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24.聖なる夜に乾杯

短編小説です。
ずいぶんと遅れてしまったけれど、クリスマスイブのお話。
男と魔法使いの2人。
なんにも聞かないから。
来年も、一緒に過ごせたらいいね。

一年の締めです。
いつも読んでくださってありがとうございます!

◇◇◇
 ピリ、と痛みを感じて男は軽く顔を顰めた。
「どうかしました?」
 隣席の同僚が声をかけてくる。彼女は数分前に10分休憩を宣言していた。目を休めるためにパソコンも閉じていたから、男の表情に気づいたんだろう。
 湯気が立つマグカップを両手で包んで温もりを享受している。今日は一段と寒い日だった。たぶん、コーヒー。給湯室には、安物だがドリップコーヒーをはじめとした飲み物類が数種置いてある。ご自由にどうぞ、ってやつだ。
「ちょっと、切れたみたいで」
 言葉とともに左手を目の位置に上げて見せる。
「うわ、痛そう」
 そういう傷って1番嫌ですよね、と呟いた彼女はマグカップをデスクの上に慎重に置いた。パソコンや書類とは遠い場所、手が当たらないような場所を探していた。万が一、零れてデータが消えでもしたら洒落にならない。
「書類で切りました?ちょっと待っててください」
 彼女は男とは反対側、右隣の足元に身を屈めて何かを探す素振りを見せる。たしか、彼女は鞄をそちら側に置いていた。
「これ、よかったら」
「え、いいんですか」
 しばらくして差し出されたのは1枚の絆創膏だった。
「ありがたくいただきます」
 男はぺこりと頭を下げて受け取った。片手でフィルムを剥がして、左手の人差し指の先にぐるりと巻く。絆創膏なんて久しぶりに使った。男世帯にあったとしてもたいして活躍することもない。
「あ、すみません。邪魔してましたね」
 はっとしたように謝罪をする同僚に笑って首を振る。
「いいんです。疲れてきていた時でしたし、私も休憩にします」
「それならよかったです」
 

 壁にかかった時計を見て、小さくため息を溢す。残業、確定。
 聞こえていたのだろう隣の同僚が吹き出した。今日は彼女に情けないところばかり見せている。男はそのことに気づいて苦笑した。
「ちょっと休憩します?」
 微妙に笑った顔のまま提案してきた彼女に頷いてみせる。
「何か飲み物どうですか?さっきのお礼ってことで」
「さっきの、って絆創膏ですか?あれくらい気にしないでください。いつもお世話になってますし」
 彼女は慌てて顔の前で手を振る。
「いや、こちらこそですよ。残業仲間ってことでどうですか。まあ、自販機ですけど」
 苦笑いのまま時計を指してやると、少し迷った後にお願いします、と返ってきた。

「意外と甘党なんですね」
「よく言われます」
 彼女にカフェオレ、自分にココア。男は2本の缶を両手に持って帰ってきた。
 厳つい見た目なのにねー、とは同居人の談だし、言われ慣れている。揶揄い混じりに言ってくるくせに、同居人が土産に買ってくるのは人気のスイーツが多いのだから、参ってしまう。そんなに気を遣わなくていいのに。嬉しいけれど。
 思い浮かべていたからだろうか。男の携帯が震えて、着信を告げる。
「私のことはお気になさらず」
 同僚は笑ってふい、と顔を逸らした。
「すみません」
 メッセージ、一件。
『今日、遅いの?』
 同居人からだった。男はデスクを眺めて、息をつく。
『残念ながら。今日中には帰れる』
『了解。気をつけて』
 返信は案外早かった。わかった、と送って携帯をしまう。
「彼女さんです?」
 興味津々な彼女に見つめられ、笑って首を横に振った。
「いいや、ただの同居人です」
「ええ、そうなんですか。彼女さんなら早く帰ってあげて欲しかったんですけど」
 でも違うのか。
 残念だと眉を下げた彼女に疑問をぶつける。
「どうして?」
「どうしてって、え。今日なんの日か知らないんです?」
「今日?12月24日、」
 あ、と思う。
「気付きました?今日イブですよ!クリスマスイブ!ほら、このフロアだって、いつもより人少ないでしょう?」
「言われてみれば」
 呆れたような顔をした同僚に、おっしゃる通りです、と頭をかく。
 課長は家族サービス。
 村本くんは彼女とデート。
 部長も今夜は息子さんのためにサンタさんになる大仕事が残ってますから。
 彼女は数人の名を挙げて微笑ましそうに目を細めた。男は今日がクリスマスだということに全然実感が湧いていなかった。寒いから冬ってことはわかる。イルミネーションは冬の風物詩だ。言われてみればツリーがあちらこちらに立っていたような気もする。
「君は?」
「今年はクリぼっちですね」
「あー、ごめん」
 いいんですよ。気楽ですし、うちにとっておきのケーキ買ってるんです。帰ったらのお楽しみです。
 ふふん、となぜか自慢げな顔をする同僚に、思わず笑ってしまう。なんて幸せそうなんだ。地雷を踏んだかと思ったが大丈夫そうだ。
「まあでも」
 すっと真面目な表情をした彼女に「ん?」と、続きを促す。
「なるべく早く帰ってあげてくださいね。せっかく同居人さん連絡くれたんだし」
 それなら君は?1人じゃないか。
 ちょっと言葉に詰まった男を見て同僚は「なーんてね」とにっこり笑った。
「この山片付けないと帰れませんけど!」
 男はうんざりした声を出した。
「頑張るかー」
「はい、頑張りましょーね」


 玄関は暗かった。男はぱちんと照明のスイッチを入れて靴を脱ぐ。ドア側を向いて揃えたまま脱ぐのはマナー的にはよろしくないが今日くらい構わないだろう。車の鍵を靴箱の上の籠に放り込む。
 予報通り、今日は寒かった。今のところは雪は降っていない。温めた車内から数分でただけで凍えそうだ。足元から冷気が上がってくる気がして男はリビングへと足を速める。
 リビングからは暖かな灯が漏れていた。春頃のことを思い出す。同じように残業終わりだった。
でも、あの時は真っ暗だった。目を悪くする、と同居人に説教したっけ。
 ドアを開けると、急な色彩に目を奪われた。カーテンレールに吊るされたモールにクリスマスのオーナメント。小さなリース。
「、ただいま」
「あ、おかえりー」
 同居人はソファにぐでんと伸びていた。先ほどまで1人だった部屋に響くバラエティ番組の笑い声。
「お前、これ」
「クリスマスだからねー」
 流石に本物のツリーはないものの、それを模した小さなオブジェがテーブルの上にちょこんと立っている。周りにはキャンドルとラップのかかったチキンにスープ。
「もしかして待ってたのか」
「イベント事好きでしょう?」
 同居人は体を起こしてにこにこと笑う。
 さっさと置いてきなよ、荷物。
 そう言うなり、ぐいぐいと男を部屋の奥へと押しやった。
 男が戻ってくると、テーブル上の皿からは湯気が立ち上っていた。温めてくれたらしい。
「ほとんど市販で悪いけど」
「いいや」
 2人で手を合わせてずいぶんと遅い夕食に舌鼓を打つ。
「おいしい?」
「うまい」
 気づいていなかったがお腹は空いていたようで、いつもよりハイペースで食事が進んだ。
「これ、どうしたんだ?」
 一段落ついた後、部屋を見回して男は問うた。
「飾りは買ってきて、あとはちょちょい、と」
 ちょちょい、のところで同居人は指をひょい、と振ってみせた。
「魔法使いって、クリスマス祝えるんだっけ」
 男は首を傾げた。
 中世ヨーロッパの方の魔女狩りとか、そういうの、気にしないの。
「そりゃあ、キリスト教ではないけど。日本にいるんだから今更でしょ」
 それにたぶん魔女狩りは関係ない。
 同居人はけらけらと笑った。
 男に同居人ができたのは一年ほど前のことだった。住むところがないのだと、この国で拠り所が欲しいのだと。魔法使いだと名乗る彼は男に置いて欲しいと必死に頼み込んだ。なんで拾う気になったのかはわからない。気が向いたのかもしれない。魔法なんて信じ難い。しかもその時が初対面の人間だ。けれど、男は結局、是と言ったのだった。
 今、自分のその気まぐれに男は感謝していた。正直、本当に同居人が魔法使いかは今でもわからない。でも、今では同居人がなくてはならない存在になっていた。誤解されることの多い男を揶揄いながらも理解しようとしてくれる。歩み寄ってくれる。魔法使いというのが嘘でもいいから、隣にいてほしかった。そんなこと面と向かっては言わないけど。大切だった。
「お腹大丈夫?」
 ケーキあるけど、と魔法使いが立ち上がる。
「甘いものは別腹だから」
「言うと思ったよ」
 綺麗に皿にのせて、フォークを添えて。2人じゃ寂しいからとホールケーキはなしにして。男にはフルーツたっぷりのタルト、魔法使いはチョコケーキ。でもやはり王道は外せないとショートケーキは半分こに。
 男はわかりやすく顔を輝かせた。男が好きな、とっておきの時に食べるケーキ屋のものだ。でも、はっと目を伏せる。
「ごめん、俺もなんか買ってくればよかった」
 魔法使いは微笑んで、ケーキをずい、と差し出した。
「こんな時間、どこも開いてなかったでしょ」
 それでも、どこかに寄るなんて考えつきもしなかった。
「日頃の感謝だからさ」
 魔法使いは言う。
 デジャブを感じて、男は真新しい絆創膏をするりと撫でた。
 知らないままでいい。信じたいものを信じればいい。下手に踏み込むと魔法使いがいなくなってしまいそうで、ずっと怖かった。
 来年も、花見に行きたいね。
 2人はそんな些細な約束で成り立っている関係だったから。
 でも今日はそんなことはどうだっていいや。
 魔法使いの気持ちが嬉しかった。
「ありがとう」
 男はその言葉に魔法使いへの精一杯の気持ちを込めた。どういたしまして、と魔法使いは微笑んだ。
「メリークリスマス!」
「メリークリスマス」
 聖なる夜に乾杯。

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