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水郡線でまた揺れる

大学進学で上京したとき、駅でまず驚いたのは満員電車ではなく車両数の多さだった。

東急溝の口駅。まっすぐなホームにぞろぞろと入ってくる長い長い列車。一人暮らしの部屋に初めて向かうため、各駅停車への乗り換え待ちだった。反対ホームに入ってくる車両を興奮気味に数える。10両。長いわけだ。

東京駅から何度か乗り換えて着いた駅だったが、首都圏で列車全体を見たのはそこが初めてだった。


高校時代に通学に使っていた電車は最大3両編成、終電なんて1両ぽっちだった。



水郡線は郡山から水戸までの約140キロをつなぐローカル線で、1日に上下各10本ぐらいしか運行していない。万年赤字路線らしく、未だにSuicaが使えない上に駅員はおろか、券売機すらない駅も多い。

郡山方面で満員になるのは郡山駅で大きな祭りがあるときぐらい。あとはほとんど、学生の乗り物のようになっている。最も遠い友人は、棚倉駅まで約60キロを1時間かけて通学していた。大震災で運行休止した時は新白河から新幹線通学していた…


本数が少ないから、郡山駅2キロ圏外の高校は朝7時前郡山着の電車に乗れなければ遅刻確定だ

帰りの部活組は19:45の電車を逃せば、次の終電21:25発まで待たねばならない。

それなのにホームは一番端にあるから、19時台の発車時刻が近づくとホームを全力疾走する高校生、高校生。

始発駅だからか、発車時刻ちょうどぐらいにホームを全力疾走していれば、運転士がホームに付いたカメラで確認して待ってくれるローカルルールもあった。

そういう見せ方も肝心だった。
今はどうだか分からないが。

本数が少ないと、同じ時間に乗る面々は限られてきて、ほとんどが顔見知りになる。

特に19時台2両編成。始発駅で発車30分前にはホームに到着する車両は、部活帰りの高校生でいつも賑わっていた。

中学と高校の友人同士が混ざり合い、まさに友達の友達はお友達。電車の中でたくさんの友達ができた。異なる制服の高校生が「お疲れ!」を交わし合い、仲のいい友人を見つければ立ち止まる。迷惑な客だったろう。

駅員がいない駅(ほとんど) は車掌が切符を確認するため、先頭車両の、そのまた先頭のドアしか開かない。だから降りる人も、見送る人も誰が乗っていて、どこで降りるか把握できる。

まさに「よっ友」も量産されたが、電車に揺られていると、不思議と悩みや進路の話、深い話をするようになることも多々あった。まぁほとんどがバカな話ばかりだったような気もするが。

不思議と一人静かに電車で帰った記憶はほとんどない。そんな当たり前に過ごしていた時間がとても好きだった、

のは今だから思えることなのであって。




一人。

重いリュック背負い、手にした英単語帳を開きもせず毎日何を話してたかなんて思い出せない。

安積永盛駅から最寄りの磐城守山駅までの間で、ガタタン、ガタタンと激しく車両が揺れる区間がある。

あの頃と同じ場所で、同じように揺さぶられても、あの子たちにはもう会えないことが妙に寂しく感じられるのだ。

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