っても、異母異父はざらである。

義母は義母で、五人姉妹の中で、母親が同じなのは四人、彼女一人だけ父親が違い、他の3人は父親が同じ、一人はまた違う父親だった。

義母は、父母は燃え上がる不倫の末にできた子だと知ったのは両親が亡くなってからだった。まだ未成年だった。

本当の父親はカラーテレビを発明したエンジニアだった。その家系はナポレオンの八将軍のうちの一人を生み出し、マリーアントワネットの教育係をになった人を生み出した。


義母の父親の家には、革命前夜に黒塗りにして運び出されたマリーアントワネットの肖像画をのちに復元したものが飾られていた。

そして、父親と再会した時には、彼は他の女性と家族を築き、四人の弟妹を設けていた。

彼ら世代は戦争という激動の時代だったので、いろいろなドラマが家族に残っている。事実って小説よりドラマチックだなと思う。義母の父は戦争中の明日があるかわからない時代に、レジスタンスとして抗戦していたときに母親と知り合った。



話はそれたが、登場人物が多すぎるということで、とても、名前と顔を覚えられなかった。


そんな複雑さは、頭で理解しようとしても途中で放り出すしかない。過去は関係なく、みんなあっけらかんと友達関係を築いていた。過去は過去で色々あっただろうが、とにかく出会ったら、縁が続く限り続いてゆく。今の幸せを貪欲に享受する。

わたしと夫の離婚が決まり、夫が新しい彼女と家族のイベントに参加していても、彼女を歓迎して受け入れる、そしてわたしとの関係も変わらないと言ってくれる。

家族は口々に

カップルがこうなってしまうのは仕方がないけど、わたしとあなたの関係は何も変わらない。と言うのだった。

人間は完璧じゃないし、自然の一部だし、本能のある動物だし、ポンコツだし、時には浮気もするし、でもいいじゃん、人間だもんってのが根底にある。

これだけ離婚が多いと、2度目くらいの結婚でやっとしっくりくる人が選べるのかな。とも思う。

みんな、美味しい食事と共に、ユーモアに富んだ会話をし、大いに議論する。

昼からワインが開き、6時からアペロと言われる食前酒が始まる。お腹いっぱいになったところで九時ごろにディナーが始まる。ほんとに突っ込みどころ満載。

合理性とは程遠い。ご飯前にお腹いっぱいになったら、日本ならお母さんに怒られちゃうよ。

こんだけ複雑だから、センシティブな出来事もあり、罵り合いの喧嘩も起こったことがあったり、叔母が泣いていることもあったが、

それでも、人々にタブーがなく、ええ???!!そんな勝手なことが許されるのか。っとびっくりするようなことも多々あった。

自由で自由すぎる。

世間や親からのこうすべき、すべきでない、こういうときはこう察する思うだろう、人がどう思うか、まーーーったく意に介さず、自由に勝手気ままに思うままに生きているフランス人。

自分本意だから自分の望みを常に知っている。繋がっている。

軸を自分に戻すために、わたしはフランスにやってきたんだな。と確信している。








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