西村 昭夫

21歳でベッカー型筋ジストロフィーと診断されてから43年、進行性の病気と闘い、現在は車…

西村 昭夫

21歳でベッカー型筋ジストロフィーと診断されてから43年、進行性の病気と闘い、現在は車椅子の生活になりました。 妻との2人暮らし、一人息子は結婚し独立、孫が3人います。

最近の記事

筋ジストロフィーと仕事~①私の職歴

筋ジストロフィーという障害を抱えながらの仕事についてお話を始めたいと思います。 下表の通り、私は高校を卒業後、2年間の浪人とアルバイトを経て夜間の観光専門学校に入学しました。昼間は飲食店でアルバイト、夜は授業の生活でした。 ところが、21歳で筋ジストロフィーの診断を受け、夢だった旅行の仕事を目指し通っていた専門学校も夢を断たれたと落ち込み1年半で退学。 当初は医師から30歳くらいまでしか生きられないと言われたこともあり、アルバイトは続けていましたが、病気の進行もあ

    • 3.11東日本大震災の記憶

      あれから11年・・・2011年3月11日、東日本大震災が発生した。その時私は職場のある海浜幕張のワールドビジネスガーデンイースト棟16階のオフィスで仕事中。今までに体験したことのない揺れ、その揺れは地震が治まっても余震とともに数時間続き、まるで船に乗っているようだった。 私は筋ジストロフィーという疾患があり足が不自由だったため、当時は車で通勤していて車いすを車に積んでいたが、仕事中はまだ杖を使い歩いていた。 夕方6時過ぎ、荷物用のエレベータが動くようになったので上司が私の

      • 失敗と挫折の高校受験

        今年もまた、受験シーズンがやってきました。私にとっての高校受験は失敗と挫折の連続でした。 その記憶を辿ってみました。 ①受験校が決まるまで 中学3年生になると高校受験が待っています。当時、私は将来の夢がありました、それは旅行の仕事に就きたいということでした。先生からもそのためには大学まで卒業しないと難しいと言われました。それも一流の大学へ行かないと大手は無理だと。 そこで私は名門私大の付属校を受験することに決めましたが、三者面談でも担任から今の成績では逆立ちしても受か

        • 病名を告げられて

          21歳の夏の終わり、北海道旅行から帰ってすぐのこと、当時弟が入院していた病院へ父とお見舞いに行くことに。実は見舞いは口実で私を診察させるためだった。 弟の病気は「進行性筋ジストロフィー」、医師から遺伝性の病気なので兄弟がいれば確実に発病するはずと言われた父が、そのまま私に言ったら行かないだろうと思い画策したのだ。確かに言われたら断っただろう、なぜなら私には自覚症状がなかったからだ。 しかし医師からの話を聞き、すぐに自覚することになるとは思いもしなかった。「子供の頃から走る

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