3.11東日本大震災の記憶

あれから11年・・・2011年3月11日、東日本大震災が発生した。その時私は職場のある海浜幕張のワールドビジネスガーデンイースト棟16階のオフィスで仕事中。今までに体験したことのない揺れ、その揺れは地震が治まっても余震とともに数時間続き、まるで船に乗っているようだった。

私は筋ジストロフィーという疾患があり足が不自由だったため、当時は車で通勤していて車いすを車に積んでいたが、仕事中はまだ杖を使い歩いていた。

夕方6時過ぎ、荷物用のエレベータが動くようになったので上司が私の体を心配して帰るよう促されたので車で帰宅することに。通常は幕張インターから京葉道路を利用して江戸川区の自宅まで30分ほどだが、首都圏の高速道路はすべて通行止めとの情報があったので一般道で帰ることになった。

ところが周辺道路は液状化で通行できる道路が限られ、ようやく国道357号に出るも大渋滞、カーナビの情報で国道14号が空いているようなので、よく使う抜け道から14号に出ようとしたが渋滞、しかも停電で信号が消えていて交差点では警察官が手信号で交通整理をしていた。この時気付いた、停電でカーナビに最新の情報が届いてないことを。それでも何とか14号に出たが、すでに2時間が経過していた。

ようやく幹線道路の14号に出るも大渋滞でほとんど動かない、交差点は信号が消えていて警察官がいないところもあり1台ずつ譲り合って交差する。歩道の下りは東京方面から歩いて帰宅する人の列、上りはこの日幕張メッセでイベントがあったため、東京方面に向かう人の列が途絶えることなく数時間も続き、時折救急車や消防車などがけたたましくサイレンを鳴らし道路の真ん中を通り過ぎていく、何度後ろをついて走ろうと思ったことか。

この頃、携帯がようやく繋がり、会社を出る前に自宅の妻に送った帰るメールが届いたようで、実は地震の直後一度だけ電話が繋がり会社に泊まると言っていたので、泊まると思っていた妻が驚いて電話してきた。帰ってもエレベータが止まっているとのこと、足が不自由な私は階段を使えません、しかも自宅は9階、でも今更引き返せないし、渋滞であと何時間かかるかわからないけど帰ると伝えた。

会社を出て3時間以上過ぎたころ、トイレへ行きたくなる。普通ならコンビニなどで済ませることができるが、仕事以外では車いすだった私には無理、下りの渋滞が解消され始めたのでやっぱり引き返すべきか考えた。その時、ペットボトルにお茶が入っていることに気づき、残り少なかったのですべて飲み、用を足そうとしたが、暗い車内でペットボトルの口にすることは至難の業だった。別の方法を考え、弁当箱が円筒型で二重構造だったことを思いつき、外側の筒を使ってようやく用を足すことができた。

気が付くと日付は変わり、歩いている人も徐々に減り始め渋滞の車だけが取り残され、チビチビ進んではいるが止まっている時間の方が多かったと思う。ガソリンの目盛りが4分の1になったのでヒーターを止めた、外気温が2度しかなく寒さと空腹と眠さとの闘いになり、私は筋ジストロフィーのため、寒さで足の痛みも強くなってきた。

やっぱり車線の多い357号の方が流れているのかなと思い、戻れる交差点まで来るとその道も渋滞。船橋市場の手前の橋を渡ると、357号方面へ向かう道路は渋滞してなかったのでイチかバチか左折をし、ようやく渋滞の列から脱出できた。357号と交差点に出ると車は全く走っていない。通行止めか?と思ったが、もう渋滞は解消されていたのだった。その時の時刻はもう3時を過ぎていた、あとは道路が液状化で時折デコボコはあったが自宅まで順調に走れ、結局自宅の駐車場に着いたのは午前4時、通常30分のところ10時間もかかったのでした。

駐車場で車から降りようとしたら10時間同じ態勢だったせいで体が硬く固まり立てない、妻が迎えに来て、肩を借りて何とか歩いて部屋へ、運良くエレベータも復旧していました。

後日談であの日実は14号の都県境の市川橋は通行止めだったので進むはずがないこと、同僚が10時に車で出て、海浜幕張から357号線で横浜まで4時間で帰宅したことを聞き、自分の選択が間違っていたことを知った。しかし早く着いていたら自宅のエレベータが止まっていたので待つことになったを考えるとどれが正しかったかはわからない。

震災の3年前に青森の奥入瀬から車で10時間かけ帰って来たことはあったが、休憩しながらなので同じ10時間でも渋滞の中運転するのとは大違い、足や腰やお尻が痛くなり治るのにしばらく時間がかかった。その後、なぜか渋滞するとトイレに行きたくなるということが数年続き、悩まされました。

この時の教訓から、ガソリンは早めに入れること、車で出かける前はトイレへ行くこと、携帯用簡易トイレ・飲料水を車載するなど自分自身で準備出来ることは心がけるようにしました。

11年が過ぎた今の私は、歩行が困難となり車いすでの生活になりました。仕事はテレワークになったので車で通勤することはなくなりました。しかし、大規模災害時に一般車両通行止め規制を取る方針のようですが、車いす利用者で車通勤の人もいます。公共交通機関が止まれば動けません。そういう障害者への対応はどうなるのか、考えているとは思いますが、情報が不十分だと感じています。全ての人が安心できる防災対策を望みたい。


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