失敗と挫折の高校受験

今年もまた、受験シーズンがやってきました。私にとっての高校受験は失敗と挫折の連続でした。

その記憶を辿ってみました。

①受験校が決まるまで

中学3年生になると高校受験が待っています。当時、私は将来の夢がありました、それは旅行の仕事に就きたいということでした。先生からもそのためには大学まで卒業しないと難しいと言われました。それも一流の大学へ行かないと大手は無理だと。

そこで私は名門私大の付属校を受験することに決めましたが、三者面談でも担任から今の成績では逆立ちしても受からないと笑われました。この時から私と母親は先生を嫌いになりました、普通なら頑張って見返してやるとか思うところでしょうが、そんな根性もなかったので勉強もせず成績は上がらないまま志望校を決める時が来てしまいました。

私の志望校は試験が国語、英語の2科目で、数学は苦手でしたので2科目なら行けるかもと考えていましたので、志望校を変えることはせず頑なに押し通しました。

他にも私は担任の薦める学校をすべて拒んで自分の好きな公立1校と私立3校を受験することにしたのが完全に担任に嫌われてしまい、最後は勝手にしろと見放されました。

それでも受験勉強を始めたのは年が明けてから、近所に住んでいた大学生に家庭教師をしてもらい、追い込みましたが間に合うはずもなくあっという間に受験の日を迎えてしまうのでした。

②受験~結果まで

最初の受験前日の夕方、風呂に入り準備をしていると受験票が見当たりません、教室に忘れたことに気づいた私は慌てて学校に電話しました。たまたま2年生の時の担任だった先生が出たので事情を話すと、先生は帰るけど当直に話しておくからすぐに取りに来るよう促されました。学校まで自転車で15分、必死にペダルを漕いで向かいました。受験票があり一安心。

ところが翌日の朝38度の発熱、前夜風呂上りに真冬の夜道で汗をびっしょりかいたせいで風邪をひいてしまったのです。意識が朦朧の中受験に臨みましたがボロボロ、もちろん不合格、完全に出鼻を挫かれたのでした。

スタートからの流れは悪いまま本命の私立を含め3校全滅、最後の砦だった公立も不合格。大袈裟ですが、当時は人生最大の危機がやってきたと思いました。

当時はほとんどいなかった中学浪人して志望校を目指したいと言いましたが、当然ながら両親や先生から大反対され、公立の2次募集を受験することになり何とか合格しました。

結局、進路が決まったのは卒業式の前日でした。

卒業式の後、担任の先生に言われた「ざまぁみろ、先生の言うことを聞かないからだ」という言葉は今でも忘れません。今だったら完全にアウトですよね。

そして9年前、卒業後はじめて学年全体の同窓会があり37年ぶりに先生に会いました。私のことをハッキリ覚えていました。「教師になって初めて3年の担任で初めての受験だったので忘れない」とのことでした。校長先生にまでなったそうなので優秀な先生だったようです。

もしこの時から私が筋ジストロフィーだとわかっていたらどうだったのか考えてみると、おそらく先生の言う通りにしたのかな?と思います。今はわかります、あの高校受験の結果は自業自得だったことを。

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