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「移りゆく毎日に価値をつくる。」

こんにちは、坂です。

近況について久しぶりに書きます。

大体こういう事を書くと夜になる。

気づけば夜中3時でした。


最近はあえて「SNSの発信」を意識的に減らしていました。
「減らした」というのは、一方的な情報発信は継続し、双方的コミュニケーションを減らす。様な感じです。単純に発信する必要がなかったし、目の前の仕事で手一杯で時間をかける暇がなかったからかもしれません。でもたまには振り返ることは大事だし、自分のために書き残しておこうと思います


皆さんはコロナを経て何が変わり、何が変わらず、生きていますか?

「変わり続けること」は人間本来の生存本能かもしれませんが「変わらないこと」も愛せると良いですね。僕は小さい存在だけれど、変わりゆく考え方も変わらない考え方も大切に生きたいと思います。


書きたいことは2つ。仕事と拠点の話。



プロフィール

「坂彬光制作事務所」を主宰。大阪市在住の岸和田市生まれ。
「大切な人を大切にする為のクリエイティブを.」をテーマにフリーランスをしています。仕事は資料作成サービス「#ドキュメントコーチ」・ディレクション・コピーライティング・デザイン業務など。


仕事について

【自分が「できること」を小さくサービスにした。】

対面やイベントでの仕事がゼロなり、自分にできることは何かを考えるきっかけに。


元々、制作会社で会社員をしていた頃、本当に使えないダメ社員で、上司からは「お前ってなに向いてるんやろなあ」と言われる始末。Web制作会社でアシスタントディレクターをしていたので、上司の年間100件以上ものアイデア案(ほぼ没案ですが)や社内向け議事録、企画書、提案書、絵コンテにコピーライティング、脚本づくりなどありとあらゆる「資料」を作りまくっていました。


そのため「資料をつくる」ということに対して、多少耐性があったので、コロナに入ったタイミングでたまたま「知り合いの会社の事業提案書を作って貰えないかな?」と相談を貰う。すると「お前すごいな、こんなの作れるって価値やで。小さくサービスにしてみたら?」と言われて始めたサービス。


それが資料作成サービス「#ドキュメントコーチ」でした。

(※)守秘義務上、実績は「紹介して良い」と許可を下さった方の資料しかお見せできないため悪しからず。


ちょうどサービスを開始して、3ヶ月が経ち、定期的にご相談を頂けるようになりました。最近は「リピート>新規」割合が徐々に増えてきた様に思います。


ただ、やはり日々自分で発信をして、お客さま対応をして、資料を作って…という状態で日々爆走しながら、繰り返しているプレイヤーは非常に大変で、おっつかない時もあります(事業者の皆さんは本当に凄いなぁと思います)なので、もうそろそろプレイングマネージャーになっていかないと過労死しちゃうなと思う次第です。


だけれど「非常に有難いことに仕事をさせて貰っているのに、日々学ばせて貰って、叩き上げて頂いてくれるお客様がいるからで他ならないと思います。本当にありがとうございます。それが「やっと点が面になってきた」という感覚があります。


それは日々事業と向き合い、時間のない中で経営者様のお悩みを伺い、これからの未来や、お客様のクライアント様にどうお届けすべきか?について考えていく中で「横で一緒に事業をお手伝いさせて貰っている」様な憑依感覚になります。この瞬間に心震えたりする事がこの仕事の楽しみであり、醍醐味かもしれません。


基本的にお打ち合わせはオンラインで納品まで、直接お話を伺うことは殆どありません。が、その真剣さは伝わってくるものがある様にこの頃は感じます。資料を通じて数百から億規模のお金や人の心が動くご提案のお手伝いができているのだと思うと、その面白みは担当してみて初めて分かる責任と経験なのかもしれません。


【「やらなかったこと」を「やってみる」ことにした。】

自分がやってきたディレクター業だけをやる事をサッと辞めました(笑)


というより「デザイン業務も巻きとってガンガン自分でやる」様にしたのです。コロナ前だったら絶対にやらなかった選択だろうなーと自分に対して意外だと思いますが、生き残るためにそんなことも言ってられなかった(笑)という方が正しいです。


・画像やパンフレットデザイン業務
・取材やインタビュー業務
・コピーライティング業
・オンラインショップを数店舗運営サポート
・撮影時の現場アシスタント&車手配など(笑)
・Web制作もまるっと自分で全部やる
・不動産の施工管理現場の手伝いとか片付けとか
・組織の遷移をギルド型組織(社長以外、全員フリーランス)に入って学ぶ


これらもやってみよーと思ったのは、40代になっても第一線でデザイン会社や教育事業を経営されている素敵な大先輩からのアドバイスのおかげでもあります。

制作現場の土方で職人やったり、現場監督やったりを右往左往しながら生きてきた感じ。そうする事でちょっとずつ見えなかった世界の解像度が上がって立場や職種が違う人たちの視点が理解できる様になってきて、視座が少しだけ上がった様に思うのです。個人的にですが。


僕の性格的に思いもよらないお仕事や紹介を貰うと毎回新鮮で嬉しくなります。今は基本的に信頼下さっている方のご紹介による仕事がほとんど。その中でも企画・設計・デザイン・マーケティング・運用までを一から伴走させてもらえたり。上場企業さまへのご提案を一緒に考えさせて貰えたりと。やはり日々の感謝とご縁、そしてちょっとばかしの根気と勇気なのかもしれません。


【やっとブランディングを意識できるようになった。】

僕の携わるクリエイティブの強みは「実直さ」「柔らかさ」の掛け算だそうです。


かれこれ3年ほどずっと成長を共にしているデザイナーからアドバイス頂きました。他人から言われないとやっぱり「内なる自分の強み」に気づかない。


そしてデザイナーの彼から、個人でもブランディングを意識して「指針を持って仕事に向かうことは未来をつくることになる。だからこれからの時代は個人であっても絶対に必要だよ。」と教えてもらい、コンセプトから自分に対するデザインを設計してもらった。また改めてnoteでもご紹介したいと思います。


もちろんもっと遡ると、人生の転機の度に「仕事とは何か」「生きるとは何か」を教えてくれた師匠からの言葉があったからかも。

だから自然と意識のシフトができたのかもしれません。関西中心に大活躍していらしゃるコピーライターさんです。これからもよろしくお願いします。


拠点について

【ベースキャンプ拠点はしばらく「シェアアトリエバンビ」となります。】

場所は大阪の西淀川のすぐ隣の阪神電車で梅田から15分ほどで到着する「杭瀬」という町です。


尼崎の工場町というより、割と人情と下町感のあるゆったりとしたエリアです。商店街の人たちは気さくでいつも挨拶をしてくれたり。所属させて貰っている不動産会社の運営スペースで、アーティスト向けの「シェアできるアトリエ」なのですがこちらで日中はいます。


なので週3日はそちらで仕事をして、週2日は自宅やカフェで仕事をする様な生活スタイルです。徐々にフリーランスやクリエイターが一緒にコラボレーションできる様な場所になればなと思っています。


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