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ミュージカル『ジョジョの奇妙な冒険』を観た

『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』を観ました。
 生まれて初めてミュージカルを劇場で観た……という人が多い作品なんじゃないだろうか。私がそうだから。ジョジョだから観てみた。
 なぜか(なぜかって言うなよ)(でもなんではるばる?)札幌公演があったので嬉しかったです。東京公演だけだと、検討はしたけど行かなかったかもしれないし、もしチケットを取ってもその日が公演中止になってしまって茫然と東京に行くだけ行き、有楽町のガード下の餃子バーか何かでTwitterを見ながらレモンサワーを飲んでいたかもしれない。

 結論から言うとすごくよかったです。
 ジョジョ好きならうなずいてくれましょうが、第1部って2度アニメになったしゲーム化もされたんだけど正直言ってどれも大満足とはいかなかったじゃないですか……。でもこの作品は素晴らしかった。
 ミュージカルとしての評価は、配信などで観たことも数えるくらいしかないので良し悪しを言える自信がありませんが、素直にとても面白かったです。観劇好きの人の評判もおおむね「準備不足で中止になったのは許されないが、これだけ大がかりで凝った内容ならいくら時間があっても足りなかったのはわかる」という感じなので、たぶん上質なミュージカルなのだと思う。

 演劇って、なんていうか……映画やアニメより観る側の「脳内補完」を求める表現方法なのだろうだと思っていて。
 それは長所なんですけど。
 でもジョジョという作品はマンガが原作で、マンガってはっきりと「絵を描いて見せる」表現である。最初から演劇を想定して書かれた物語ではない。ミュージカルに落とし込むに当たって、原作がどのくらい改変されているのか、一抹の不安はありました。不安というか心構えかな。
 だからここまで「原作通り」のものを脳に叩き込んでくるとは思わなかった。
 巨大で複雑ないくつもの舞台装置、プロジェクションマッピングを駆使した演出、ダンサーが全身タイツを着て群舞で表現する波紋法……あらゆる手段を使って、第1部の名場面をほぼ余さず表現していました。

 ここからは『ファントムブラッド』のストーリーおよびミュージカル版の具体的な内容に触れますのでよろしくお願いします。
 
これを書いている時点では神戸公演が控えており、いっさいの前情報を入れずに観たいという人がいるかもしれない。全国公開の映画なら「見られるものを見てない人がネタバレを嫌うのはわがまま」という理屈も通りますけど、お芝居はその日、その街でしか観られないものだからね……。

グッズのラスクです

 では話を続けます。

 ミュージカル好きというだけで『ファントムブラッド』を観て、マンガやアニメに触れたことがない人にとっては衝撃の事実をお伝えしますが、物語を貫く重要なテーマであり、たびたびジョナサンとディオの台詞にも出てきた「星を見る人/泥を見る人」という概念は原作本篇にはいっさい出てきません。単行本1巻のエピグラフに使われただけです。実在の詩人の作品とのこと。

二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めたとさ。
一人は泥を見た。一人は星を見た。

フレデリック・ラングブリッジ『不滅の詩』

 ただこれはすごく印象的だったし、ミュージカル版が作品の中に強く取り込んだのも納得です。泥を見る人=地べたを這ってでも“生き残る人”であるディオと、星を見る人=誇りを掲げて“生き抜く人”であるジョナサンとの対比。
 そう、この「対比」が原作よりうんと強調されていた。
 原作はいつ打ち切られるかわからない地獄の少年ジャンプ連載作品。このころ、荒木飛呂彦先生はマンガ好きから熱狂的な支持はされていたけど、この『ファントムブラッド』は決して大人気とはいえず、連載を少しでも長く続けるために毎週毎週必死だったという当時の編集者の証言があります。少年マンガで「19世紀イギリスの貴族の少年の話」なんて、いきなりネーム(下書き)を描いてきたから尊重したけど、アイディアだけ聞いていたら止めていたそう。
 だから悪くいえば唐突な展開もある。そこがミュージカル版では丁寧に整えられていた印象です。スピードワゴンの回想という形で始まり、石仮面を探すツェペリが前半から登場し、タルカスとブラフォードの話もより巧みに用いられ……。ストーリーテリングがより洗練されていた。原作が完結しているからできること。

 ディオは原作より繊細で哀しい人として表現されていました。
 もしかしたら賛否あるかもしれない。圧倒的な悪のカリスマであるディオが好きな人からしたら「貧弱、貧弱ゥ」な解釈かもしれない。
 でも原作をないがしろにする改変ではなく『ファントムブラッド』という物語の本質を見据えてやったことなのは間違いないし、ひとつのミュージカル作品としての物語の背骨は太くなったと思う。
 ディオが精神的に打ちのめされると、ダリオの亡霊が現れて「ディオ~~~~、ディオディオディオ~~~」と歌う場面が何度もある。つい笑ってしまったけど、そのくらい迫力があり、素晴らしい演出だと思った。ジョナサンと同じく父親からの影響を濃く受けているのに、その影響の形はあまりにも対照的という描き方。父親の血から逃れられない。
 エリナを殴った場面は感情を抑えられなかった事実以上に、母親を殴っていた父親と同じことをしている自分に傷ついたという描写がつけ加えられていた。
 父親から「泥」ではなく「星」を受け継いだジョナサンに対する、ディオの憎しみと羨みが、原作よりもくっきりと出ていた。

 スピードワゴンがディオを罵る「ゲロ以下のにおいがプンプンするぜーッ!」という名台詞があります。もちろんミュージカルにも出てきました。出てきたけど、これって歌パートにして朗々と謳いあげるくらいの名場面ですよね。本来なら。でもわりとあっさりと扱われていて……
 だから、たぶん、あまり「生まれついての悪」であることを強調したくなかったんじゃないか。だからってディオが本当はいいやつだなんて言うつもりは毛頭ないけど……
 星を見るか、泥を見るかは、選べる。
 演出家や脚本家、そしてディオを演じた宮野真守はそう言いたかったんじゃないかと思う。
 ちなみに私の宮野真守のイメージは、声優としてのお仕事を除けばほぼ「雅マモル」だったので、初めて生で演じる姿をたっぷりと観賞して「この人って……もしかしたら、とてつもなくすごい人なのでは……」と思いました。それをジョジョミュで初めて知った人も多いと思うので昔からのマモファンの人はどうか温かい気持ちでうなずいてくれれば幸いです。

 パンフレットを見て驚いたのが、脚本家のかたが「ジョジョはなぜ歌うのか、そこに必然性はあるのかを考えた」とおっしゃっていたこと。
 それ言っていいんだ! 作り手のほうが、ミュージカルに対する心ない言葉の筆頭である「なんでいきなり歌うの? 滑稽じゃない? 台詞で言えばいいのでは?」を!
 びっくりしたけど、ああ……そこはやはり、現代の作家は考えているんだ……と思った。そのジャンルの様式美を「そういうもの」として悩まずに踏襲することは何も悪くないけど、あえてそれを選ぶ必然性を自分の中で見つけてやるほうが、やはり作品にも説得力が出る。
 ジョジョは生命賛歌/人間賛歌であり、継承する物語であるから、俳優が全身から生命力をいっぱいに放出して「歌う」……吟遊詩人のように「歌い継ぐ」という表現はふさわしいのだろうと思います。特に歴史劇である『ファントムブラッド』は。

 初めての歌劇観賞は黄金体験(ゴールドエクスペリエンス)でした。
 ジョジョ好きはぜひ観てほしいし、特にジョジョ好きではないけどミュージカル好きの人もどうやら傑作らしいので観てください。4月13日と14日の公演がライブ配信され、その後1週間アーカイブ配信もされるそうです。

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